フィラデルフィアの若き画家、日本の火山を描く
~ラファティー・ルイス・クラウド風景画展~
会期:2025年1月10日(金)~13日(月)
時間:11:30~18:30 ※最終日は17:00終了
会場:ヒルトピアアートスクエア(西新宿)
入場無料
来たる2025年1月10日~13日に西新宿のヒルトン東京地下1階『ヒルトピアアートスクエア』での個展を控えるラファティー・ルイス・クラウドさんに、福福堂の編集部がインタビューをしました――どうぞお楽しみください。
フィラデルフィアの母のアトリエで過ごす
ルイスさんこんにちは、今日はよろしくお願いします。
「こんにちは。よろしくおねがいします。」
ルイスさんは今度東京で個展を開催されますが小さいころはどのようなお子さんだったのでしょうか?
「はい。私の母がアーティストで、その影響もあって私は子供のころからずっと絵をかいてきました。幼いころ私は母のアトリエで過ごしました。」
「絵は母から直接学んだんです。彼女の作品は布を縫い合わせたもので、それが今の私のアートスタイルに影響を与えています。母は今でも米国のフィラデルフィアで活動しています。」
フィラデルフィアのご出身なのですね。東海岸でニューヨークとワシントンの間くらいの場所ですね。どんな街ですか?
「私の故郷、ペンシルベニア州フィラデルフィアは、路上にたくさんのアートがある街です。壁画で有名な街なんですよ。」
素敵ですね。
「はい。でも日本ほど綺麗ではないですね。いたるところにゴミが落ちてるんです。日常生活ではあまり気持ちのいいものではありませんね…。しかしアーティストにとっては役に立つこともあります。例えば、誰かがビルの解体作業をしていると古い木片が路上に放置される。私が故郷で描いた絵のほとんどは、道端に落ちている木などをキャンバスにしたものでした。」
日常と絵画がつながっていますね。
「そうですね。私にとって絵は日記みたいなものです。私は記憶を残すために絵を描いています。忘れたくない場所や感情があるとき、そこで描いた絵を見て、それを描いた正確な時間と場所を思い出すことができます。」
そうなのですね。そんなルイスさんですが、日本に来られたのはいつのことですか?
「日本に来たのは2020年1月です。当時私はフィラデルフィアにあるテンプル大学の学生だったのですが、テンプル大学にはジャパンキャンパスがあるのです。それでアートを学ぶために日本へ来ました。」
2020年に来られたとしますと、コロナが猛威を振るう時期と重なりますね。大変だったでしょう。
「はい。コロナウィルスの流行中は日本に2年以上戻ることができませんでした。2021年、私は日本の国境が開くのを待っていました。その時、私はメキシコまで車で行き、祖母の1998年式のマツダの中で暮らすことにしたんです。」
必要は発明の母だ『マトリョーシカ・キャンバス』(メキシコ)
待っている間にメキシコを旅したのですね。絵を描きに行ったのですか?
「そうです。町から町へと車を走らせ、目についたものを描きました。メキシコの街に木は生えていますが道にはゴミがあまり落ちてないんです。だからキャンバスの木枠を作ることが難しくなりました。」
「メキシコのナヤリット州サンブラスの町を旅していた時のこと、私は路上で果物の木箱を見つけました。それに少し手を加えるだけでキャンバスの木枠にすることができたんです。」
メキシコでも自分でキャンバスを作ったのですね。
「ええ。私はいくつかの木枠を作り、以前車の窓を覆うのに使った布を張りました。最初のキャンバスはこうしてできました。」
メキシコの街を車で旅しながら絵を描くために、いろいろと工夫を凝らしたのですね。
「はい。この方法はしばらくの間はうまくいきました。でもやがていくつかの問題にぶつかりました。なぜだと思いますか?」
車の中に絵の置き場所がなくなったのでは?
「そうです!30枚ほど描いたところで、私の車は完全に満杯になって寝る場所がなくなったのです。私はスペースを節約するために、絵を互いの中に入れるようになりました。つまり『キャンバスのマトリョーシカ』です。」
なるほど。木枠のサイズを大中小のようにして入れ子にするわけですね。平たくなってスペースが節約できますね。
「必要は発明の母とはよく言ったものですね。あと、毎回木枠を探してキャンバスを作るのも大変でした。メキシコは果物の木箱がいつも落ちているわけではないのです。日本の家に戻ったら絵を置いておけるこのマツダ車も無くなるので、さらにスペースが狭くなることはわかっていました。そこで日本に持ち帰ることを想定して、しっかりした『マトリョーシカ・キャンバス』を作ることにしました。最初のものは6段収納式のものでした。キャンバスというものは、木枠から絵を描いた布を剥がすと、また布を張って絵を描けます。『マトリョーシカ・キャンバス』はメキシコの果物箱で作ったものでしたが、よくできていました。何度も再利用できるようにデザインしたのです。」
『マトリョーシカ・キャンバス』とは良いネーミングですね。イメージがパッと頭に浮かびますよ。
「ありがとうございます。日本に来てからは、絵が乾いたら木枠から外すようにしています。そして、同じ木枠を再利用する。この方法で、私はとても効率的に絵を描くことができるようになりました。時間も場所も節約できる。メキシコでは30~40枚の絵を描いていましたが、日本では同じ時間で200枚近く描きました。これは、絵を描くたびに新しい木枠を作る必要がなくなり、同じ木枠を繰り返し使うようになったからです。」
たくさん描けるというのはアーティストにとって良いことですね。先ほど、ルイスさんの作品は日記のようなものだと伺いました。日本ではどのようなモチーフを描いてこられたのでしょうか?
「主に火山です。私は火山が好きで実はメキシコでも描きました。日本は火山の多い国ですよね。私は、火山を描くために日本中を旅してきました。北海道駒ヶ岳、岩手山、三原山、富士山、大室山、桜島などの火山を訪れました。私は日本の自然、とりわけ日本人の生活とともにある火山を描くことにとても刺激を受けています。」
私はその環境が当たり前すぎて気づきませんでしたが、日本は世界有数の火山国ですものね。
「火山には人々を惹きつける大いなるエネルギーがあります。温泉や地熱発電だけでなく、地球の内部からもたらされる栄養分が土を豊かにし植物にも動物にも恩恵を与えます。科学的に詳しいことはわかりませんが、そういった自然の恩恵と人々とのつながりに私は感動するのかもしれません。」
ルイスさんの火山の絵には、商店の後ろに山が見えたりして、自然を身近に感じることができます。ルイスさんの絵を見てなんともいえないユニークさに私は心を惹かれました。
ところで日本で火山を訪ねて旅をして、思い出に残っていることなどあれば聞かせていただけますか?
火口と猿、寝る場所に困るも感動 三原山(伊豆大島)
「はい。或る週末、私はとある絵画に挑戦することにしました。東京からフェリーで伊豆大島に行き『マトリョーシカ・キャンバス』のセットを2つ持って行きました。私の目標は、この週末にすべてのキャンバスに絵を描くことでした―10枚。」
週末だけで10枚とは、なかなかのチャレンジですね。
「はい。伊豆大島に着いたのが午前6時頃。船を降りるとすぐに富士山が見えたので、そこですぐに絵を描きました。夜明けの富士ですね。」
「その後、島周辺の船や像などを描いて過ごしたのですが、私はどうしても三原山を近くで描きたかったんです。」
「島の北にある岡田港からは、切り立った崖に遮られて三原山は見えません。動物園の横のテントで寝た後、翌朝早く起きて火山の頂上に登り、三原山の頂上を間近に描くことにしました。
自転車で登るには急な坂道で、頂上まで登るのにとても時間がかかりました。登っている間中、鬱蒼とした森の中で猿が吠えていました。
ようやく森を抜けると三原山が現れ、そこは夢のようでした。私は1986年の噴火による溶岩流の限界に立ちました。そこからは火山がくっきりと美しく見えました。私はその視点から絵を描き、山頂への道を進んだのです。」
「その後すぐに、火口の中を描いた別の絵を描きました。火山が噴火しそうで、さすがの私もちょっと怖かった。それで急いで描きました。その後、三原山の頂上から遠くに見える富士山の絵を描きました。その夜、私は三原山の頂上付近でキャンプをしようと準備していたのだが、通りすがりの男性が『晩に噴火があったら間違いなく殺されるよ』と念を押してきた。私は自転車で山を少し下ることにしたが、暗くなり始めていた。あまり遠くまで行くと猿の森で寝ることになる。しかしあまり遠くまで行かないと噴火の危険がある。」
どうしたら良いのか分からないです(笑)
「私は閉鎖されたホテルの近くに小さな空き地を見つけ、そこにテントを張って夜を明かしました。翌朝、私はとても早く目が覚めました。寒くて霧がかかっていて、周りは猿だらけだった!霧が濃すぎて火山を近くから見ることができなかったので、自転車で海まで戻ることにしました。
その日の午後、私はフェリーに乗って東京に戻らなければなりませんでした。前日に一日がかりで登った同じ道を、自転車で下るのに30分もかからなかった!曲がりくねった山道を、私は猿の横を通り過ぎながら疾走しました。」
「岡田港に戻り、近くの波止場でのんびりと漁船の絵を描きました。出港時間が近づくにつれ、あまり人がいないことに気づきました。港の職員を見つけて、フェリーに乗る場所はここでいいのかと尋ねました。『天候の関係で、フェリーは10キロ離れた元町港から出る』とのことでした。出航時間が迫っていたので、私は急いで自転車で向かいました。すでに霧は晴れ始めていました。このとき初めて、元町港からは猿の森を1日かけて登る必要もなく、三原山を一望できることを知りました(笑)
このことを知ったのは帰路に就く数時間前でしたが、それでも思い出に残る体験とクールな絵を描くことができたことに私は満足していました。」
「港で三原山の建物を前景にした絵を手早く描く時間があった。これがこの週末の9枚目の絵でした。10枚中、描いた9枚は上出来でしたが、目標に届かなかったのは悲しかった。『マトリョーシカ・キャンバス』の一番小さなやつだけがまだ残っていました。金色の下絵が描かれた小さな長方形のものが。船が出ようとしていたのでもう時間はありませんでした。」
「船が出ました。船上から思い出の伊豆大島を見ました、あらゆる角度から。イルカが私たちの船が作る波で遊んでいました。それは魔法のようだった。そしてここが私の最後の絵を完成させるのに完璧な場所だと思いました。伊豆大島はまだかろうじて遠くに見えましたが、それは信じられない光景でした。私は船の後ろに座り、10枚目の絵を完成させました。」
とても引き込まれるお話でした。ありがとうございました!
個展を楽しみにしております。
「インタビューの感想などお聞かせください!会場でお待ちしております。」
フィラデルフィアの若き画家、日本の火山を描く
~ラファティー・ルイス・クラウド風景画展~
会期:2025年1月10日(金)~13日(月)
時間:11:30~18:30 ※最終日は17:00終了
入場無料
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