風景画家を募集しています INSHO-HA 現代の印象派 風景画コンテスト 応募締切 12月12日 詳細を見る →

ピーテル・ブリューゲル(子)とは|父の模写・工房制作・地獄のブリューゲルを解説

ピーテル・ブリューゲル(子)は、父の人気作品を何度も描いたことで知られる画家です。そのため「父のコピーを描いた人」と思われがちですが、父が亡くなった後も《雪中の狩人》や農民画は人気があり、子の工房には同じ構図を求める注文が入り続けました。父の名画を次の時代へ広めた画家と考えると、彼が果たした役割が分かりやすくなります。

ピーテル・ブリューゲル(子)《鳥罠のある冬景色》
《鳥罠のある冬景色》/ピーテル・ブリューゲル(子)/油彩・板/40.6×56.8cm/国立西洋美術館

父が亡くなった時、子はまだ幼かった

ピーテル・ブリューゲル(子)は1564/65年頃に生まれ、1637/38年頃に亡くなったとされます。父ピーテル・ブリューゲル(父)が1569年に亡くなった時、まだ5歳ほどでした。ですから、父の仕事場で何年も修業し、直接技法を教わったわけではありません。

母は画家ピーテル・クック・ファン・アールストの娘で、家族そのものが芸術家の家系でした。子はアントウェルペンへ移り、風景画家ヒリス・ファン・コーニンクスローに学んだと伝えられています。父の絵については、残された作品や素描、構図の資料、家族を通して後から身につけていきました。

アントウェルペンで工房を構える

聖ルカ組合で親方となった年は資料に差があり、1585年とする記録もありますが、プラド美術館は1588年としています。1588年にはエリザベート・ゴデレと結婚したとされます。工房を構えた彼の大きな仕事が、父の人気構図を市場の需要に応じて繰り返し描くことでした。

当時は、人気のある絵を工房で何枚も描くこと自体は珍しくありませんでした。注文が増えれば、弟子や助手も加わって制作します。ブリューゲル(子)の工房も、そうした仕組みで父の人気作を届けていました。

なぜ父の作品を繰り返したのか

父ブリューゲルの絵は人気がありましたが、数には限りがあります。父が亡くなった後も欲しがる人がいたため、子の工房には同じ構図の注文が入り続けました。

子は父作品を模写するだけでなく、同じ主題に複数の別バージョンを作りました。風景をより重視したり、父より明るく純度の高い色を使ったりする作例もあります。「独創性がない」という一言では捉えられず、父の構図を17世紀の市場へ広めながら、自分の工房の様式へ置き換えていった画家です。

「へ~」「そうなんだ!」朝の1分、ちょっと朝活

Q1. モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?
Q2. ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?
Q3. 印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録無料・毎週火曜朝7:30ごろ・いつでも配信停止できます。

《雪中の狩人》では何が変わるのか

東京富士美術館所蔵の《雪中の狩人》は、父のウィーン版を基にした17世紀の作品です。父の117×162cmに対し、子の作品は25.5×32.5cm。小さな板に合わせ、冬の風俗や人物は簡略化されています。

東京富士美術館所蔵 ピーテル・ブリューゲル(子)《雪中の狩人》
《雪中の狩人》/ピーテル・ブリューゲル(子)/17世紀/油彩・板/25.5×32.5cm/東京富士美術館

同じ構図でも、絵が小さくなれば全部をそのまま描くことはできません。人物を減らす、背景を簡単にする、色を変える。父子の絵を比べると、子の工房がどこを残し、どこを変えたのかまで見比べられます。

《農民の結婚式》にも複数の別バージョン

東京富士美術館には1630年の《農民の結婚式》も所蔵されています。73.0×104.0cmの油彩・板で、父の有名な婚礼場面を基礎にしながら、室内だった原作を戸外へ変更した作例です。

東京富士美術館によると、子が描いた作品には、父と同じ室内のものと、戸外へ場面を移したものがあります。つまり、父の絵をそのまま写すだけの工房ではありませんでした。

「地獄のブリューゲル」という異名

ピーテル・ブリューゲル(子)は「地獄のブリューゲル」と呼ばれることがあります。けれども、怪奇な絵ばかりを描いた画家ではありません。むしろ大きな仕事は、父の人気作品を工房で何度も描き、17世紀の買い手へ広めたことでした。

「地獄のブリューゲル」という呼び名だけでは、この画家の姿はつかめません。父の人気作を何度も描く一方で、自分で考えた作品も残しています。

父作品の需要を支えた工房経営

父の絵は数が限られていましたが、父が亡くなった後も人気は続きました。そこで長男の工房は、《雪中の狩人》《鳥罠のある冬景色》《農民の婚宴》など、人気の高い絵を何度も描きました。

もちろん、現代の印刷のように同じ絵がそのまま増えるわけではありません。板に一枚ずつ描くので、人物の数、背景、色、サイズに違いが出ます。何点か並べて見ると、工房がどこを残し、どこを変えたのかまで分かります。

同じ絵をどうやって何枚も描いたのか

子の工房では、父の絵を何度も描くために、小さな穴をあけた実寸大の下絵を使うことがありました。穴の上から顔料の粉を打つと、人物や建物の輪郭を板に写すことができます。

同じ構図の絵を比べると、下描きはよく似ているのに、人物や背景は少しずつ違います。何人かで手分けした作品もあり、人気作を何枚も仕上げるための工夫があったことが伝わります。

父の模写だけではない――1615〜20年頃から独自作品へ

子の画業は大きく二つの方向に分けられます。初期から中期には父の構図を数多く繰り返しし、そこへ風景の強調や鮮やかな色彩など自分の別バージョンを加えました。1615〜20年頃になると、父の原作へ直接依存しない独自の作品も増えていきます。

「父の模写しか描かなかった画家」と見るのも正確ではありません。父の人気作を広めた仕事が有名ですが、自分で考えた構図も描き、それをもとにした作品も複数残っています。

生涯を時系列で整理する

時期出来事
1564/65年頃ブリュッセルに生まれる
1569年父ピーテル・ブリューゲル(父)が死去。本人は約5歳
1585〜1588年聖ルカ組合の親方となる。年は資料に差があり、プラド美術館は1588年とする
1588年エリザベート・ゴデレと結婚
16世紀末〜17世紀前半父の人気構図を工房で多数制作
1630年東京富士美術館所蔵《農民の結婚式》制作
1637/38年頃没したとされる

日本で見られるピーテル・ブリューゲル(子)の作品

日本では、国立西洋美術館が《鳥罠のある冬景色》、東京富士美術館が《雪中の狩人》《農民の結婚式》を所蔵しています。2026年10月時点では、国立西洋美術館の《鳥罠のある冬景色》は常設展示中、東京富士美術館の2点も10月3日から12月27日まで展示中です。

三作品はいずれも、父の構図が子の工房でどのように縮小・変更・繰り返し描かれたかを具体的に比較できる作例です。日本国内だけでも、子の工房での制作を異なる主題から見ることができます。

ピーテル・ブリューゲル(子)についてよくある質問

父ピーテル・ブリューゲルから直接絵を習ったのですか?

長期間の直接指導は受けていません。父が1569年に亡くなった時、子は5歳ほどでした。のちにアントウェルペンでヒリス・ファン・コーニンクスローの工房に学んだとされます。

なぜ父の作品を大量に描いたのですか?

父の構図への買い手の需要が高かったためです。工房ではカートゥーンなどを使って構図を効率的に転写し、同じ主題に複数の別バージョンを制作しました。

「地獄のブリューゲル」はなぜそう呼ばれるのですか?

地獄や怪物を描く作品と結び付いた異名ですが、その種の作品は画業全体では例外的です。農民風俗や父作品の繰り返し描く仕事の方が、実際の活動では大きな比重を占めます。

父のコピーだけを描いた画家ですか?

いいえ。父の構図の繰り返しが重要な仕事だった一方、1615〜20年頃からは独自の作品も制作しました。また父の構図を使う場合にも、色、風景、人物、寸法を変えた別バージョンがあります。

関連記事

登録無料 毎週火曜 朝7:30ごろ 3つのQ&A

福福堂編集部の無料メールマガジン

朝の1分で、美術の「へ~」を3つ。

美術に詳しくなくても楽しめる3つのアートQ&Aを、毎週火曜朝7:30ごろ無料でお届けします。

・モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?

・ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?

・印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録に必要なのはメールアドレスだけです。配信停止はメール末尾のリンクからいつでも行えます。

書画家・伊藤一樹

東京都・埼玉県限定 2026年12月15日までの開催分

講演歴17年以上・全国500回以上。 伊藤一樹の講演会を、講演料無料で。

中学校・高校・教育委員会から企業研修まで。心の不調を乗り越えた書画家・伊藤一樹が、実体験をもとに「あなただからこそできることがある」を語ります。

  • 講演時間25~70分
  • 約5分の書画ライブ可
  • 会場・日時未定でも相談可
講演料
0円

福福堂が講演料を負担します。主催者様は、岐阜県恵那市から会場までの交通費実費のみご負担ください。

お問い合わせ・詳細・申込はこちら

学校行事・企業研修・安全大会・健康・人権・福祉研修などにご相談いただけます。

タイトルとURLをコピーしました