レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画というと、まず『モナ・リザ』を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、その十数年前に描かれた『白貂を抱く貴婦人』には、すでにレオナルドが肖像画にもたらした大きな革新が表れています。
若い女性は正面で静止しているのではなく、誰かの気配に反応したように顔を画面右へ向けています。腕に抱かれた白貂も同じ方向を見つめています。人物の容貌だけを記録するのではなく、「いま何かが起こった瞬間」まで肖像画の中に持ち込んだ作品です。
描かれている女性は、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人だったチェチーリア・ガッレラーニ。彼女が抱く白貂には、ルドヴィーコとの関係、チェチーリア自身の名前、そして当時の象徴表現が幾重にも重ねられています。本記事では、モデルの人物像から白貂の意味、構図、手や光の表現、後世に塗り替えられた背景、第二次世界大戦を生き延びた来歴まで見ていきます。
『白貂を抱く貴婦人』とは
『白貂を抱く貴婦人』は、レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノで活動していた1490年頃に描いた肖像画です。現在はポーランドのクラクフ国立博物館が所蔵し、MNKチャルトリスキ美術館に展示されています。作品番号はMNK XII-209です。
| 作品名 | 『白貂を抱く貴婦人』(Lady with an Ermine) |
|---|---|
| 作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
| 制作年 | 1490年頃 |
| 制作地 | ミラノ |
| 技法・支持体 | 油彩・テンペラ/クルミ材の板 |
| 寸法 | 53.4×39.3cm |
| モデル | チェチーリア・ガッレラーニ |
| 所蔵 | クラクフ国立博物館/MNKチャルトリスキ美術館 |
| 作品番号 | MNK XII-209 |
レオナルドの絵画は現存数そのものが非常に少なく、本作はその中でも重要な肖像画の一つです。『モナ・リザ』より早い時期に、人物の身体、視線、光、心理的な動きを一つの画面へ統合している点にも注目できます。レオナルドの生涯と作品全体については、「レオナルド・ダ・ヴィンチとは」でも詳しく紹介しています。

モデルはチェチーリア・ガッレラーニ
モデルのチェチーリア・ガッレラーニは1473年頃に生まれ、絵が描かれた頃は16~17歳ほどだったと考えられています。美貌だけでなく教養でも知られ、詩をたしなみ、同時代には学識ある女性として評価されました。
チェチーリアは、当時ミラノの実権を握っていたルドヴィーコ・スフォルツァの愛人でした。1489年から1491年頃にかけて二人の関係が続き、1491年には息子チェーザレを出産しています。一方、ルドヴィーコは同年1月にフェラーラ公家のベアトリーチェ・デステと結婚しました。その後チェチーリアは宮廷を離れ、ベルガミーノ伯爵ルドヴィーコ・カルミナーティ・デ・ブランビッラと結婚しています。
本作のモデルがチェチーリアだと考えられる重要な手掛かりの一つが、1498年のイザベラ・デステとの書簡です。レオナルドがチェチーリアを描いた肖像画が実際に存在していたことを示す記録で、同時代の詩人ベルナルド・ベッリンチョーニの言及などとあわせて、現在のモデル同定を支える史料となっています。

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白貂にはどんな意味があるのか
この絵を忘れがたいものにしている最大の要素が、チェチーリアの腕に抱かれた白い動物です。一般に白貂、すなわち冬毛のオコジョとして知られています。ただし、この動物には単なるペット以上の意味が重ねられています。

ルドヴィーコ・スフォルツァを示す白貂
まず重要なのがルドヴィーコ・スフォルツァとの関係です。ルドヴィーコは1488年にナポリ王から白貂勲章を授けられており、白貂は彼を連想させるモチーフでした。そのため、チェチーリアが白貂を抱く姿は、彼女とルドヴィーコの関係を暗示するものと解釈されています。

「ガッレラーニ」という名前との言葉遊び
もう一つはチェチーリア自身の姓です。白貂などイタチ科の動物を指す古代ギリシャ語の「galē」と「Gallerani」の響きを重ねた言葉遊びが指摘されています。つまり一匹の動物によって、依頼主であるルドヴィーコとモデルであるチェチーリアの双方を示すことができます。
純潔の象徴
白貂は西洋の図像伝統で、白い毛を汚すことを嫌う動物として純潔や節度の象徴にも用いられました。レオナルド自身も後年、白貂を純潔の象徴として扱った素描を残しています。

したがって白貂を「ルドヴィーコの象徴だけ」「純潔の象徴だけ」と一つに決める必要はありません。宮廷人なら複数の意味を読み取れるように設計された、多層的な仕掛けと考えると作品の面白さがよく見えてきます。
最大の見どころは、女性と白貂が同時に動く構図
この作品をじっくり見ると、肖像画でありながら画面に強い動きがあることに気づきます。チェチーリアの肩や胸の向きに対して顔はさらに画面右へ向き、白貂の頭もほぼ同じ方向を向いています。二者が、画面の外にいる誰かへ同時に反応したかのようです。
15世紀の肖像画では横顔を静かに描く形式も広く用いられていました。それに対してレオナルドは、三四分正面の人物をさらにひねり、時間の経過を感じさせる動作へ変えました。鑑賞者は顔立ちだけでなく、「彼女は何を見たのだろう」と画面外まで想像することになります。
長い指と白貂の身体がつくるリズム
チェチーリアの右手も重要です。細長い指が白貂の背に沿い、人の手と動物の身体が一続きの形をつくっています。強く押さえ込むのではなく、動き出しそうな白貂を静かに受け止めるような触れ方です。
レオナルドは人体の構造を観察し続けた画家でもありました。首筋から肩、腕、手首、指先へ続く流れは、人物の優雅さを示す装飾ではなく、身体が実際に向きを変えている感覚を支えています。
光が顔・首・手・白貂をつなぐ
人物を立体的に見せているもう一つの要素が光です。暗い背景から顔、首、右手、そして白貂の明るい毛が浮かび上がり、鑑賞者の視線が自然に移動します。輪郭を一本の線で硬く閉じるのではなく、明るさと暗さの微妙な移行によって立体をつくる方法には、後の『モナ・リザ』へつながるレオナルドらしい表現がすでに見られます。
『モナ・リザ』と見比べると、本作では人物と動物の方向転換による動きが強く、『モナ・リザ』ではより穏やかな表情と空気の移ろいへ重点が移っていることがわかります。
現在の黒い背景は、レオナルドが描いたままではない
現在の『白貂を抱く貴婦人』は、人物の背後がほぼ真っ黒に見えます。しかし、この背景は制作当初の状態をそのまま残しているわけではありません。後世に背景が暗く塗り替えられており、もともとは現在より明るい背景だったと考えられています。
赤外線やX線などを用いた技術調査では、制作途中に白貂の姿勢や大きさ、人物の手や衣装などが調整された痕跡も確認されています。レオナルドは最初に決めた線をそのまま塗り埋めたのではなく、女性と白貂が一つの動きとして見えるよう、描きながら構図を練り直していました。
左上の「LA BELE FERONIERE」は何を意味する?
画面左上には「LA BELE FERONIERE. LEONARD DAWINCI.」という文字があります。しかし、これはレオナルド本人の署名ではありません。作品がチェチーリア・ガッレラーニの肖像だと知られていなかった時代に加えられたものです。
「美しきフェロニエール(La Belle Ferronnière)」の名は、現在ルーヴル美術館にある別の女性肖像とも結び付いています。『白貂を抱く貴婦人』が1800年頃にチャルトリスキ家のコレクションへ入った時点では作者がレオナルドであることは認識されていましたが、モデルの正体まではわかっていませんでした。
19世紀末から20世紀初頭にかけて文書研究が進み、チェチーリアとイザベラ・デステの書簡や同時代の詩などが照合されたことで、現在のモデル同定が定着していきました。
第二次世界大戦を生き延びた『白貂を抱く貴婦人』
この絵の来歴は、作品そのものと同じくらい波乱に富んでいます。1800年頃、アダム・イェジ・チャルトリスキがイタリアで購入し、母イザベラ・チャルトリスカのコレクションへ加えました。19世紀には政情不安からパリへ移され、その後クラクフへ戻っています。
さらに大きな危機となったのが第二次世界大戦です。1939年、ドイツ軍の侵攻を前に作品は避難させられましたが、ドイツ側に発見され接収されました。その後ベルリンへ運ばれ、1940年には占領下ポーランド総督ハンス・フランクの求めによってクラクフのヴァヴェル城へ戻されます。
戦争末期には再び移送され、最終的にバイエルンにあったフランクの邸宅で発見されました。作品は1946年にポーランドへ返還されています。同じチャルトリスキ・コレクションにあったラファエロ『若い男の肖像』が現在も行方不明であることを考えると、本作が無事に戻ったことは決して当然ではありませんでした。
『白貂を抱く貴婦人』は現在どこで見られる?
『白貂を抱く貴婦人』は現在、ポーランド・クラクフのMNKチャルトリスキ美術館に展示されています。クラクフ国立博物館を代表する作品の一つであり、ポーランド国内に所蔵される唯一のレオナルド作品としても知られています。
旅行などで実物を見る場合は、展示変更や貸出の可能性もあるため、来館前にクラクフ国立博物館の公式情報を確認してください。
『モナ・リザ』より前に生まれていた、レオナルドの新しい肖像画
『白貂を抱く貴婦人』が描かれたのは1490年頃。一般に1503年頃から制作されたとされる『モナ・リザ』より十年以上前です。本作を見ると、レオナルドがすでに「顔が似ていること」だけでは満足していなかったことがわかります。
人物の視線は画面外へ向かい、身体はひねられ、手は白貂に触れ、動物も同じ方向へ反応しています。そこにはモデルの社会的立場を示す象徴と、目の前で人が動いたように感じさせる観察が同居しています。
ルネサンス美術では、人間や自然を現実感のある姿で捉えようとする試みが大きく発展しました。『白貂を抱く貴婦人』は、その流れの中でも肖像画を「静止した記録」から「時間を含んだ人物表現」へ押し広げた作品として見ることができます。
よくある質問
『白貂を抱く貴婦人』のモデルは誰ですか?
チェチーリア・ガッレラーニと考えられています。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人で、教養と詩才でも知られた女性です。1498年のイザベラ・デステとの書簡などがモデル同定の重要な根拠となっています。
なぜ白貂を抱いているのですか?
一つの意味に限定されません。白貂勲章を授けられたルドヴィーコ・スフォルツァへの暗示、チェチーリアの姓「Gallerani」とギリシャ語「galē」の言葉遊び、純潔を表す伝統的な象徴という複数の意味が重ねられたと考えられています。
黒い背景はレオナルドが描いたものですか?
現在見える黒い背景は制作当初の状態そのままではなく、後世の加筆によって暗くされた部分があります。
現在はどこにありますか?
ポーランド・クラクフのMNKチャルトリスキ美術館に展示されています。
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