フィンセント・ファン・ゴッホが1890年6月、オーヴェル=シュル=オワーズで描いた《医師ガシェの肖像》は、晩年を代表する肖像画です。白い帽子をかぶった医師ポール・ガシェが頬杖をつき、物憂げな表情を浮かべる姿はよく知られていますが、この作品には油彩が2点あり、さらにゴッホ自身が制作したガシェ博士のエッチングも存在します。
しかも2点の油彩は細部が同じではありません。第1ヴァージョンには本と花瓶に挿したジギタリスがあり、第2ヴァージョンでは本が消え、ジギタリスの置かれ方も変わっています。現在オルセー美術館が所蔵するのは第2ヴァージョンで、1990年に当時の美術品オークション最高額で落札されたのは第1ヴァージョンです。本記事では、ガシェという人物、画面の意味、複数ヴァージョン、版画、来歴を分けて見ていきます。

『医師ガシェの肖像』とは
《医師ガシェの肖像》は、ゴッホが死去する約1か月半前の1890年6月、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズで制作した肖像画です。モデルは医師ポール・ガシェ。ゴッホはサン=レミの療養院を離れたあと、弟テオのいるパリに近く、医療面でも相談できる環境としてオーヴェルに移りました。その土地で重要な存在となったのがガシェでした。
作品の中心にあるのは、医師としての権威を示す堂々とした姿ではありません。ガシェは右手で頭を支え、上半身を大きく傾けています。青い衣服と青い背景が画面の大部分を占め、白い帽子と顔、赤みを帯びたテーブル、紫色のジギタリスが強い対比をつくります。視線は鑑賞者に正面から力強く向けられるのではなく、内側へ沈み込むようです。
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ポール・ガシェ博士とは誰だったのか
ポール・フェルディナン・ガシェ(Paul Ferdinand Gachet, 1828–1909)は医師であり、美術収集家、アマチュア画家、版画家でもありました。1858年にはメランコリーを扱った医学論文をまとめています。1872年にオーヴェルへ移住すると、カミーユ・ピサロ、ポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマンらの画家たちと交流し、自らも「ポール・ファン・リセル(Paul van Ryssel)」の名で絵や版画を制作しました。
ゴッホとガシェを結びつけた背景には、ピサロとテオのネットワークがありました。サン=レミを離れるゴッホについて、テオはパリに近い場所で見守ってくれる医師を必要としていました。画家たちに理解があり、オーヴェルに住むガシェはその候補となります。ゴッホは1890年5月20日にオーヴェルへ到着し、まもなくガシェと会いました。
ただし、二人の関係を単純な「名医と患者」と考えるのも、「ゴッホを治せなかった医師」と断定するのも適切ではありません。ゴッホは手紙の中でガシェを風変わりで神経質な人物と見なし、ときに自分以上に病んでいるのではないかと疑う一方、すぐに親しくなり、肖像を描き、ガシェの娘マルグリットもモデルにしました。医療関係だけでなく、美術を介した交流が大きかったことが重要です。


ゴッホはなぜガシェ博士を描いたのか
ゴッホは晩年、肖像画に強い関心を持っていました。写真のように外見を正確に写すことだけではなく、色彩によって人物の性格や精神状態まで表現できる肖像を目指していたのです。ガシェはその考えを試すのにふさわしいモデルでした。医師でありながら芸術家でもあり、ゴッホ自身が「神経質さ」や苦悩を感じ取った相手だったからです。
1890年6月初旬、ゴッホはテオへの手紙でガシェの肖像に取り組んでいることを伝えています。ガシェ自身もこの肖像を強く気に入り、同じような作品を自分のためにも描いてほしいと望みました。こうして第1ヴァージョンに続いて第2ヴァージョンが制作されます。単なる複製ではなく、細部を整理しながら表情と色の印象を改めて組み立てた作品と見ることができます。

オーヴェルでのゴッホの制作全体については、「ゴッホとオーヴェル=シュル=オワーズ」で詳しく解説しています。また、テオが兄の生活と制作をどのように支えたかは、「ゴッホの弟テオとは」をご覧ください。
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頬杖・本・ジギタリス|画面の見どころ
最も印象的なのは頬杖です。頭を右手に預け、肘をテーブルにつく姿勢は、疲労や思索、憂鬱を示す伝統的な身振りと結びついてきました。ガシェ自身がメランコリーを研究した医師であったことも、このポーズをいっそう意味深いものにしています。ただし、医学論文の図像をそのまま再現したと断定する根拠はなく、画面から読み取れる「憂鬱」と人物の経歴を分けて考える必要があります。
第1ヴァージョンのテーブルには、エドモン・ド・ゴンクールとジュール・ド・ゴンクールの小説『ジェルミニー・ラセルトゥー』と『マネット・サロモン』が置かれています。ゴッホは文学を繰り返し絵の中に登場させた画家であり、読書は単なる小道具ではありませんでした。とくに『マネット・サロモン』は芸術家たちの世界を描く小説であり、美術を理解する医師ガシェという人物像にも重なります。第2ヴァージョンではこの2冊が省かれ、画面はより簡潔になっています。
紫色の花はジギタリスです。ジギタリスから得られる成分は心臓疾患の治療に使われてきたため、この植物は医師であるガシェを示す象徴としてよく説明されます。ただし、花の存在から特定の診断や治療を断定することはできません。第1ヴァージョンでは花瓶に挿され、第2ヴァージョンではテーブル上に直接置かれているため、2点を見分ける重要な手掛かりにもなります。
背景には具体的な室内空間が描き込まれていません。青の大きな面が人物を包み、衣服の青とほとんど連続するように見えます。その中で顔の黄褐色、帽子の白、テーブルの赤橙色、ジギタリスの紫が浮かび上がります。形を細密に描写するより、色の対比と方向性のある筆触によって人物の心理的な存在感を強める方法は、ゴッホの画風と絵の特徴を理解するうえでも重要です。
ゴッホはガシェ博士の何を描こうとしたのか
ゴッホが目指したのは、ガシェの職業や外見を説明する記念肖像ではありませんでした。手紙では、ガシェの肖像に「メランコリー」の表情を与えたこと、そして現代人の顔には強い表現と情熱があることを書いています。ガシェ個人の憂鬱を超えて、時代そのものが抱える疲労や不安を一人の顔に託そうとした、と考えると画面の緊張感が理解しやすくなります。
一方で、ゴッホのガシェ評価は一貫して好意的だったわけではありません。出会った直後には医師として頼れるのか疑い、のちには親しみを深めています。こうした揺れを無視して、ガシェを「理解者」か「無能な医師」のどちらかに固定してしまうと、二人の関係は単純化されます。《医師ガシェの肖像》の魅力も、尊敬と共感、違和感と親近感が同時に存在するところにあります。

『医師ガシェの肖像』には複数ヴァージョンがある
油彩の《医師ガシェの肖像》は1点ではなく、現在2点が知られています。第1ヴァージョンはF753・JH2007で、約67×56cm。第2ヴァージョンはF754・JH2014で、ほぼ同寸です。どちらも1890年6月のオーヴェルで制作されました。
第1ヴァージョンでは、ガシェの肘の近くに黄色い表紙の本が2冊あり、ジギタリスは花瓶に入っています。第2ヴァージョンでは本がなく、花はテーブル上に置かれ、背景や輪郭の処理も異なります。構図が似ているため画像検索では混同されやすいのですが、作品同定ではこの差が重要です。
第2ヴァージョンはガシェ家に残り、のちにフランス国家へ寄贈され、現在はオルセー美術館の所蔵となっています。一方、第1ヴァージョンはテオ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルらの手を経てドイツへ渡り、20世紀にはフランクフルトのシュテーデル美術館を代表する作品となりました。その後の来歴は、作品そのものの評価だけでなく20世紀美術史の激動とも結びついています。
油彩・エッチング・銅板を混同しない
ガシェ博士をモデルにした作品は油彩2点だけではありません。ゴッホはオーヴェル到着後、ガシェの家にあった版画用プレスを使い、博士をモデルにエッチングも制作しました。パイプをくわえた横向きのガシェを線で捉えた作品で、油彩の頬杖の肖像とは構図が異なります。
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エッチングは銅板に防蝕膜を施し、線を刻んで腐食させ、その版から紙へ刷る技法です。そのため、「銅板」そのものと「銅板から刷った紙の作品」は同一ではありません。美術館やアーカイブには刷りの異なるエッチングが所蔵されており、油彩2点と合わせて数えるときは、作品の種類と媒体を区別する必要があります。
ガシェは自ら版画を制作していたため、この試みは二人の美術的交流を端的に示します。医師が画家を診察するだけでなく、医師のアトリエ環境がゴッホに新しい技法を試す機会を与えたのです。
高額落札で知られる作品の来歴
1990年5月15日、ニューヨークのクリスティーズで第1ヴァージョンが8,250万ドルで落札されました。これは手数料を含む価格で、当時、美術品のオークション価格として世界最高記録でした。したがって「世界一高い絵だった」という説明をする場合は、あくまで1990年当時のオークション記録であることを明示する必要があります。
落札者は日本の実業家、齊藤了英でした。作品はそれ以前、1911年からシュテーデル美術館の所蔵品でしたが、1937年にナチ政権による「退廃芸術」措置で没収され、その後国外へ流出しました。戦後はニューヨークのコレクションに入り、メトロポリタン美術館にも長期貸与されたのち、1990年の競売に出ています。
その後の所有移転については一部が報道されていますが、現在の所有者と保管場所は公的に確認できる形では明らかになっていません。そのため、第1ヴァージョンを「現在東京にある」「特定の誰が所有している」と断定するのは避けるべきです。現在も公的に所在が明確なのは、オルセー美術館所蔵の第2ヴァージョンです。
現在どこで見られるのか
一般に鑑賞しやすいのは、パリのオルセー美術館が所蔵する第2ヴァージョンです。同館には《ガシェ博士の庭》など、ゴッホのオーヴェル期を理解するうえで重要な作品もあります。ただし、常設所蔵作品でも貸出や展示替えによって展示されていない時期があるため、訪問前には公式サイトの展示情報を確認してください。
第1ヴァージョンは個人蔵で、現在の所在は公表されていません。1990年の高額落札作品を見たいという検索意図では、オルセー美術館の作品と同一だと誤認しやすい点に注意が必要です。見た目はよく似ていますが、来歴も細部も別の作品です。
ゴッホの主要作品を年代順に見たい方は「ゴッホの代表作ランキングTOP10」、生涯全体から理解したい方は「ゴッホとは」もあわせてご覧ください。
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