グスタフ・クリムトの『死と生』は、画面左に「死」、右に乳児から老人までの「生」を置き、人間の一生を一枚の画面で対置した大作です。ただし、現在レオポルド美術館で見られる姿が最初から完成していたわけではありません。1910/11年の初期状態から、1912/13年、さらに1915/16年前後へと複数段階で手が加えられ、背景、死神の衣装、人物群の色彩や文様まで大きく変化しました。
所蔵.jpg)
『死と生』の基本情報
| 作品名 | 死と生(Tod und Leben / Death and Life) |
|---|---|
| 作者 | グスタフ・クリムト |
| 制作 | 1910/11年、1912/13年および1915/16年前後に改変 |
| 技法 | 油彩・キャンバス |
| 寸法 | 180.8×200.6cm |
| 所蔵 | レオポルド美術館(ウィーン) |
『死と生』は、クリムトの寓意画のなかでも特に大きな作品です。人間の生涯を象徴する多数の身体を一つの塊としてまとめ、そのすぐ隣に死を単独で立たせています。黄金様式の代表作である『接吻』が男女の親密さを中心にした作品であるのに対し、『死と生』では個人の恋愛からさらに範囲を広げ、人間が生まれ、成長し、老い、死へ近づくまでの循環そのものが主題になっています。
画面左の「死」
画面左には、骸骨の頭部をもつ死の姿が描かれています。死は人々の群像から距離を置き、細長い身体をほぼ垂直に立てています。手には赤い棍棒のようなものを持ち、こちらへ向かって迫るというより、生の集団を静かに見つめながら、その時を待っているように見えます。
重要なのは、死の衣装にも装飾文様が使われていることです。青を基調に、十字架を思わせる形や暗い色面が反復されます。華やかな生の側と同じく「文様」で覆われながら、その色調と形は冷たく、重い。クリムトは死を写実的な恐怖場面として描くのではなく、装飾と象徴によって、生と対になる存在へ変えています。
所蔵.jpg)
画面右の「生」の群像
右側には、複数の人物が一つの大きな楕円形の塊となって重なっています。乳児、若い女性、男性、母子、老人など、年齢も性別も異なる人物が密着し、一つの生命体のように構成されています。人物同士の境界はありながら、花や円、四角、渦巻きなどの文様によって全体が結びつけられています。
ここで描かれているのは、特定の家族の肖像ではありません。乳児から老人までを同じ画面に置くことで、出生、成長、愛、成熟、老いという「生の各段階」を圧縮して示しています。『死と生』という題名どおり、生は一人の人物ではなく、世代を越えて連続するものとして表されています。

この発想は『死と生』だけに突然現れたものではありません。1905年の『女性の三世代』でも、乳児、若い母、老女を通して生命の時間が描かれています。クリムトは早い時期から、個々の人物像を越えて「生の段階」を視覚化することに強い関心を持っていました。
「へ~」「そうなんだ!」朝の1分、ちょっと朝活
Q2. ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?
Q3. 印象派という名前は誰が付けたの?
この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。
乳児・女性・男性・老人が示すもの
生命群の中で最も直接的に「始まり」を表すのが乳児です。母親に抱かれた幼い身体は、生まれたばかりの生命と世代の継承を示します。その周囲には若い女性や男性が配置され、愛情、親密さ、成熟した身体が重なります。さらに老人の顔が加わることで、生命の塊のなかに時間の経過が組み込まれています。
人物たちはそれぞれ孤立しておらず、互いに触れ、支え合いながら一つの群像をつくります。一方、死だけはその群像から切り離されています。この「密集する生」と「孤立する死」という構図上の差が、作品の意味を最も明快にしています。
所蔵.jpg)
『希望II』でも、妊娠した女性の身体と骸骨のモチーフが同じ画面に置かれています。生を祝福するだけでも、死を恐怖として描くだけでもなく、誕生と死を同時に意識させる構成は、『死と生』へつながる重要な主題です。
最初のヴァージョンは現在と違う
現在の『死と生』を理解するうえで最も重要なのは、完成形を1910/11年のままの姿と考えないことです。クリムトは1910年ごろ油彩で制作を始め、1911年のローマ国際美術展に初期状態の作品を出品しました。その後も作品に手を入れ続けています。
所蔵.jpg)
初期ヴァージョンでは、現在よりも背景が明るく、金色を含む装飾性が強く見えます。死の姿や生命群の周囲にも、完成形とは異なる色と文様が残っていました。つまり、今日知られている青い衣をまとった死と、灰色の広い背景をもつ画面は、後の改変を経た姿です。
1910年代に何度も描き直された
レオポルド美術館は本作を「1910/11年、1912/13年と1915/16年に改変」と整理しています。一方、同館の詳細解説では、1916/17年まで続く複数回の手直しにも触れています。したがって『死と生』は、1915年に一度だけ全面改稿された作品ではなく、1910年代を通じて段階的に変化した作品として見る必要があります。
特に大きな変更は1915年前後です。背景は灰色へ変わり、死の衣装は青を中心とした文様へ整理され、生命群の装飾も色彩が強まりました。人物の配置そのものだけでなく、人物を包む文様の密度や画面全体の色の対比が調整され、現在の緊張感の強い構図へ近づきました。
色彩と文様の変化
クリムトの絵画では、人物の身体と装飾文様が別々の要素ではありません。『死と生』でも、肌の部分は比較的写実的に描かれる一方、衣服や背景は平面的な文様で構成されています。この違いによって、生身の身体と抽象的な時間・運命が同じ画面に共存します。
最終状態では、生命群の赤、橙、緑、青、紫などが一段と鮮明になり、左側の死の寒色と強く対比します。黄金様式の輝きをそのまま延長するのではなく、より多彩な色彩へ移っていく晩年のクリムトの変化も読み取れます。クリムトの生涯と画風全体については、「クリムトとは|生涯・代表作・黄金様式をわかりやすく解説」で詳しく紹介しています。
ローマ国際美術展で金メダル
『死と生』の初期ヴァージョンは1911年、ローマ国際美術展で初公開されました。当時の題名は『死』で、クリムトはこの作品によって金メダルを受賞しています。その後、1912年のドレスデンでは『死と愛』、さらに1913年以降は『死と生』として各地に展示されました。
つまり、作品名そのものも制作過程とともに変化しています。死だけを前面に出した題名から、死と愛、そして死と生へ。画面の改変と題名の変遷は、この作品が固定された一つの完成形へ一直線に進んだのではなく、クリムト自身が長い時間をかけて主題を練り直したことを示しています。
『死と生』の意味
『死と生』は、「死に打ち勝つ生命」を単純に描いた作品ではありません。死は消滅せず、生命群のすぐ隣に常に存在しています。同時に、生の側には乳児から老人までが含まれ、死へ向かう時間も最初から内包されています。
それでも画面の大部分を占めるのは生命群です。人々は互いに触れ合い、眠り、抱き合い、世代をつないでいます。孤立した死と、互いに結びつく生。その対比によって、死の不可避性を認めながらも、生命が一人の人間を越えて続いていくことが示されています。
この構図は、世紀末ウィーンの装飾美術だけでなく、人間の身体や生の不安を強く意識した時代の空気ともつながります。クリムトが中心人物の一人だったウィーン分離派について知ると、『死と生』が生まれた文化的背景も理解しやすくなります。
現在はレオポルド美術館所蔵
『死と生』は現在、オーストリア・ウィーンのレオポルド美術館に所蔵されています。同館を代表するクリムト作品の一つで、作品のオリジナルフレームには制作途中の改変を示す絵具の痕跡も残っています。現在の画面だけでなく、その背後にある制作の履歴まで含めて見ることで、この作品の面白さはさらに深まります。
関連記事
ウィーン分離派とは|クリムトと世紀末ウィーンの芸術運動を解説
アール・ヌーヴォーとは|ミュシャ・ガレ・クリムトから世紀末の装飾美を解説
福福堂編集部の無料メールマガジン
朝の1分で、美術の「へ~」を3つ。
美術に詳しくなくても楽しめる3つのアートQ&Aを、毎週火曜朝7:30ごろ無料でお届けします。
・モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?
・ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?
・印象派という名前は誰が付けたの?
この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。
登録に必要なのはメールアドレスだけです。配信停止はメール末尾のリンクからいつでも行えます。
この記事を読んだ方におすすめの展覧会
入場無料でご覧いただける、現在開催中または開催予定の注目展覧会をご紹介します。世界に一つしかない原画を中心とした作品を展示・販売しており、会場では実際に作品をご購入いただけます。
東京都・埼玉県限定 2026年12月15日までの開催分
講演歴17年以上・全国500回以上。 伊藤一樹の講演会を、講演料無料で。
中学校・高校・教育委員会から企業研修まで。心の不調を乗り越えた書画家・伊藤一樹が、実体験をもとに「あなただからこそできることがある」を語ります。
- 講演時間25~70分
- 約5分の書画ライブ可
- 会場・日時未定でも相談可
0円
福福堂が講演料を負担します。主催者様は、岐阜県恵那市から会場までの交通費実費のみご負担ください。
学校行事・企業研修・安全大会・健康・人権・福祉研修などにご相談いただけます。