ルノワールが描いた女性たちは、全員を同じ意味で「モデル」と呼ぶことはできません。初期に長くポーズを取ったリズ・トレオ、1870年代の職業モデルであるニニ・ロペス、のちに妻となったアリーヌ・シャリゴ、注文肖像のイレーヌ・カーン・ダンヴェール、友人家族のジュリー・マネ、ルノワール家で働きながら重要なモデルとなったガブリエル・ルナール、最晩年のアンドレ・ウシュリングでは、画家との関係も作品が生まれた理由も違います。
人物名だけを並べると「ルノワールはお気に入りの女性を描いた」という単純な話になりがちですが、実際には恋人、職業モデル、妻、注文主、友人の娘、家族の養育者、晩年のモデルという複数の関係が重なっています。本記事では、根拠が確認できる範囲で人物関係を整理し、代表作と結びつけて見ていきます。
ルノワールの画風全体は「ルノワールの画風と特徴」、代表作品は「ルノワールの代表作10選」で解説しています。
- リズ・トレオ|1860年代のルノワールを支えた重要モデル
- ニニ・ロペス|1870年代の職業モデル
- アリーヌ・シャリゴ|モデルから妻、家族の中心へ
- イレーヌ・カーン・ダンヴェール|職業モデルではない注文肖像
- シャルパンティエ夫人|モデルであり重要な支援者
- ジュリー・マネ|友人の娘を描いた1887年の肖像
- ガブリエル・ルナール|家族を支え、晩年の絵にも登場した女性
- アンドレ・ウシュリング|ルノワール最後期から映画史へ
- 同じ女性を何度も描くと何が分かるのか
- 「恋人」「愛人」「ミューズ」と一括りにしない
- まとめ|モデルを知るとルノワールの50年が見える
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リズ・トレオ|1860年代のルノワールを支えた重要モデル
リズ・トレオ(Lise Tréhot)は、ルノワールの初期を理解するうえで欠かせない女性です。アート・インスティテュート・オブ・シカゴの研究では、1866年から1872年まで頻繁にモデルを務めた人物として紹介され、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートは1867年の《ディアナ》について、当時ルノワールと恋人関係にあったリズがモデルだったと明記しています。
《ディアナ》では、リズは古代ローマの女神という役を与えられています。ルノワールは大画面の神話画としてサロンへの入選を狙いましたが、作品は落選しました。重要なのは、リズが「そのままのリズ」としてだけ描かれたわけではないことです。別の作品では縫い物をする女性となり、裸婦やオダリスクなど異なる役割も与えられました。
この時期からすでに、ルノワールにとってモデルは一人の人物の伝記を描くためだけの存在ではなく、主題や時代設定に応じて別の人物像へ変換される存在でした。
ニニ・ロペス|1870年代の職業モデル
ニニ・ロペスは、1870年代半ばから1880年頃までルノワールが繰り返し起用した職業モデルです。メトロポリタン美術館の《庭のニニ》、アート・インスティテュート・オブ・シカゴの研究、コートールド美術館の《ラ・ロージュ》解説はいずれも、ニニがこの時期の重要なモデルだったことを確認しています。
1874年の《ラ・ロージュ》では、ニニは劇場の桟敷席に座る華やかな観客として描かれます。背後の男性はルノワールの弟エドモンです。二人は実在のカップルを記録したものではなく、近代パリの劇場文化を成立させるために配置されたモデルです。

ニニについては、批評家ジョルジュ・リヴィエールが「時間に正確で、真面目で、控えめ」な理想的モデルだったと記したことも知られています。同じ女性が《ラ・ロージュ》では上流的な観客、《洗濯女》では働く若い女性として描かれることからも、モデルと作品中の「役」が同一ではないことが分かります。
《ラ・ロージュ》のモデルと視線については単独記事で詳しく解説しています。
アリーヌ・シャリゴ|モデルから妻、家族の中心へ
アリーヌ・シャリゴは、ルノワールの私生活と作品を最も強く結ぶ人物の一人です。1880〜1881年の《舟遊びをする人々の昼食》では、画面左下で小型犬と戯れる女性として登場します。フィリップス・コレクションも、アリーヌをルノワールの未来の妻として人物同定しています。

二人の長男ピエールは1885年に生まれ、ルノワールとアリーヌは1890年に結婚しました。その後ジャン、クロードを含む三人の息子を育てます。妻となった後もアリーヌは家族像や母子像に繰り返し登場し、単なる職業モデルとは異なる位置を占めました。
《舟遊びをする人々の昼食》では、アリーヌだけでなくカイユボット、シャルル・エフリュシ、ジャンヌ・サマリーなど、ルノワールの友人や知人が多数モデルになっています。人物関係を知ると、この大作が匿名の「楽しい人々」ではなく、画家を支えた実在の人間関係から作られていることが分かります。
作品全体については「舟遊びをする人々の昼食」で詳しく紹介しています。
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イレーヌ・カーン・ダンヴェール|職業モデルではない注文肖像
1880年の《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》のモデル、イレーヌは職業モデルではありません。銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの娘であり、作品は家族から依頼された注文肖像です。

職業モデルを使う作品では、ルノワールは同じ人物へ複数の役割を与えることができました。一方、注文肖像では本人らしさ、家族の期待、社会的な品位を満たす必要があります。それでも髪に入る青や紫、頬の赤み、暗い背景との色彩対比にはルノワール自身の画風がはっきり現れています。
イレーヌの生涯や作品の来歴、第二次世界大戦期の略奪と返還については「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」で詳しく解説しています。
シャルパンティエ夫人|モデルであり重要な支援者
マルグリット・シャルパンティエは、出版業者ジョルジュ・シャルパンティエの妻であり、ルノワールの重要な支援者でした。1878年の《ジョルジュ・シャルパンティエ夫人と子どもたち》は依頼による家族肖像で、翌1879年のサロンに出品され、大きな成功を収めました。

メトロポリタン美術館は、夫人が当時著名だったシャルル・フレデリック・ウォルトのドレスを着ていることも記録しています。ここでは人物だけでなく、家具、室内装飾、衣装、子どもたちまでが、家族の社会的な位置を示す要素として描かれました。
シャルパンティエ家との関係は、一枚の肖像の注文を超えています。彼らの社交圏を通じて、ルノワールは文化人や富裕層との接点を広げました。モデルを考えるとき、画家とポーズを取る人物だけでなく、制作を支えた注文主・支援者との関係も見る必要があります。
ジュリー・マネ|友人の娘を描いた1887年の肖像
ジュリー・マネは、ベルト・モリゾとウジェーヌ・マネの娘で、エドゥアール・マネの姪です。オルセー美術館によれば、モリゾ夫妻とルノワールは長く交流があり、1880年代後半に関係がさらに親密になり、1887年に娘ジュリーの肖像を依頼しました。

この場合もジュリーは職業モデルではなく、友人家族の子どもです。ルノワールが女性や少女を描くとき、依頼肖像、友人関係、日常的なモデル仕事は別の回路で成立していました。すべてを「ミューズ」という一語でまとめると、この違いが消えてしまいます。
ガブリエル・ルナール|家族を支え、晩年の絵にも登場した女性
ガブリエル・ルナールは1878年、アリーヌと同じエソワに生まれました。オルセー美術館の人物資料では、ルノワールに雇われて息子ジャンの乳母・養育者を務め、のちに画家のお気に入りのモデルの一人になったと説明されています。

ガブリエルはルノワール家の内側にいたため、職業モデルとは異なる距離で画家と接しました。子どもと遊ぶ姿、日常の室内、単独の女性像などに繰り返し登場します。1911年の《薔薇を持つガブリエル》は、その代表例です。
また、ジャン・ルノワールの幼少期にも大きな影響を与えました。絵画史だけでなく、のちに映画監督となるジャンの記憶にも深く残る人物です。
アンドレ・ウシュリング|ルノワール最後期から映画史へ
アンドレ・ウシュリングは、ルノワール最晩年の重要なモデルです。オルセー美術館は、彼女を本名アンドレ(デデ)・ウシュリング、後のカトリーヌ・エスランとして紹介し、ピエール=オーギュストの「最後のモデル」と位置づけています。
ルノワールの死後、アンドレは1920年に次男ジャン・ルノワールと結婚し、カトリーヌ・エスランの名でジャンの初期サイレント映画に出演しました。ルノワール晩年の絵画と、息子ジャンが進んだ映画の世界が、一人のモデルを介してつながります。
最晩年の制作環境、関節リウマチ、カーニュ=シュル=メールでの生活については「ルノワールの晩年」で詳しく解説しています。
同じ女性を何度も描くと何が分かるのか
ルノワールの作品で同じモデルを追うと、顔が似ているかどうか以上のことが見えてきます。リズ・トレオでは1860年代のサロン志向と神話画、ニニでは1870年代の都市生活と印象派、アリーヌでは友人たちとの社交と家族生活、ガブリエルやアンドレでは南フランスの晩年へと、モデルの変化がそのまま画家の生活環境と主題の変化につながっています。
同時に、同じ人物でも作品ごとに別の役を与えられます。モデルの実人生と、画面の中で演じる人物像を分けて考えることが、ルノワールの人物画を見るうえで重要です。
「恋人」「愛人」「ミューズ」と一括りにしない
ルノワールの女性モデルについては、後世の伝記や一般向け解説で「愛人」「ミューズ」「お気に入り」といった言葉が広く使われてきました。しかし人物ごとに根拠の強さは異なります。リズ・トレオについてはナショナル・ギャラリー・オブ・アートやシカゴ美術館の研究が恋人関係を明記していますが、職業モデルのニニ、注文肖像のイレーヌ、友人の娘ジュリーまで同じ関係として語ることはできません。
作品を見るときは、誰がモデルかだけでなく、なぜその人物がその作品に登場したのかを確認する方が、画家とモデルの関係を正確に理解できます。
まとめ|モデルを知るとルノワールの50年が見える
ルノワールの女性像は、一つの理想像を同じ方法で描き続けたものではありません。1860年代のリズ・トレオ、1870年代のニニ・ロペス、1880年代のアリーヌや注文肖像の女性たち、1890年代以降の家族に近いモデル、そして晩年のガブリエルとアンドレへ、モデルとの関係そのものが変化しました。
人物関係を正確に整理すると、作品は「美しい女性を描いた絵」から、ルノワールがどの時代に、誰と生活し、誰から注文を受け、どのような人物像を必要としていたのかを示す記録へ変わります。
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