風景画家を募集しています INSHO-HA 現代の印象派 風景画コンテスト 応募締切 12月12日 詳細を見る →

ゴッホの自画像とは|何点ある?耳の左右・年代別の変化と代表作を解説

フィンセント・ファン・ゴッホは、生涯の後半、とくにパリ時代からサン=レミ時代にかけて数多くの自画像を描きました。自画像は単なる「自分の顔の記録」ではありません。モデルを雇う費用を節約しながら人物画を練習し、色彩、筆触、補色、点描的なタッチを試すための実験の場であり、同時に「画家として自分をどう見せるか」を考える作品でもありました。

この記事では、ゴッホの自画像を一枚ずつ独立して見るのではなく、1886年から1889年までの作品群として整理します。何点あるのか、なぜ何度も自分を描いたのか、耳を傷つけた側と絵の左右がなぜ一致しないのか、そして「最後の自画像」はどれなのかまで、年代順に見ていきます。ゴッホの生涯全体はゴッホとは|どんな画家?生涯と代表作、筆触や色彩の特徴はゴッホの絵の特徴で詳しく解説しています。

ゴッホの自画像とは

ゴッホの自画像は、1886年にパリへ移ってから急速に増えます。弟テオと暮らしたパリで、印象派、新印象派、シニャックやスーラ周辺の色彩理論に触れたゴッホは、自分の顔を繰り返し描きながら、新しい技法を試しました。短い筆触、点描に近い色の分割、補色の対比、帽子や衣服の色を変えた多様な表現が次々に現れます。

重要なのは、これらが同じ顔を反復しただけではないことです。ある作品では労働者のような麦わら帽子をかぶり、別の作品では都会の画家らしいフェルト帽をかぶり、さらに別の作品ではパレットと筆を持って「画家」として自分を示します。ゴッホは自画像を通して、人物画の技術だけでなく、自分自身の社会的な姿や画家像も組み立てていました。

ゴッホ『自画像』1887年、シカゴ美術館所蔵
『自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1887年/油彩・板/41×32.5cm/シカゴ美術館所蔵

ゴッホはなぜ自画像を何度も描いたのか

大きな理由の一つは、人物モデルを雇う費用でした。パリ時代のゴッホは経済的に余裕がなく、人物画を練習したくても、継続してモデル料を払うことは簡単ではありませんでした。メトロポリタン美術館は、ゴッホが「モデルがいないので自分を描くため、十分な鏡を買った」という趣旨の手紙を紹介しています。つまり自画像は、最も身近で、何度でも使える人物モデルだったのです。

ただし、節約だけで説明すると自画像群の意味を小さくしてしまいます。ゴッホは自分の顔を使って、肌の色と背景色の関係、青と橙、赤と緑といった補色、短い筆触の方向、輪郭線の強弱を試しました。自画像は「人物画の練習」と「色彩・筆触の研究」を同時に行える実験場でした。さらに1888年以降は、仲間に送る自画像や、画家としての自己像を示す作品が加わり、自己表現としての意味も強くなります。

自画像は何点あるのか

「ゴッホの自画像は何点あるのか」という問いには、ひとつの数字だけで答えない方が正確です。絵画だけを数えるのか、素描も含めるのか、裏面に描かれた作品や帰属の再検討をどう扱うのかで数字が変わるためです。オルセー美術館は、絵画と素描を合わせて「43点を超える自画像」と説明しています。一方、解説書や展覧会では「約35点」「40点前後」など別の数え方も見られます。

したがって本記事では、「ゴッホは油彩・素描を含め多数の自画像を残し、一般に40点前後、数え方によっては43点を超えるとされる」と整理します。とくにパリ滞在中の1886〜1888年には20点を超える自画像が制作され、短期間に画風が大きく変化したことがわかります。作品数を調べる際は、同名作品が多いことにも注意が必要です。

パリ時代|色彩と筆触を試した自画像

1886年にパリへ移った直後のゴッホの自画像には、まだ暗い色調が残っています。しかし1887年になると画面は一気に明るくなり、短いストロークや点描的なタッチが目立つようになります。顔そのものより、背景と顔をどう色で響かせるかに関心が移っていくのが特徴です。

『灰色のフェルト帽の自画像』では、背景に青と橙、顔や髭に赤と緑といった補色関係が使われています。短い筆触が頭部の輪郭に沿って放射状に並び、人物と背景が同じリズムで動いて見えます。写実的に顔を再現するより、色彩そのものによって人物の存在感をつくる方向へ進んでいることがわかります。

ゴッホ『灰色のフェルト帽の自画像』1887年、ファン・ゴッホ美術館所蔵
『灰色のフェルト帽の自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1887年/油彩・綿布/44.5×37.2cm/ファン・ゴッホ美術館所蔵

帽子をかぶった自画像から見る変化

ゴッホのパリ時代の自画像には、灰色のフェルト帽、麦わら帽子など、帽子をかぶった作品が多くあります。帽子は単なる小道具ではありません。服装を変えることで、都会の画家、労働者、南仏を思わせる人物像など、自分自身の見え方を変えることができました。

『麦わら帽子の自画像』では、明るい背景と黄色い帽子に対して、青や緑、赤みのある髭が細かな筆触で置かれています。メトロポリタン美術館は、この作品をゴッホが新印象派の技法と色彩理論を理解していたことを示す例として位置づけています。

ゴッホ『麦わら帽子の自画像』1887年、メトロポリタン美術館所蔵
『麦わら帽子の自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1887年/油彩・キャンバス/40.6×31.8cm/メトロポリタン美術館所蔵

パレットと筆を持つ「画家としての自画像」

パリ生活の終盤に描かれた『画家としての自画像』では、ゴッホはパレットと筆を持ち、職業としての画家をはっきり示しています。これは鏡に映った顔を描くだけの習作ではなく、「自分は画家である」という自己像を意識した作品です。人物の周囲にも細かな筆触が広がり、顔、上着、背景が一体となって動くような画面になっています。

ゴッホ『画家としての自画像』1887年末〜1888年初頭、ファン・ゴッホ美術館所蔵
『画家としての自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1887年末〜1888年初頭/油彩・キャンバス/65.1×50cm/ファン・ゴッホ美術館所蔵

「へ~」「そうなんだ!」朝の1分、ちょっと朝活

Q1. モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?
Q2. ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?
Q3. 印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録無料・毎週火曜朝7:30ごろ・いつでも配信停止できます。

アルル時代と耳を傷つけた後

1888年2月、ゴッホはパリを離れて南フランスのアルルへ移りました。ここでは『ひまわり』『夜のカフェテラス』『アルルの寝室』など、強い色彩で知られる作品を次々に制作します。自画像の役割も変化し、単なる技法研究だけでなく、他の画家に見せる「自分の肖像」という意味が強くなります。

代表例が、1888年にゴーギャンへ送った『ゴーギャンに捧げる自画像』です。頭髪を短くした顔を平面的に描き、自分を修道僧のような厳しい人物像として示しました。この作品交換の背景は、ゴッホとゴーギャン|アルルの共同生活と耳切り事件で詳しく解説しています。

ゴッホ『ゴーギャンに捧げる自画像』1888年、ハーバード美術館フォッグ美術館所蔵
『ゴーギャンに捧げる自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1888年/油彩・キャンバス/ハーバード美術館フォッグ美術館所蔵

包帯をした自画像|耳はなぜ左右逆に見えるのか

1888年12月、ゴッホはアルルで自ら左耳を傷つけました。翌1889年1月、退院後に描かれたのが『包帯をした自画像』です。ここで混乱しやすいのが、実際に傷つけた耳と、絵の中で包帯が見える側が一致しないことです。

ゴッホが傷つけたのは左耳です。しかし自画像では、鑑賞者から見て画面右側の耳に包帯があるように見えます。これはゴッホが鏡を見て自分を描いたためです。鏡像をそのまま描けば左右が反転するので、絵だけを見て「右耳を傷つけた」と判断することはできません。コートールド・ギャラリーも、左耳の傷が鏡像のため作品では右側に表れていると明記しています。

この作品は事件の記録であると同時に、制作再開の宣言でもあります。背景にはイーゼルと日本の版画が描かれ、ゴッホが再び画家として仕事へ戻ろうとしていることが示されています。

ゴッホ『包帯をした自画像』1889年1月、コートールド・ギャラリー所蔵
『包帯をした自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1889年1月/油彩・キャンバス/60.5×50cm/コートールド・ギャラリー所蔵

サン=レミ時代の自画像

1889年5月、ゴッホはアルルを離れ、サン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール療養院へ入りました。この時期の自画像では、パリ時代の細かな色彩研究とは異なり、顔、衣服、背景をうねるような筆触が包み込みます。自画像の顔だけが画面から独立しているのではなく、人物そのものが周囲の空気と同じ動きの中に置かれているのが特徴です。

1889年のナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵作では、青緑の背景と渦を巻くような筆触の中に、赤みを帯びた髭と顔が浮かびます。サン=レミでの風景画に見られる動きと、自画像の人物表現が近づいていることがわかります。療養院での制作全体についてはゴッホとサン=レミ|療養院で描いた『星月夜』と晩年の作品もご覧ください。

ゴッホ『自画像』1889年、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵
『自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1889年/油彩・キャンバス/57.2×43.8cm/ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵

ゴッホ最後の自画像はどれか

「ゴッホ最後の自画像」として最もよく紹介される作品の一つが、1889年9月にサン=レミで描かれたオルセー美術館所蔵の『自画像(画家の肖像)』です。青緑の背景が大きくうねり、顔の橙色と強い補色関係をつくっています。オルセー美術館はこの作品を1889年作として所蔵し、ゴッホの代表的な晩年の自画像として紹介しています。

ゴッホ『自画像(画家の肖像)』1889年9月、オルセー美術館所蔵
『自画像(画家の肖像)』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1889年9月/油彩・キャンバス/65×54.2cm/オルセー美術館所蔵

ただし、これを無条件に「最後の一枚」と断定するのは慎重であるべきです。1889年9月末頃とされる『ひげのない自画像』もあり、制作順や作品同定の整理によって「最後」の扱いが変わるためです。ゴッホの自画像は同時期の作品が多く、制作月まで確定できないものもあります。したがって、「オルセー美術館所蔵作は最後期を代表する自画像であり、最後の自画像候補の一つ」と見るのが安全です。

ゴッホ『ひげのない自画像』1889年9月末、個人蔵
『ひげのない自画像』/フィンセント・ファン・ゴッホ/1889年9月末/油彩・キャンバス/40×31cm/個人蔵

代表的な自画像を年代順に比較

1887年|パリで人物画と色彩を研究

パリ時代の『自画像』『麦わら帽子の自画像』『灰色のフェルト帽の自画像』では、短い筆触と補色の研究が中心です。ゴッホは自分の顔を使い、印象派・新印象派から学んだ色彩を何度も試しました。同じ1887年でも作品ごとに背景色や帽子、髭の色、筆触が大きく異なります。

1887年末〜1888年初頭|「画家」として自分を見せる

『画家としての自画像』では、パレットと筆を持つことで職業的な自己像が明確になります。自画像は練習用のモデルから、画家としてのアイデンティティを示す肖像へ変化していきます。

1888年|仲間へ送る自画像

アルルで制作した『ゴーギャンに捧げる自画像』は、他の画家との関係の中で描かれた自画像です。ゴッホは自分をどう見せるかを意識し、相手に送るための自己像を作りました。

1889年1月|事件後の制作再開

『包帯をした自画像』は、耳の事件直後の姿を描きながら、背景にイーゼルと日本版画を置いています。単なる負傷の記録ではなく、画家として再び制作する姿を示す作品です。

1889年|サン=レミで筆触が人物と背景を包む

サン=レミの自画像では、背景のうねる線と人物の筆触が一体化します。パリ時代の「色を試す自画像」から、画面全体の動きの中で人物を表現する自画像へ変わったことが見て取れます。

自画像を見るときに注意したい同定と真贋

ゴッホの自画像を調べるときは、ファイル名や見た目だけで作品を同定しないことが重要です。同じ「自画像」という題名の作品が多数あり、帽子の有無、髭、背景色、制作年、支持体、寸法、所蔵先を照合しなければ別作品を取り違える可能性があります。作品カタログではF番号(デ・ラ・ファイユ番号)やJH番号(フルスカー番号)が併記される場合がありますが、一般向けの記事では番号よりも作品名・制作年・寸法・所蔵を一致させる方が実用的です。

また、帰属が再検討された自画像もあります。ゴッホ作品の真贋研究は、筆触や様式だけでなく、キャンバス、顔料、来歴、手紙、他作品との比較など複数の要素で判断されます。「似ているからゴッホ」「自画像らしいから本人作」といった判断は避ける必要があります。

ゴッホの自画像から見える画風の変化

ゴッホの自画像を年代順に並べると、画風の変化が非常にわかりやすく見えます。パリでは短い筆触と補色を試し、アルルでは平面的で強い色彩と画家としての自己像をつくり、サン=レミでは人物と背景をうねる筆触で一体化させました。自画像は、ゴッホの顔を知るためだけの作品ではなく、約3年間に彼の絵がどのように変わったのかを追える「画風の記録」でもあります。

ゴッホの代表作全体を年代や所蔵館とともに見たい方はゴッホの代表作ランキングTOP10もあわせてご覧ください。

関連記事

登録無料 毎週火曜 朝7:30ごろ 3つのQ&A

福福堂編集部の無料メールマガジン

朝の1分で、美術の「へ~」を3つ。

美術に詳しくなくても楽しめる3つのアートQ&Aを、毎週火曜朝7:30ごろ無料でお届けします。

・モネはなぜ同じ景色を何枚も描いたの?

・ゴッホの『ひまわり』は何枚あるの?

・印象派という名前は誰が付けたの?

この3問の答えは、登録後すぐにメールで届きます。

登録に必要なのはメールアドレスだけです。配信停止はメール末尾のリンクからいつでも行えます。

書画家・伊藤一樹

東京都・埼玉県限定 2026年12月15日までの開催分

講演歴17年以上・全国500回以上。 伊藤一樹の講演会を、講演料無料で。

中学校・高校・教育委員会から企業研修まで。心の不調を乗り越えた書画家・伊藤一樹が、実体験をもとに「あなただからこそできることがある」を語ります。

  • 講演時間25~70分
  • 約5分の書画ライブ可
  • 会場・日時未定でも相談可
講演料
0円

福福堂が講演料を負担します。主催者様は、岐阜県恵那市から会場までの交通費実費のみご負担ください。

お問い合わせ・詳細・申込はこちら

学校行事・企業研修・安全大会・健康・人権・福祉研修などにご相談いただけます。

タイトルとURLをコピーしました