グスタフ・クリムトは1918年2月6日、ウィーンの一般病院で死去しました。直接の経過として確実なのは、1月11日に脳卒中を起こして半身麻痺となり、その後に肺炎を併発したことです。死亡記録には「脳卒中」と「肺炎」が記され、後世の資料には「インフルエンザ様の肺炎」とする記述もあります。ただし、これをそのまま「スペイン風邪で死亡した」と断定するのは慎重であるべきです。
本記事では、クリムトの生涯全体を繰り返すのではなく、1918年1月の発病から2月6日の死までを時系列で追い、脳卒中・肺炎・インフルエンザの関係、未完成作品、墓、そして同じ1918年に相次いで亡くなったウィーン美術界の人物までを整理します。
/モーリツ・ネーア/1917年5月/写真/原資料寸法不詳(デジタル画像564×818px)/Wikimedia-Commons.jpg)
クリムトの死因は何だったのか
結論から言えば、クリムトの死を説明するうえで最も確実なのは「脳卒中を起こし、その後に肺炎を併発して死亡した」という流れです。死亡台帳には「Hirnschlag(脳卒中)」と「Lungenentzündung(肺炎)」が記録されています。クリムトの死は、1月11日に起きた脳卒中を起点とし、その後の衰弱と肺炎が重なった経過として捉えるのが適切です。
一方、入院後に「grippöse Lungenentzündung」、すなわちインフルエンザ様の肺炎を発症したとする記録も残っています。このため「クリムトはスペイン風邪で亡くなった」と紹介されることがあります。しかし、1918年初頭の症例を後に世界的流行となるスペイン風邪と同一視できるかは別問題です。死亡原因を一語で「スペイン風邪」と断定するより、脳卒中、続発した肺炎、そしてインフルエンザ様感染症の可能性を分けて考える方が史料に忠実です。
晩年のクリムト
晩年のクリムトは、いわゆる「黄金様式」だけの画家ではありませんでした。金箔と装飾性で知られる『接吻』の時代を経た後、1910年代には色彩がより自由になり、輪郭も柔らかく、東アジア美術への関心を感じさせる装飾と人物表現が前面に出ていきます。1917年にはウィーン美術アカデミーの名誉会員となり、国外展にも作品を出品していました。
1917年末から1918年初めにかけても制作は続いており、《花嫁》《扇を持つ女性》《アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像》《アダムとエヴァ》《ヨハンナ・シュタウデ》など、最晩年の重要作がアトリエに残されていました。つまり、死の直前まで創作意欲を失っていたわけではありません。
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1918年1月11日、突然の脳卒中
1918年1月11日、クリムトはウィーン7区の自宅、ヴェストバーン通り36番地で脳卒中を起こしました。発作は朝、着替えの最中に起きたと伝えられ、半身麻痺が残りました。発症後はウィーンの療養施設へ運ばれ、治療を受けています。
当時の関係者の記録からは、発症直後から重篤であったことが分かります。建築家オットー・ワーグナーは1月24日の日記で、クリムトが約2週間前に脳卒中に襲われ、医師が回復を悲観していることを書き留めています。それでも一時的には状態がやや改善したとされ、面会者もいました。
しかし、脳卒中そのものは身体機能を大きく低下させ、長期臥床による衰弱や褥瘡なども重なりました。クリムトの最期を理解するには、単一の急死ではなく、1月11日の脳卒中を起点として約4週間にわたり病状が悪化した過程を見る必要があります。
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2月初旬、肺炎を併発して一般病院へ
2月3日ごろ、クリムトは肺炎を発症し、ウィーン一般病院へ移されました。病状の経過を追うと、1月11日に脳卒中で半身麻痺となり、2月3日ごろに肺炎を発症して一般病院へ移されています。この時期には「インフルエンザ様の肺炎」が加わったとする記録もあります。
この「インフルエンザ様」という表現は重要です。現代の医学診断のようにウイルス型が確定されていたわけではなく、当時の臨床的な症状や記録からそう表現されているにすぎません。したがって、現在の私たちが「インフルエンザ」と「スペイン風邪」を完全に同義として読み替えることはできません。
スペイン風邪で亡くなったのか
クリムトの死因について最も混同されやすいのが、「1918年に亡くなった」「肺炎を併発した」「同年秋にウィーンでスペイン風邪が猛威を振るった」という3つの事実です。これらが結び付けられ、「クリムトもスペイン風邪で亡くなった」と説明されることがあります。
しかし、クリムトが死亡したのは2月6日です。ウィーンでスペイン風邪の流行が社会的に明確になるのはその後で、1918年6月には新聞がウィーンの個別症例を報じ、秋には大流行となりました。そのため、クリムトが後に「スペイン風邪」と呼ばれる流行の最初期の犠牲者だった可能性は論じられてきましたが、確定事項ではありません。
したがって、現時点で最も慎重な表現は、「クリムトは脳卒中後に肺炎を併発して死亡し、その肺炎をインフルエンザ様とする記録はあるが、後にスペイン風邪と呼ばれた流行と直接同定できる確実な証拠はない」とすることです。これなら死亡台帳、病歴資料、後世の疫病史のいずれとも矛盾しません。
1918年2月6日、55歳で死去
クリムトは1918年2月6日、ウィーン一般病院で亡くなりました。1862年7月14日生まれですから、死亡時は55歳でした。発病から死まで約4週間。突然の脳卒中に始まり、半身麻痺と衰弱、肺炎を経て死に至ったことになります。
死後、若いエゴン・シーレは病院の遺体安置室でクリムトの姿を描きました。シーレにとってクリムトは単なる先輩ではなく、早い時期から才能を認め、展覧会参加を後押しした重要な存在でした。死後のクリムトを描いた素描は、両者の関係を物語る最も直接的な資料の一つです。シーレ自身については「エゴン・シーレとは」で詳しく解説しています。

未完成の作品を残して
クリムトの死は突然だったため、アトリエには多くの未完成作が残されました。ベルヴェデーレは《アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像》《アダムとエヴァ》《ヨハンナ・シュタウデ》などを最晩年の未完成作品として挙げています。《花嫁》もまた、死の直前まで取り組まれた代表的な未完成作です。
未完成であることは、これらの作品の価値を減じるものではありません。むしろ下描きや塗りの途中が残ることで、完成作では隠れてしまう制作過程が見えます。顔や手は比較的細かく描き込まれている一方、衣服や背景には線だけの部分が残り、クリムトが人物の肉体と装飾面をどのように組み立てていたのかが分かります。

クリムトの墓はどこにあるのか
葬儀は死の3日後、1918年2月9日に行われ、クリムトはウィーン13区のヒーツィング墓地に葬られました。現在の墓所はグループ5、墓番号194/195です。ヒーツィングはクリムトが最後のアトリエを構えた地区でもあり、彼の晩年と深く結びついた場所です。
墓地記録に残るクリムトの生没日は、1862年7月14日から1918年2月6日です。生年と没年だけを差し引いて「56歳」と表記する資料もありますが、誕生日を迎える前に亡くなっているため、満年齢では55歳です。
1918年、ウィーン美術界の大きな転換点
1918年は、クリムト一人の死にとどまらず、ウィーンの芸術文化にとって大きな節目となった年でした。4月には建築家オットー・ワーグナー、10月にはウィーン工房と分離派の中心人物コロマン・モーザーが亡くなり、10月31日にはエゴン・シーレが28歳で死去します。シーレの死因はスペイン風邪であることが明確に記録されています。
ウィーン分離派を軸に成立した世紀末ウィーンの芸術は、クリムト、ワーグナー、モーザーらの活動によって大きく発展しました。その主要人物が同じ1918年に相次いで亡くなったことは、一つの芸術時代の終わりを象徴する出来事でもあります。ただし、クリムトとシーレの死因は同じではありません。シーレについてはスペイン風邪との関係が明確ですが、クリムトについては脳卒中と肺炎を中心に考える必要があります。
クリムトの最期から分かること
クリムトの死は、華やかな黄金様式のイメージとは対照的に、突然の脳卒中から始まった短い闘病の末に訪れました。死亡記録に残るのは脳卒中と肺炎であり、インフルエンザ様の肺炎を指摘する伝記資料もあります。そこからスペイン風邪との関連を想定する説はありますが、直接の確証がない以上、可能性と確定事項は区別しなければなりません。
一方で、未完成の絵画やアトリエ写真を見ると、クリムトが死の直前まで新しい画風へ進もうとしていたことが分かります。最期を知ることは単なる死因の確認ではなく、「黄金のクリムト」の後にどこへ向かおうとしていたのかを考える手がかりにもなります。
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