林不一さんインタビュー「瞳に砂漠を宿した女性」を追って

日本画家の林不一さんに福福堂の編集部がインタビューしました。さっそくお楽しみください。

林不一さんインタビュー「瞳に砂漠を宿した女性」を追って

日本画と出会うまで

――不一さんは小さい頃から絵を描かれていましたか?

「はい、物心つくかつかないかの頃から描いていたと記憶しています。保育園で将来の夢を色紙のようなものに書くことがあり、『絵描きさんかお花のついたドレス屋さん』と書いたことを今でも覚えています。当時は、スケッチブックの他、不要になったカレンダーの裏などにも描いていました。家族は、紙があれば私に渡してくれました。」

林不一「果鳥図、クワノキにメジロ」紙本著色

――絵を描き始めた具体的なきっかけはありましたか?

「無かったと思います。田舎でしたし、絵を描くか外で遊ぶかしかすることが無かったのかもしれません。」

「時間さえあればずっと描いていたと思います。中学校は美術部は無かったので、剣道部に入っていましたが、日本画と剣道は、日本の伝統的な文化という点で無意識のうちに自分の中で繋がっていたのだと思います。高校時代は、進学校だったのでクラブ活動はあまり勧められず、この頃はあまり絵を描いていた記憶はありません。選択科目で美術を選んでいたくらいです。」

――不一さんが「画家」を目指したのは志したのはいつ頃ですか?

「大学院で社会学を専攻していた頃です。大学院に通っていた頃は人生や進路に悩んで、精神的にも随分塞いで休学もしました。そんな中、何故か絵だけは続けていたのです。将来画家になると決めていたわけではなく、ただ何となく画塾でデッサンを学び、一人暮らしの部屋でもひたすら描いていました。そうやってただ黙々と紙に向かっている時、ああ生きているなあと生の実感をふと覚えたのです。それから、自分を絵の道に進ませるような偶然が重なって、大学院を退学して美大に編入学することに決めました。」

油絵の画材。油絵では、顔料をキャンバスなどに固着させるために、リンシードオイルやポピーオイルなどの乾性油を使用する。日本画では膠を使用する。

――「日本画」を描き始めたのはを美大に編入学してからだそうですが、何か理由が?

「編入前に独学で油絵を描いていたのですが、画材に火気厳禁類が多く、火気厳禁類が苦手な私には向いていないと思い、他の画材を探しました。それが日本画の画材でした。道具から入ったものの、日本画を知っていくうちに、日本画の表現に魅了されていきました。」

――火気厳禁類が苦手というのは、火が怖いから苦手だなあ~というニュアンスですか?

「そうです、そうです(笑) 感覚的なところです」

――美大で日本画家の先生と出会ったのですね。どんなことを教わったのですか?

「何でしょう…無理しなくていいということを教わったのかもしれません。グループ行動が苦手は私は、神社での写生の講義にも、ゼミの写生旅行にも参加しませんでした。それでも、怒ることなく、私のままでいさせてくださったことに感謝しています。もしかしたらお手上げ状態だったのかもしれませんが…。画材研究の先生や、古典的技法をご存知の先生もいらっしゃったので、試してみたいことは何でも試させてくださったことも心に深く残っています。彫刻科の先生に教わって、石膏像まで作らせてもらいました。美大生たちの雰囲気も居心地が良く、楽しかったです。やっと自分の道、自分の居場所に戻ってきたような気分でした。」

茶道を習っていた頃の初釜の写真。「お点前はほとんど忘れてしまいましたが、日本画と通ずる所があるように思われる最近、また再開したいと考えています。」と語る不一さん。

――日本画家としてデビューしたきっかけは?

「最初は公募展に出していたのですが、どこにも引っかからず、落ち込む日々でした(今から思えば、そこまで落ち込むことではないのですが。) そしてまたもや進路に悩んで、美大卒業後もしばらく塞ぎ込んでいました。アルバイトや派遣の仕事をしたり、半分引きこもったりでした。そんな中でも絵は描いていたのですが、いつ絵を描くのを辞めようかとずっと考えていました。そして、これを最後にしようかと迷いつつ、あるギャラリーの企画展に作品を出しました。そこで初めて絵が売れたことで、もう少し続けてみようと力が湧きました。それからは徐々に公募展にも通るようになり、今に至ります。なので、はっきりとしたきっかけではないかもしれませんが、初めて絵が売れた時が、デビューのきっかけかもしれません。随分と思い詰めていたので、初めて絵が売れた報告を受けた時は、思わず泣いてしまいました。立てなくなって嗚咽する自分の姿を、今でもまざまざと思い出せます。」

林不一「初鶏」2022年

「瞳に砂漠を宿した女性」を追って

林不一「秋懐」2024年

――不一さんの作品といえば女性を描いた作品が思い浮かびます。初期のころから素晴らしい作品を描かれていますね。

「気付けば幼い頃から女性ばかり描いていました。自分が、自分で描くような女性をずっと追い求めているのかもしれません。瞳に砂漠を宿した女性、と私は名付けているのですが、それは母のメタファーでもあると思います。」

林不一『朝靄』2024年

――瞳に砂漠を宿した女性、ですか。独特の魅力があるお母様なのですね。具体的にどんな感じの方なのでしょう。

「ここにいるのに、永遠に触れられないような人、でしょうか。自分の幼年期からの母への執着かもしれません。あっ、母とは仲良しです。念の為(笑) 母曰く、母の母もそんな感じだったそうで、ミステリアスな雰囲気が母に遺伝したのかもしれませんね。ずっと女性の絵ばかり描いてきた私には、一番身近な女性である母が、無意識にモチーフになっていたんだと思います。」

林不一「観月」2024年

――もしかすると、それは不一さんにも遺伝しているかもしれませんね。

「そうですね(笑) それから最近は、誰にも搾取されない女性を意識して描いています。女性へのエンパワメントとしての女性画であればいいなとも思います。」

林不一「運命の女(ひと)」2022年(2024年に加筆)

近年は植物画も描くようになった

植物園のヒメシャラの木。ヒメシャラの幹は美しいことで有名。

――最近では花も描かれるようになりましたね。

「人間だけでなく、画家として職人として何でも描けるようになりたいと思い、また、日本画について知識も技術も深めたいと思い、古典を勉強するうちに、植物画にたどり着きました。四条円山派、琳派などの絵にとても影響を受け始めています。」

――守備範囲が広がって、ファンとしては楽しみが増えました。

植物園の石楠花(シャクナゲ) 「石楠花はいつか描きたいと思っています。描く目的がなくても、面白いと思ったものは撮っています。ヒメシャラの木肌が印象的だったので、後々何かに活かせそうです。」
林不一「桜に藤」絹本著色

――作品発表をし始めたのはいつ頃からですか?

「2018年に女流画家協会展に初めて入選してから、気持ち的に少し勢いがついて、TAGボートのイベントに出品しました。そこでいくつかのギャラリーと知り合い、企画展に誘われました。そこから、徐々に活動の場所が増えていきました。なので、先述の初めて絵が売れた時と、この2018年が、非常に思い出深いですし、作品発表をし始めた時と言えると思います。私は年代を覚えるのが非常に苦手で、自分の人生でも何年に何があったなんて全然覚えられないのですが、2018年だけははっきりと覚えています。それほど、自分にとっては変化のあった年なのでしょうね。思い悩んだりスランプに陥ったり、色々とありましたが、何にでもタイミングというものがあるのかもしれませんね。」

制作の進め方

――作品制作の進め方について、どこから手を付けますか?

「制作は、降りてきたインスピレーションのまま描く時と、テーマを決めてから資料を探して描く時と、2パターンがあります。インスピレーションのまま描く時は、とりあえず頭に思いついた光景を大まかにスケッチブックに描き留めます。展示のテーマに合いそうなものがあれば、そこから選び、細かく描いていきます。」


「テーマを決めてから描く時は、民俗や歴史、服飾など、昔の文献を調べてから描きます。先行文献にあたるというのは、大学院時代の学びが役に立っているのだと思います。調べたうえで、その通りには描かないこともあります。知らずに描けないのと、(構図や表現の都合上)知っていてあえて描かないのとでは、やはり違うと思いますので、知識は前もって持っていたいと考えています。」

――テーマについて調べると、モチーフが決まってくるわけですね。

「はい。モチーフが決まったら、植物園や動物園などにデッサンをしに行きます。私の性質上、人がいる所ではなかなか描き辛いので、たくさん写真に撮って帰ることが多いです。それでも、生のデッサンのほうがやはり良いと思うので、自分がしんどくならない範囲で、できるだけ実物をデッサンするようにしています。デッサンをしに、或いは写真を撮りに植物園へ行ったり田舎へ帰ったりするうちに、自然に対する関心が大きくなったと思います。田舎の川の水面が、夕日にきらきらと輝く様や、石垣につたう蔓の一筋一筋にまで、改めて感動するようになりました。

「道を歩いていても、美しいものが目に入ります。落ち葉があまりに綺麗だったので、その場で集めました。」こうした題材は写真に残したり、その場でデッサンをしたりする。

――制作中、クオリティを維持するために工夫されている事はありますか?

「制作中はよく音楽を流して、時々は歌いながら描いています。その方が明るく良い気持ちで描けますし、無心に筆が運べるので、自分には合っているようです。」

林不一『竹林』2024年  琳派を現代的に再解釈、再構築した作品。竹林にも琳派にも現代の美術や文化にも接してきた京都育ちの日本画家は、無機質で温かな作品を描くことができる。「”Bamboo grove” 竹林には乱調の美がある。竹林に投げ入れた小石の音さえも、玉響に乱れる。」(林不一)

――近々の目標や描きたい作品についてお聞かせください。

「スケッチブック(私はネタ帳と呼んでいます)の中にまだまだ描けていない絵がたくさんあるので、これからを自分でも楽しみにしています。」

――これからも作品を楽しみにしております。

インタビュアー 福福堂編集部

林不一さんのプロフィール

林 不一
Hayashi Fuitsu
京都府出身、在住。同志社大学大学院で経済学・社会学を学んだ後に京都造形芸術大学の日本画コースを卒業。

2018年 女流画家協会展入選
2019年 月刊美術新人賞デビュー2019入選
2020年 山本冬彦選抜展 東京
2023年 グループ展 松坂屋上野店
2023年 個展 伊勢丹浦和店
他多数

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