ラファエロの間とは|『アテナイの学堂』だけではないヴァチカン宮殿4室の壁画計画を解説

「ラファエロの間」は、ヴァチカン宮殿にある4つの部屋の総称です。教皇ユリウス2世のもとで1508年末から装飾が始まり、ラファエロとその工房が16年にわたって制作を続けました。最も有名なのは『アテナイの学堂』ですが、4室を順に見ると、哲学や神学から教会史、教皇権、キリスト教帝国の物語へと主題が大きく変わっていきます。

4室はどの順に描かれたか

ユリウス2世は、前任者アレクサンデル6世が使っていた部屋に住むことを避け、上階のこの一画に移りました。4室にはそれぞれ用途があり、署名の間は教皇の書斎兼私的な図書室、ヘリオドロスの間は個別の謁見にあてる私的な控えの間、ボルゴの火災の間は日常の食事室、コンスタンティヌスの間は公式の儀式と接見に使う大広間でした。主題が室ごとに異なるのは、この用途の違いに対応しているためです。

制作は署名の間(1508〜1511年)、ヘリオドロスの間(1511〜1514年)、ボルゴの火災の間(1514〜1517年)、コンスタンティヌスの間(1517〜1524年)の順に進みました。ただし現在の見学順路はこの逆で、コンスタンティヌスの間から入ります。最初に目にする部屋が最後に仕上げられた部屋である点を知っておくと、室ごとの表現の違いが追いやすくなります。

『アテナイの学堂』 ラファエロ・サンティ 1509〜1511年 フレスコ 約500×770cm ヴァチカン宮殿署名の間
『アテナイの学堂』 ラファエロ・サンティ 1509~1511年 フレスコ ヴァチカン宮殿署名の間

署名の間|哲学・神学・詩・法を一室にまとめる

署名の間は、ラファエロの間のなかでも最もよく知られています。四つの壁にはそれぞれ、哲学を表す『アテナイの学堂』、神学を表す『聖体の論議』、詩を表す『パルナッソス』、法を表す壁面が配されました。中世の大学が扱った四つの学問領域が、そのまま一室の四面に割り当てられている構成です。

最初に描かれたのは『聖体の論議』で、ラファエロはここから時計回りに部屋を仕上げていきました。『アテナイの学堂』には古代の哲学者たちが集まり、その向かいではキリスト教神学が扱われています。古代の知とキリスト教を同じ部屋に並べている点に、盛期ルネサンスらしい考え方がよく表れています。『アテナイの学堂』単体については『アテナイの学堂』とはで詳しく解説しています。

『聖体の論議』 ラファエロ 1509~1510年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿署名の間
『聖体の論議』 ラファエロ 1509~1510年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿署名の間

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ヘリオドロスの間|教会を守る神の力

ヘリオドロスの間では、神の介入によって教会が危機から救われる場面が中心になります。『ヘリオドロスの神殿からの追放』では、神殿の財宝を奪おうとするヘリオドロスが、天から現れた騎馬の人物と二人の若者に打ち倒されます。ほかに『ボルセーナのミサ』『聖ペテロの解放』『大レオとアッティラの会談』が並び、いずれも脅威にさらされた教会が守られる筋立てです。

この選択には当時の情勢が反映しています。教皇軍はボローニャをフランスに奪われ、周囲の勢力に囲まれていました。署名の間の静かな知的秩序に比べ、動き、斜線、深い陰影、劇的な身振りが強まり、『大レオとアッティラの会談』では左右対称の構図がついに崩れます。同じ時期にラファエロが描いた老いたユリウス2世の肖像も、勝利者としてではなく疲れた一人の人物として教皇を捉えたものでした。

『ヘリオドロスの神殿からの追放』 ラファエロ 1511~1512年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿ヘリオドロスの間
『ヘリオドロスの神殿からの追放』 ラファエロ 1511~1512年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿ヘリオドロスの間
『教皇ユリウス2世の肖像』 ラファエロ 1511–1512年頃 油彩・板 ナショナル・ギャラリー所蔵
『教皇ユリウス2世の肖像』 ラファエロ 1511~1512年頃 油彩・板 ナショナル・ギャラリー所蔵

ボルゴの火災の間|工房の比重が増した時期

ユリウス2世の死後、教皇レオ10世のもとで進められた部屋です。主題は同名の先代教皇たちの事跡に切り替わり、『ボルゴの火災』は847年にレオ4世が祝福の回廊から十字を切り、サン・ピエトロ周辺に広がった火を鎮めたという出来事を描いています。天井にはユリウス2世時代にペルジーノが描いた画面がそのまま残され、ラファエロは師の仕事に手を触れませんでした。

この時期のラファエロはシスティーナ礼拝堂のタペストリー下絵をはじめ複数の仕事を抱えており、壁面の多くは工房が担いました。ただし画面左で父アンキセスを背負って逃れるアイネイアスの群像は、ラファエロ自身の手によるものとされています。燃える街から逃れる人々の激しい運動感と、古代彫刻を思わせる筋肉質な人体表現が、この部屋の見どころです。

『ボルゴの火災』 ラファエロ工房 1514~1517年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿ボルゴの火災の間
『ボルゴの火災』 ラファエロ工房 1514~1517年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿ボルゴの火災の間

コンスタンティヌスの間|ラファエロ死後に完成した最大の部屋

4室のなかで最も大きく、公式の接見と儀式にあてられた広間です。壁面には『十字架の幻視』『ミルウィウス橋の戦い』『コンスタンティヌスの洗礼』『ローマの寄進』の四場面が並び、異教に対するキリスト教の勝利という主題で貫かれています。ラファエロは構想と下絵に関わりましたが、1520年の死後、ジュリオ・ロマーノやジャンフランチェスコ・ペンニら工房の画家たちが制作を引き継ぎました。

この部屋の大半は、ラファエロの構想をもとに工房の画家たちが仕上げました。ただ、本人の筆が確認された箇所も二つあります。2015年に始まり、ヴァチカン美術館が2025年に公開した修復によって、『十字架の幻視』脇の「コミタス(親愛)」と『ミルウィウス橋の戦い』脇の「ユスティティア(正義)」の二人の女性像が、ラファエロ自身によるものと確認されました。壁に直接油彩で描くという珍しい技法で、死の数か月前の仕事にあたります。

工房の画家たちはこの技法を再現できず、残る壁面は漆喰を張り替えてフレスコで仕上げました。二つの寓意像だけが元の壁に残されたのは、そのためです。なお天井は後年グレゴリウス13世の命でトンマーゾ・ラウレーティが描き、1585年に完成しています。

『ミルウィウス橋の戦い』 ジュリオ・ロマーノほか 1520~1524年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿コンスタンティヌスの間
『ミルウィウス橋の戦い』 ジュリオ・ロマーノほか 1520~1524年頃 フレスコ ヴァチカン宮殿コンスタンティヌスの間

4室を通して見えるラファエロと工房

署名の間ではラファエロ本人の手と構想が強く感じられますが、ヘリオドロスの間では動きや明暗がいっそう激しくなり、後半の二室では工房の画家たちが担う部分も増えていきます。ラファエロは巨大な壁面を一人で描いたのではなく、構想や下絵を作り、弟子たちの仕事をまとめながら制作を進めました。

コンスタンティヌスの間に残る二つの寓意像からは、ラファエロが最後まで新しい描き方を試していたことも分かります。4室を通して見ると、本人の筆だけでなく、構想を考え、下絵を作り、大勢の弟子の仕事をまとめる力まで含めて「ラファエロの仕事」だったことがよく分かります。

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