ミケランジェロ『ロンダニーニのピエタ』とは|未完成の最後の彫刻を解説

ミケランジェロの若き日の『ピエタ』を知っている人ほど、『ロンダニーニのピエタ』を初めて見たときには驚くかもしれません。ヴァチカンの『ピエタ』では、大理石は肌のようになめらかに磨かれ、聖母マリアの膝にはキリストの身体が静かに横たわっています。しかし、それから60年以上を経て生まれた『ロンダニーニのピエタ』では、二人の身体は細長く引き伸ばされ、表面には鑿の跡が残り、マリアとキリストは一つの石へ溶け合うように見えます。

しかも、これは制作途中で放置された作品ではありません。ミケランジェロは88歳になってもこの大理石を繰り返し彫り直し、1564年2月12日まで制作を続けました。亡くなったのは、そのわずか6日後の2月18日です。現在の姿には、完成した部分、削り直された部分、以前の構想の名残が同時に残っています。

若き日に人体の美しさを極限まで磨き上げた彫刻家は、なぜ最後に、これほど細く、荒々しく、未完成に見える像へたどり着いたのでしょうか。『ロンダニーニのピエタ』を詳しく見ていくと、ミケランジェロの60年以上に及ぶ彫刻家人生の終着点が見えてきます。

『ロンダニーニのピエタ』 ミケランジェロ 1552~1564年頃 大理石 スフォルツェスコ城所蔵
『ロンダニーニのピエタ』 ミケランジェロ 1552~1564年頃 大理石 スフォルツェスコ城所蔵

『ロンダニーニのピエタ』とは

『ロンダニーニのピエタ』は、ミケランジェロ・ブオナローティが1550年代前半から1564年にかけて取り組んだ大理石彫刻です。十字架から降ろされた死せるキリストと、その身体を支える聖母マリアを表しています。

作品名 『ロンダニーニのピエタ』
作者 ミケランジェロ・ブオナローティ
制作時期 1552~1564年頃
技法・素材 大理石彫刻
寸法 196×70×73cm
所蔵 スフォルツェスコ城 ロンダニーニのピエタ美術館(ミラノ)
状態 未完成

「ピエタ」とは、死せるキリストを聖母マリアが悼む姿を表したキリスト教美術の主題です。ミケランジェロは20代のとき、現在サン・ピエトロ大聖堂にある『ピエタ』で一躍名声を高めました。しかし晩年になると、再びこの主題へ戻り、『バンディーニのピエタ』、そして『ロンダニーニのピエタ』へと取り組みます。

同じ「聖母と死せるキリスト」という主題でありながら、青年期と最晩年では、その表し方が大きく変化しています。

なぜ未完成なのか|死の6日前まで彫り続けていた

『ロンダニーニのピエタ』が未完成なのは、単にミケランジェロが途中で制作意欲を失ったからではありません。彼は高齢になってからもこの作品を何度も削り直し、亡くなる直前まで鑿を入れていました。

ミケランジェロが死去したのは1564年2月18日です。ミラノに残る作品史料では、2月12日までこの大理石に取り組んでいたことが記録されています。つまり、現在見る姿は「ある程度作って放置した未完成品」ではなく、ミケランジェロが最後まで形を変え続け、その途中で生涯が終わった作品なのです。

死の翌日、ローマの工房で作成された財産目録にも、キリストともう一人の人物が一体になった「粗彫りで未完成」の像が記されています。さらにミケランジェロの死後、弟子で画家でもあったダニエレ・ダ・ヴォルテッラも、この作品についてヴァザーリへ書き送っています。

『ロンダニーニのピエタ』を見るうえで大切なのは、「なぜ完成させなかったのか」と考えることよりも、「死の直前まで、なぜ完成した形を壊してまで彫り直し続けたのか」と考えることです。

何を彫り直したのか|キリストの右腕に残る以前の姿

作品をよく見ると、現在の細いキリストの身体とは別に、左側へ一本の腕が残っていることに気づきます。これは壊れた別の彫刻がくっついているのではありません。以前の構想で彫られていた、キリストの右腕の名残です。

ミケランジェロは一度形にしたキリストの身体を、そのまま仕上げようとはしませんでした。胴体をさらに細く削り、頭部の位置や大きさを変え、腕の形を作り直していきます。その結果、以前の身体から切り離された右腕だけが、過去の構想を示す痕跡として残りました。

脚を見ると、比較的なめらかに形が整えられている部分があります。一方、胴体や顔には粗い鑿跡が残り、マリアの身体との境界もはっきりしません。一つの彫刻の中に異なる制作段階が残っているため、私たちはミケランジェロがどの部分を残し、どの部分を捨て、どの方向へ作り変えようとしたのかを追うことができます。

オックスフォードのアシュモリアン美術館には、この時期のピエタや埋葬を検討した素描も残されています。ミケランジェロは大理石だけを前に即興的に削り続けていたのではなく、紙の上でも人物の組み合わせを繰り返し考えていました。

なぜマリアとキリストが一つに見えるのか

『ロンダニーニのピエタ』で最も不思議なのは、誰が誰を支えているのか、一目ではわかりにくいことです。キリストは死んでいるはずですが、完全に横たわってはいません。細長い身体はほとんど立ったままで、背後からマリアが抱きかかえています。

ところが二人の身体を上から下へ見ていくと、マリアとキリストの境界は次第に曖昧になります。マリアの腕はキリストを包み込み、二人の上半身は同じ大理石の塊へ戻っていくようです。青年期の『ピエタ』では「抱く母」と「抱かれる息子」が明確に分かれていましたが、ここでは二人を切り離して考えること自体が難しくなっています。

さらに、作品には相反する動きが見えます。死んだキリストが重力に従って下へ沈んでいるようにも見えれば、マリアの身体からキリストが静かに立ち上がってくるようにも見えます。そのため、この像には十字架からの降下や埋葬だけでなく、その先にある復活まで重ねて読む解釈があります。

もちろん、ミケランジェロが一つの明確な答えを残したわけではありません。だからこそ、死者を抱える像でありながら「下降」と「上昇」の両方が感じられることが、『ロンダニーニのピエタ』の大きな特徴になっています。

『ピエタ』 ミケランジェロ 1498–1499年頃 大理石 174×195×69cm サン・ピエトロ大聖堂所蔵
『ピエタ』 ミケランジェロ 1498–1499年頃 大理石 174×195×69cm サン・ピエトロ大聖堂所蔵

「へ~」「そうなんだ!」朝の1分、ちょっと朝活

Q1. モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?
Q2. ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?
Q3. 印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録無料・毎週火曜朝7:30ごろ・いつでも配信停止できます。

ヴァチカンの『ピエタ』とは何が違うのか

ミケランジェロの変化を最もわかりやすく見る方法は、20代で制作したヴァチカンの『ピエタ』と並べることです。どちらもマリアと死せるキリストを主題にしていますが、約60年を隔てた二作は、同じ彫刻家の作品とは思えないほど異なります。

作品 制作時期 構成 大理石の表現 特徴
ヴァチカンの『ピエタ』 1498~1499年 座るマリアの膝にキリストが横たわる 高度に研磨され、肌や衣まで精密 安定した三角形、理想的な人体美
『バンディーニのピエタ』 1547~1555年頃 キリストを4人で構成 完成部分と未完成部分が混在 墓と死を意識した複雑な群像
『ロンダニーニのピエタ』 1552~1564年頃 立つようなキリストをマリアが支える 粗い鑿跡と削り直しが残る 二人の身体が一体化するように見える
『ピエタ』 ミケランジェロ 1498–1499年頃 大理石 サン・ピエトロ大聖堂所蔵
青年期の『ピエタ』 ミケランジェロ 1498–1499年頃 大理石 サン・ピエトロ大聖堂所蔵

青年期の『ピエタ』では、ミケランジェロは硬い大理石から柔らかな肉体や布を生み出す能力を見せつけました。胸や腹部、手足、衣の襞まで細かく作り込み、表面を磨き上げることで、石であることを忘れさせようとしています。

ところが『ロンダニーニのピエタ』では、その方向から大きく離れます。人体を豊かに肉付けするのではなく、むしろ削り、細くし、形を減らしていきました。『ダヴィデ』のような英雄的な肉体を生み出したミケランジェロが、最後には身体の量感そのものをそぎ落としていったことは、この作品を考えるうえで非常に重要です。

『バンディーニのピエタ』 ミケランジェロ 1547~1555年頃 大理石 フィレンツェ大聖堂付属美術館所蔵。Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0
『バンディーニのピエタ』 ミケランジェロ 1547~1555年頃 大理石 フィレンツェ大聖堂付属美術館所蔵。Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0

『バンディーニのピエタ』から何が変わったのか

『ロンダニーニのピエタ』の直前に位置する重要な作品が、フィレンツェ大聖堂付属美術館にある『バンディーニのピエタ』です。ミケランジェロは1547年頃からこの大規模な群像に取り組み、自らの墓に置くことも考えていたとされています。

『バンディーニのピエタ』では、死せるキリストを聖母マリア、マグダラのマリア、ニコデモが囲みます。ニコデモの顔にはミケランジェロ自身の面影が刻まれ、自分自身がキリストの遺体を支える人物として作品の中へ入っています。

しかしミケランジェロは、この作品にも満足しませんでした。制作途中で像を損傷させ、一部は弟子ティベリオ・カルカーニによって手を加えられています。四人の人物を複雑に組み合わせた『バンディーニのピエタ』に対し、『ロンダニーニのピエタ』では人物をマリアとキリストへ絞り込み、構成そのものを極端なほど単純化していきました。

晩年の二つのピエタを続けて見ると、ミケランジェロが「より多く彫る」方向ではなく、「何を残すか」という方向へ進んでいたことがわかります。

未完成は「ノン・フィニート」なのか

ミケランジェロの彫刻を語るとき、「ノン・フィニート」という言葉がよく使われます。イタリア語で「未完成」を意味し、大理石の粗い部分と仕上げられた人物が同時に残ることで、まるで人間が石の中から現れてくるように見える表現です。

ただし、『ロンダニーニのピエタ』を「ミケランジェロが意図的に未完成のまま完成させた作品」と断定するのは適切ではありません。彼は実際に死の直前まで形を変え続けており、作業の途中で生涯が終わったからです。

現在の像には、ミケランジェロ自身が選んで削り落とした形と、これからさらに彫るつもりだった可能性のある部分が共存しています。どこまでが最終的な意図で、どこからが死によって中断された状態なのかを完全に分けることはできません。

それでも、粗い表面や細く削られた身体が作品の表現を弱くしているわけではありません。むしろ、完璧な人体を作り上げることを目指した青年期とは異なる、晩年のミケランジェロの彫刻観を強く感じさせるものになっています。

なぜ「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれるのか

「ロンダニーニ」は聖書に登場する人物の名前でも、制作地の名前でもありません。作品がかつてローマのロンダニーニ家のコレクションに入っていたことに由来します。

ミケランジェロの死後、この彫刻はローマの工房に残されました。その後の所在には不明な時期がありますが、1807年にはローマのロンダニーニ家の宮殿にあったことが確実に確認できます。そこから、現在まで続く『ロンダニーニのピエタ』という名称が定着しました。

20世紀になると作品への評価が高まり、1949年に売却の動きが起こります。最終的にミラノ市が1952年に取得し、スフォルツェスコ城の市立美術コレクションへ加えました。

1956年からは建築家グループBBPRによる展示空間で公開されていましたが、2015年にはスフォルツェスコ城内の旧スペイン兵病院を改装した専用の「ロンダニーニのピエタ美術館」が開館しました。ミケランジェロの最後の彫刻一作を中心に空間そのものが設計されています。

『ロンダニーニのピエタ』はどこで見られる?

『ロンダニーニのピエタ』は、イタリア北部の都市ミラノにあるスフォルツェスコ城で見ることができます。城内の旧スペイン兵病院を利用した「ロンダニーニのピエタ美術館」に展示されています。

作品を見るときは、最初から「未完成だから粗い」と考えず、仕上がりの異なる部分を見比べてみてください。比較的形が整ったキリストの脚、以前の構想から残された右腕、細く削り直された胴体、ほとんど一体化するマリアとキリストの上半身を順に追うと、ミケランジェロがどこを作り変えたのかが見えてきます。

そして、可能であればヴァチカンの『ピエタ』の画像もあらかじめ見比べてください。20代で大理石を完璧な肉体へ変えた彫刻家が、80代になって何を削り落とそうとしていたのか。その違いこそ、『ロンダニーニのピエタ』を見る面白さです。

まとめ|ミケランジェロが最後まで彫り続けたもの

『ロンダニーニのピエタ』は、ミケランジェロが人生の最後まで取り組んだ未完成の大理石彫刻です。死せるキリストと聖母マリアという、若き日に名声を得た『ピエタ』と同じ主題へ戻りながら、最晩年にはまったく異なる形へたどり着きました。

なめらかな肌も、均整のとれた人体も、壮大な英雄性もここでは後退しています。代わって現れるのは、細く削られた二人の身体と、母と子の境界が消えていくような形です。さらに作品には、以前のキリストの右腕まで残され、ミケランジェロが一度作った形を壊しながら別の像を探していた過程そのものを見ることができます。

1564年2月12日まで鑿を握り、6日後に88歳で亡くなったミケランジェロ。『ダヴィデ』や『最後の審判』のような巨大な肉体を作り続けた芸術家が、その最後に残したのは、二つの身体がほとんど一つになる静かな像でした。未完成だからこそ重要なのではなく、最後まで完成した形を決めず、削り直し続けたこと自体が、この作品の大きな魅力なのです。

関連記事

登録無料 毎週火曜 朝7:30ごろ 3つのQ&A

福福堂編集部の無料メールマガジン

朝の1分で、美術の「へ~」を3つ。

美術に詳しくなくても楽しめる3つのアートQ&Aを、毎週火曜朝7:30ごろ無料でお届けします。

・モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?

・ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?

・印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録に必要なのはメールアドレスだけです。配信停止はメール末尾のリンクからいつでも行えます。

書画家・伊藤一樹

東京都・埼玉県限定 2026年12月15日までの開催分

講演歴17年以上・全国500回以上。 伊藤一樹の講演会を、講演料無料で。

中学校・高校・教育委員会から企業研修まで。心の不調を乗り越えた書画家・伊藤一樹が、実体験をもとに「あなただからこそできることがある」を語ります。

  • 講演時間25~70分
  • 約5分の書画ライブ可
  • 会場・日時未定でも相談可
講演料
0円

福福堂が講演料を負担します。主催者様は、岐阜県恵那市から会場までの交通費実費のみご負担ください。

お問い合わせ・詳細・申込はこちら

学校行事・企業研修・安全大会・健康・人権・福祉研修などにご相談いただけます。

タイトルとURLをコピーしました