動物の歌声を描く画家 正垣有紀さん インタビュー

2024年10月16日から東京都立川市の伊勢丹立川店で個展を開催する画家・正垣有紀さん(しょうがき ゆき)にイチノセイモコがインタビュー。それでは、さっそくインタビューをお楽しみください! 

動物の歌声を描く画家 正垣有紀さん インタビュー

日焼けで真っ黒!スポーツやバンドに夢中だった学生時代

――本日はよろしくお願いします。動物の歌声を絵に描かれる正垣さんですが、子どもの頃から、動物や絵、音楽に親しんでいたのでしょうか?

よろしくお願いします。私は3人兄弟の真ん中で、大阪府の箕面市(みのおし)という町で育ちました。子どもの頃は、兄を追いかけて山の中に入って遊んでいました。そのせいか、木や自然がすごく好きなんですよね。

宝塚ファミリーランドの動物園(今は閉園)のフラミンゴと正垣さん。遊園地があり動物もいて、昭和世代の関西の子供達は殆どの人が行ったことがあるかもしれません。

小学校の時はソフトボールのチームに入っていて、中学時代はテニス部。日焼けで真っ黒な子供でした。

家族で釣りへ。「もうあかん・・・」船酔いをして寝る小学生時代の正垣さん。

動物は好きでしたが、大大大好きというわけでもなかったです。仕事として本格的に動物の絵を描くようになってからは、特別な愛情を持つようになりましたね。
絵画教室で水彩画を描いていましたが、絵を描いていたのはその時間くらいで、あとは外で遊ぶ方が多かったです。

小豆島の孔雀園で。色鮮やかなクジャクにびっくり!孔雀を怖がる妹さんと餌やりをする正垣さん。

高校時代に音楽を始めました。友人と遊びでコピーバンドを組んだのですが、その時に「いつかこのバンドでCDデビューした時に、CDジャケットをデザインできたらいいな」と思ったんです。当時、私はファッション雑誌などを切り抜いてスクラップブックを作ってもいました。それを見た友人から「こういうの作るのが好きなら、グラフィックデザインとかの仕事に向いてるんじゃない?」と言われて、「そういう仕事があるんだ」と知りました。実は、それがデザイナーになろうと思ったきっかけなんですよ。

――高校生の時に趣味でやっていたことが突如、デザインの道へ進むきっかけになったのですね。

そうなんです。デザイン専門学校のイラストレーションコースで2年間学びました。「いつか本物のCDジャケットを作りたい」という夢が原動力だったので、グラフィックデザイナーを目指して専門的に絵を学ぼうと思ったんですよ。本格的に描き始めたのは、そこからですね。
でも、当時はバンドを意識していたので、今とは全然違う絵でした。昔、流行った「バンドマン」の衣装を着てる人物とか、そういう絵を自由に描いていましたね。だから、当時の友達に今の絵を見られると「全然違うね。何があってこんなに変わったん?」とよく言われます(笑)

学生時代はバンド活動をしていた正垣さん。大阪のカフェで仲間6人と壁画を描いているところ(22歳頃)

――どういう経緯で、現在のあたたかな作風に変わったのでしょうか?

最初はデザイン会社に入社したのですが、十何年か働いたあと、2002年にフリーランスになりました。とりあえず「デザインの仕事を獲得しよう!」と思って、描いた絵をアートフェアに出すことにしたんです。チャレンジでしたね。その時、たまたま「日仏アートマルシェ」という、日本とフランスをテーマにしたフェアの募集があったんですよ。そこで「日本で忘れられかけている童謡を、外国人にもアピールして知ってもらいたい」と考え、出展することにしました。

「フリーランスになって頑張ります!」 日仏アートマルシェ会場での正垣さん。

童謡「森の小人」を元に描いた作品。この展示へ出品したことがきっかけで、今のあたたかな作風へと変化していった。

童謡をテーマにした絵はデジタルで制作して、お母さんが子供に歌って教えてあげるような優しいイメージで描きました。「トンボの眼鏡」の歌だったら、私が子どもの頃、兄と一緒にトンボを追いかけたことや、トンボに向かって人差し指をくるくる回したこと、他にもみんなで紅葉を見に行った風景を思い出して描きました。そこに、空想の世界も少し取り入れています。そのチャレンジがきっかけで、今のあたたかみのある作風になったんですよね。

「患者さんの癒しになる絵を描きたい」

――初めてのアートフェア出展で、すぐにお仕事の依頼があったそうですね。

ある企業の方から「素敵な絵だから、うちで使わせてもらえないでしょうか?」と声をかけていただいたんです。目的は、病院の待合室に設置されているモニターで放映するためでした。病院のモニターでは絵の他にも、病院からのお知らせや天気予報などを順番に流していて、その中に「癒しのアート」というコーナーを作りたいということだったんですよね。「あなたの絵を見てすごく癒されると感じたので、そこに入れさせてもらっていいですか?」と言っていただきました。

病院で映像が展示された正垣さんの作品。遠く離れた「岡山の病院で見ました」というメッセージをいただいた事もあるという。「最近、自分でも箕面の病院へ行った時に見ることができました」と嬉しそうに語る。

正直に言えば、初めの頃は「病気になって気分も落ち込んでる時に、絵なんて見てくれるだろうか?」と思っていました。でも、実際にとてもたくさんの病院で映像を放映していることを教えていただいたんです。
「こんなに多くの人に見てもらっているのなら、頑張って元気づけられるような絵を描きたい」「患者さんのために、癒しになる絵を描きたい」と思い直し、そこからは一心に描きました。その時は患者さんのためだけに描いていたんです。

――何かきっかけがあって、考えが変わったのでしょうか?

そうですね。私自身が癌にかかったんです。日本では「国民病」と言われるほど珍しくもない病気なのですが、それが自分に降りかかってきたとわかったときは、かなり狼狽しました。その後、入院していたので、しばらくは絵を描けない時期を過ごしていたんですよ。
そんなある日、夫が突然、犬を買ってきてくれたんです! 私が退屈そうに見えたのかもしれませんね。それまで私は動物の絵を描いていたし、やっぱり動物が好きなのでうれしかったです。それからは、今まで一人で過ごしていた時間を、犬と過ごすようになりました。犬にせがまれて強制的にお散歩に行かされることも(笑) 
犬は私に甘えるんですよね。私が病気のことで気が滅入って、誰かに支えてもらいたいと弱気になっていても、犬に甘えられたらなんだか自信が湧くんですよ。動物は人を健康にさせてくれます。

シイタケ狩りに行った時の愛犬ベルと正垣さん。「普段はおとなしい犬なのですが、足とかおしりとかをお手入れしようとすると狂暴化して噛みついてきます(笑)」と語る。

それに、動物は話しかけてきます。人間の言葉をしゃべっているわけではないですが、毎日一緒にいると「今、この子は何を伝えたがっているのかな?」とこちらが必死で読みとろうとするようになるんですよ。たとえば、「ねぇねぇお水飲みたいから見てーねぇお尻もちょっと触っといて。そしたらたくさんお水飲めるねんー安心してお水飲めるねん。めっちゃ飲んだで!」って歌ってるのかなあ、とかね。私は昔、バンドをしていたので、今でもやっぱり音楽が好きで犬の言葉が歌に聞こえるのかもしれません。バンドをしていた時は歌詞に曲をつけていましたが、今は歌詞に絵をつけています。
自分が病気になる前は患者さんに喜んでもらうことだけを考えて描いていたんですけど、今は自分も癒されると感じる絵を描くようになりました。以前から私の絵を知っている画家さんに、「だんだん明るい絵になってきたね」と、よく言われるんですよ。今は病気のことで煩わされることがあまりなく、楽しんで描けていると思います。

『月のハープ』 正垣有紀
デジタル画ジクレー、13.5×13.5cm、限定部数10

――病気になったことがきっかけでご自分のためにも描くようになったのですね。絵の題材にもなっている動物の歌は、どんな時に聞こえてくるのでしょうか?

一つの例ですが、家の周りにいるカラスを眺めていると、カラスは金網の上でぴょんぴょんぴょんって飛んで歩くんです。その様子が可愛いのでしばらく見ていると、跳ねている時に片足を踏み外して「ずるっ」となることがあるんですよね。そういうのを見た瞬間に歌が聞こえてくるんです。「僕はキラキラ光るものが好き。キラキラピカピカ装飾する。僕は目玉も宝石になっちゃった。ぴょんぴょん跳ねたら光って前が見えなくて、足を踏み外した。けれど僕はまたぴょんぴょん跳ねて、キラキラピカピカ探しに行くよ」という感じですね。

『秋の夜長』 正垣有紀
デジタル画ジクレー、13.5×13.5cm、限定部数25

以前、描いていた絵は、動物から聞こえてくる歌声ではなく、「こういう場所があるから君もおいで。忙しい日々も忘れられるよ」と疲れた人を誘うような、癒される風景画がメインでした。でも、たまたま自分が病気になり、犬と出会ってからは、自然と動物の歌声に耳を傾けられるようになったんです。

正垣さんの地元大阪府箕面市は、野生の猿で有名。箕面の滝まで遊びに行く際に名物「もみじの天ぷら」を食べながら歩くのだが、待ち構えた猿に奪われたことも。「猿って元気でこわいですよ~!」と語る。
枯れることのない力強い箕面の滝と、美しい紅葉。

――自然な流れで生まれた作風だったのですね。

フリーになって最初に病院の仕事が飛びこんできて、それが20年くらい続いたんです。長らく、病院の患者さんのために絵を描いてきました。そんな中、自分の病気が発覚して、とても弱気になってしまい、しばらくは絵を続けられない状態におちいっていたんです。

『花鳥風月』 正垣有紀
デジタル画ジークレー、16.2×26.3cm、限定部数10

病気になったとわかった時、じつは数ヶ月後に個展を控えていたんです。事情を話して、1年延期してもらいました。その後も通院しながら描き続けました。
最初にお仕事をいただいた時は「人を元気づけたい」と思っていたのですが、自分が病気を抱える立場になると、絵を描くことが人のためだけじゃなくて自分のためにもなっていることに気づいたんです。病気が良くなって、自分の仕事をよりポジティブにとらえられるようになりました。今は、それがもっと進んで「自分が楽しいから描いている」になってきた気がしていますね。振り返ってみると、私はいつの間にか「生きる」に繋がる仕事を長く続けていたんだと思います。

――ありがとうございました。今後、どのような画家活動をされるのか楽しみにしております。

(聞き手・文/イチノセイモコ)

正垣有紀さんのプロフィール

正垣 有紀 (しょうがき ゆき)

展示歴
2004  個展 神戸
2005  個展 姫路
2009  個展 大阪
2016  個展 山陽百貨店/姫路
2022  個展 高槻阪急/大阪
2023  2人展 近鉄百貨店橿原店/奈良
2024  個展 伊勢丹浦和店/埼玉
    他多数

受賞歴
2004  日本綿業振興会 イラスト優秀賞
2018  ゆうちょ銀行 マチオモイ帖カレンダーイラスト関西版
2021  西淀川アートターミナル CanvasChallengeグランプリ

作品解説 正垣有紀『久遠の森』について

『久遠の森』
正垣有紀

デジタル画ジークレー 32.6×54.2cm、限定部数10

 元々は病院の患者の方々のために描かれた作品。作者はこの作品について「誰も行ったことのない、見たこともない、久遠の美しい自然を描きたい。それはどんなところだろうと思いスケッチを重ねた」と語っています。
 永遠に枯れることのない滝の傍で、思い思いに生命を謳歌する動物たち。ブランコがあり人間も訪れる場所なのでしょう。
 久遠の森の久遠とは、時が無窮なこと・永遠または遠い昔とあります。作品の中で生命の源として描かれている「滝」には、幼いころから見て育った巨大な箕面の滝が投影されているようです。患者たちに「元気になってもらいたい」と思い描かれたこの1枚は、作者自身の遠い昔の楽しかった記憶から描き出された1枚でもあるのです。

  (作品解説 福福堂)

正垣有紀さんの展覧会情報

正垣有紀 絵画展
~ココロノウタ~

2024年10月16日(水)~22日(火) 
10時~18時30分〔最終日午後5時終了〕
伊勢丹立川店 8階 アートギャラリー

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