フィンセント・ファン・ゴッホがフランス北部のオーヴェル=シュル=オワーズで暮らしたのは、1890年5月20日から7月29日までのわずか70日間でした。しかし、この短い期間にゴッホは74点の絵画と50点を超える素描を残しています。
ここで生まれたのが、『オーヴェルの教会』『ガシェ博士の肖像』『カラスのいる麦畑』『ドービニーの庭』『木の根と幹』など、現在ではゴッホ晩年を代表する作品です。とくに『カラスのいる麦畑』は長く「ゴッホ最後の作品」と語られてきましたが、現在のファン・ゴッホ美術館は、その後にも作品が描かれたとしており、『木の根と幹』を最後の作品である可能性が高いと考えています。
オーヴェル時代を知ることは、ゴッホの死をたどることだけではありません。村の家々や教会、医師の肖像、庭、麦畑を猛烈な勢いで描きながら、色彩や筆触、約50×100cmという横長の画面まで試した、最後の大きな実験の時期でもありました。ゴッホの生涯全体については、ゴッホとは|どんな画家?生涯と代表作をわかりやすく解説もあわせてご覧ください。
- ゴッホ最後の70日|オーヴェルで何が起きたのか
- ゴッホはなぜオーヴェル=シュル=オワーズへ移ったのか
- 最後の70日で74点の絵画|オーヴェル時代は「終末」だけではない
- 『オーヴェルの教会』|コバルトの空と揺れる建築
- 『ガシェ博士の肖像』|医師ではなく「友人」として描いた人物
- 横長の麦畑|50×100cmの画面が変えたゴッホの風景
- 『カラスのいる麦畑』はゴッホの絶筆ではない
- 『ドービニーの庭』|敬愛した画家の庭を最晩年に描く
- 『木の根と幹』|現在もっとも有力な「最後の作品」
- 1890年7月27日から29日|ゴッホ最後の二日間
- オーヴェル時代の作品は何が新しかったのか
- ゴッホとオーヴェル=シュル=オワーズのよくある質問
- まとめ|オーヴェルの70日は、ゴッホが描くことをやめなかった70日
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ゴッホ最後の70日|オーヴェルで何が起きたのか
オーヴェルへ移る直前、ゴッホは約1年間にわたりサン=レミの療養院で暮らし、『星月夜』『アイリス』『糸杉』などを制作しました。前の時代から読む場合は、ゴッホとサン=レミ|療養院で描いた『星月夜』と晩年の作品を解説をご覧ください。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 1890年5月17日 | サン=レミの療養院を離れ、パリへ到着 |
| 5月20日 | オーヴェル=シュル=オワーズへ移り、ラヴー亭で生活を始める |
| 5月下旬~6月初旬 | ガシェ医師や村の家々を描き、『オーヴェルの教会』などを制作 |
| 6月20日頃以降 | 約50×100cmの横長画面を集中的に制作 |
| 7月 | 麦畑や『ドービニーの庭』『カラスのいる麦畑』などを制作 |
| 7月27日 | 『木の根と幹』を制作した可能性が高い。同日、自らを銃で撃ったとされる |
| 7月29日 | 弟テオに見守られ、37歳で死去 |
わずか70日という数字からは、死へ向かう短い終章を想像しがちです。しかし実際の作品を時系列で見ると、花の静物、肖像、村の建築、庭、森、麦畑など主題は幅広く、画面形式まで大胆に変化しています。オーヴェルは、ゴッホが制作を止めていく場所ではなく、最後まで新しい絵画を探し続けた場所でした。
ゴッホはなぜオーヴェル=シュル=オワーズへ移ったのか
ゴッホは1889年5月から南フランスのサン=レミにある療養院で暮らしていました。1890年5月にそこを離れると、パリを経てオーヴェル=シュル=オワーズへ向かいます。パリに住む弟テオの家族から遠すぎず、自然に囲まれた静かな環境で制作を続けられることが大きな利点でした。
さらに重要だったのが、医師ポール・ガシェの存在です。画家カミーユ・ピサロの紹介を受けたガシェは、医学だけでなく美術にも詳しく、セザンヌやピサロらとも交流していました。ゴッホは到着した日の手紙で、ガシェをかなり風変わりな人物と感じながらも、友人になれるだろうという印象を書き残しています。
ゴッホが暮らしたのは、村役場前の広場にあった「ラヴー亭」です。ガシェからは一日6フランの宿を紹介されましたが、ゴッホは一日3フラン50サンチームのより安い宿を選びました。到着直後には、茅葺き屋根の古い家々が残るオーヴェルを「本当に美しい」と感じています。
テオは生活費を送り続けるだけでなく、フィンセントがサン=レミからオーヴェルへ移った最晩年にも重要な支えであり続けました。兄弟の関係については、ゴッホの弟テオとは|兄を支えた画商と「ゴッホ」を世に残した兄弟の物語で詳しく紹介しています。
最後の70日で74点の絵画|オーヴェル時代は「終末」だけではない
ファン・ゴッホ美術館の調査では、ゴッホはオーヴェルで74点の絵画と50点を超える素描を制作しました。現存するオーヴェル時代の手紙も24通あり、作品と手紙を照らし合わせることで、制作の流れをかなり具体的に追うことができます。
ゴッホは朝早くから屋外へ出て制作し、午後には作品に手を加えるという規則的な生活を続けました。村の家、教会、人物、花、庭、樹木、麦畑へと次々に対象を変えています。短期間に大量の作品を描いたことは事実ですが、それを単なる焦燥や「死の直前の狂気」と結びつけるだけでは、この時期の作品を正確に捉えられません。
とくに注目したいのが、約50×100cmの「倍正方形」と呼ばれる横長の画面です。オーヴェル作品74点のうち13点がこの形式で、12点が風景画でした。ゴッホは6月20日頃から死の直前まで、一般的ではないこの横長画面を意識的に試しています。
『オーヴェルの教会』|コバルトの空と揺れる建築
『オーヴェルの教会』は1890年6月に描かれた、オーヴェル時代を代表する作品です。現在はパリのオルセー美術館に所蔵されています。画面の中央に教会がそびえ、その前で二本の道が左右へ分かれています。
ゴッホ自身は妹ヴィレミーンへの手紙で、この教会を紫がかった建物、深く単純なコバルト色の空、ウルトラマリンのステンドグラス、紫と橙色を帯びた屋根、花のある緑と陽光を受けたピンク色の道として説明しています。実際の建物を写実的に再現するより、色彩の対比によって建物そのものに強い存在感を与えました。

教会の輪郭や屋根は波打つように歪み、空や道にも安定した遠近法とは異なる動きがあります。しかし、こうした歪みをそのままゴッホの精神状態の証拠とみなすのは適切ではありません。サン=レミ以前から続いてきた輪郭線、色彩の誇張、動きのある筆触を、建築風景に応用した作品として見ることができます。ゴッホ独特の描き方については、ゴッホの絵の特徴|厚塗り・黄色・うねる筆触・浮世絵まで徹底解説も参考になります。
『ガシェ博士の肖像』|医師ではなく「友人」として描いた人物
ポール・ガシェは1828年生まれの医師で、1858年にはメランコリーについて医学論文を書いています。一方で、美術品を収集し、自らも「ポール・ファン・リセル」の名で絵画や版画を制作するほど美術に深く関わった人物でした。オーヴェルの自宅には、セザンヌ、ピサロ、ギヨマンらも訪れています。
ゴッホとガシェの関係も、単なる「患者と医師」ではありませんでした。到着後まもなくゴッホはガシェを「すぐに友人になった」という趣旨で妹への手紙に書き、彼の肖像を描き、娘マルグリットもモデルにしています。さらにガシェの版画プレスを使い、ゴッホにとって唯一のエッチングとなるガシェの肖像も制作しました。

油彩による『ガシェ博士の肖像』には複数のヴァージョンがあります。オルセー美術館所蔵作では、白い帽子をかぶったガシェが青い服を着て、片手で頭を支えています。テーブルには薬草として知られたジギタリスが置かれています。伏せた顔や物憂げな姿勢はメランコリックですが、ゴッホは単に病んだ医師を描いたのではなく、自分と精神的な共通点を感じた人物を、強い青と赤橙色の対比によって肖像画にしました。
横長の麦畑|50×100cmの画面が変えたゴッホの風景
オーヴェル時代後半の大きな特徴が、約50×100cmという極端に横長の画面です。通常の風景画よりも左右へ視線が広がるため、空と畑の水平な広がりそのものが画面の主題になります。
代表例の一つが『荒れ模様の空の麦畑』です。暗い青の雲が画面上部を大きく占め、その下に緑と黄の畑が細長く続きます。人物や建築といった物語の手がかりはほとんどなく、空と大地の対比だけで風景の大きさを感じさせます。

そして、もっとも有名なのが『カラスのいる麦畑』です。濃い青の空、黄色い麦畑、緑の草、赤みを帯びた道、黒いカラスが強い色彩対比をつくります。道が複数方向へ伸びる構図もあり、この作品はしばしば「行き場のないゴッホ」や「死の予告」と解釈されてきました。

しかし、ゴッホ自身の手紙を読むと、より複雑です。1890年7月、ゴッホは荒れた空の下に広がる麦畑を描いた大きな作品について、「悲しみ」「極度の孤独」を表そうとしたと書く一方、それらの絵が田園の「健全で力づけるもの」も伝えられると述べています。つまり麦畑は、絶望だけを表す風景ではありませんでした。
『カラスのいる麦畑』を含むゴッホの主要作品をまとめて見たい方は、ゴッホの代表作ランキングTOP10|ひまわり・星月夜と実物が見られる美術館まで解説もご覧ください。
『カラスのいる麦畑』はゴッホの絶筆ではない
『カラスのいる麦畑』について、現在でも「ゴッホが自殺する直前に描いた最後の作品」と説明されることがあります。しかし、ファン・ゴッホ美術館はこれを根強く残る俗説として明確に否定しています。
ゴッホは『カラスのいる麦畑』のあとにも複数の作品を制作したと考えられており、作品の制作順や手紙、周囲の証言を検討すると、この絵を絶筆とすることはできません。また、カラスや分かれ道をすべて死の象徴として固定してしまうと、ゴッホ自身が同じ時期の麦畑に感じていた「田園の健全さ」まで見落としてしまいます。
晩年作品を理解するときに重要なのは、「最後に何を描いたか」だけを探すことではなく、最期まで色彩、筆触、構図、画面形式を変えながら制作していた事実を見ることです。
『ドービニーの庭』|敬愛した画家の庭を最晩年に描く
オーヴェルは、ゴッホ以前にも画家たちを惹きつけてきた土地でした。なかでも重要なのが、フランスの風景画家シャルル=フランソワ・ドービニーです。ドービニーは1861年にオーヴェルへ移り住み、自然を直接見ながら描く風景画で後世の画家たちに影響を与えました。

ゴッホは以前からドービニーを尊敬していました。オーヴェルではドービニーの未亡人の許可を得てその庭へ入り、複数の『ドービニーの庭』を制作しています。7月23日頃のテオへの手紙では、そのうちの一枚を自分でも「もっとも意識的に仕上げた作品」の一つと考えていたことがわかります。
日本では、1890年制作の『ドービニーの庭』をひろしま美術館が所蔵しています。53.2×103.5cmの横長画面で、庭の木々や花、家を水平に大きく展開した、オーヴェル後半の画面形式をよく示す作品です。日本国内で見られるゴッホ作品については、日本で見られるゴッホ作品|ひまわり・ばら・ドービニーの庭から国内美術館の所蔵作を解説で紹介しています。
『木の根と幹』|現在もっとも有力な「最後の作品」
現在、ファン・ゴッホ美術館がゴッホの「おそらく最後の絵」として挙げているのが『木の根と幹(Tree Roots)』です。1890年7月、オーヴェルで描かれた50.3×100.1cmの横長作品で、地面から露出した根や木の幹、葉を、青、緑、黄褐色などの強い色彩で画面いっぱいに描いています。

一般的な風景画のような遠い地平線はほとんど見えません。視点を斜面へ近づけ、根と幹が絡み合う部分だけを切り取ったため、何を描いているのか一瞬では判別しにくいほど形と色が密集しています。ゴッホの作品のなかでも、とりわけ抽象画に近い印象を与える構図です。
この作品を最後の一点と考える根拠の一つが、テオの義弟アンドリース・ボンゲルの証言です。ゴッホが亡くなる前、その朝に森の下草を描いていたという記録と『木の根と幹』が結びつけられています。作品には未完成とみられる部分も残ります。
ただし、『木の根と幹』についても、そこに自殺の決意や暗号を読み込む必要はありません。むしろ注目すべきなのは、死の直前までゴッホが新しい構図を試し、自然をこれほど近距離から大胆に切り取っていたことです。
1890年7月27日から29日|ゴッホ最後の二日間
1890年7月27日、ゴッホはオーヴェルで自らを銃で撃ったとされています。負傷した状態でラヴー亭へ戻り、知らせを受けた弟テオが翌日駆けつけました。ゴッホは7月29日、テオに見守られながら37歳で亡くなりました。
その死は、後世の人々がオーヴェルの作品を見る視線にも大きく影響しました。荒れた空、麦畑、カラス、分かれ道、絡み合う木の根といったモチーフが、すべてゴッホの死と結びつけて説明されるようになったからです。
しかし作品と手紙を時系列で見ると、オーヴェル時代は一方向に暗くなっていく期間ではありません。苦悩を抱えながらも制作意欲は強く、自然の生命力を見いだし、花を描き、人を描き、新しい横長画面にも挑戦していました。ゴッホの死から約半年後にはテオも亡くなります。兄の死後と作品が後世へ残されるまでの経緯は、ゴッホの弟テオとは|兄を支えた画商と「ゴッホ」を世に残した兄弟の物語で解説しています。
オーヴェル時代の作品は何が新しかったのか
ゴッホのオーヴェル時代には、それまでの画業が凝縮されると同時に、新しい試みも見られます。第一に、村の教会や家、庭、麦畑という身近な対象を、単なる風景の記録ではなく強い色彩と筆触の構成へ変えたこと。第二に、ガシェ博士のような人物を、外見だけでなく心理的な存在感まで含めて描いたことです。
第三に、約50×100cmの極端に横長の画面を集中的に用いたことが挙げられます。広い麦畑だけでなく、『ドービニーの庭』や『木の根と幹』にもこの横長形式を生かし、同じ画面比率でありながら、開けた大地から近接した樹木までまったく異なる空間をつくりました。
そして第四に、悲しみと自然から得る力を、矛盾するものとして切り離さなかったことです。ゴッホ自身が麦畑について残した言葉が示すように、晩年の風景には「孤独」と「田園の健全さ」が同時に存在します。オーヴェル作品の魅力は、この二面性を一つの画面に抱えているところにあります。
ゴッホとオーヴェル=シュル=オワーズのよくある質問
ゴッホはオーヴェル=シュル=オワーズに何日いた?
1890年5月20日に到着し、7月29日に亡くなるまでの70日間です。短い期間ですが、74点の絵画と50点を超える素描を残しました。
ゴッホはオーヴェルでどこに住んでいた?
村役場前の広場にあったラヴー亭に滞在しました。現在もゴッホゆかりの場所として知られています。
『カラスのいる麦畑』はゴッホ最後の作品?
いいえ。長く絶筆と語られてきましたが、ファン・ゴッホ美術館はその後にも複数の作品が制作されたとしており、現在は『木の根と幹』が最後の作品である可能性が高いと考えられています。
ガシェ博士とはどんな人物?
ポール・ガシェは医師であると同時に、美術収集家、アマチュア画家、版画家でもありました。ピサロやセザンヌらとも交流し、ゴッホとは患者と医師という関係を超えて親しくなりました。
オーヴェル時代のゴッホ作品はどこで見られる?
『オーヴェルの教会』『ガシェ博士の肖像』はオルセー美術館、『カラスのいる麦畑』『荒れ模様の空の麦畑』『木の根と幹』はファン・ゴッホ美術館が所蔵しています。日本では、ひろしま美術館が『ドービニーの庭』を所蔵しています。展示状況は変わるため、鑑賞前には各美術館の公式サイトで確認してください。
まとめ|オーヴェルの70日は、ゴッホが描くことをやめなかった70日
ゴッホがオーヴェル=シュル=オワーズで過ごしたのは、わずか70日でした。しかし、ここで74点の絵画と50点を超える素描を残し、『オーヴェルの教会』『ガシェ博士の肖像』『ドービニーの庭』『カラスのいる麦畑』『木の根と幹』など、現在のゴッホ像を形づくる重要作を次々に制作しました。
晩年という言葉から、これらの絵をすべて死の予兆として見てしまいがちです。けれども本人の手紙と作品をあわせて見ると、そこには悲しみだけでなく、自然から受け取る力、新しい画面への関心、色彩への実験、人物への共感がありました。
『カラスのいる麦畑』を絶筆とする物語よりも、『木の根と幹』に至るまで描き続けた70日間そのものを見ること。それによって、オーヴェルはゴッホが死を迎えた町であるだけでなく、最後まで絵画を更新し続けた場所として見えてきます。
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