前回、古代ギリシャで生まれたクセニアが、中世の画家たちのマーケティングとブランディング努力によって、「静物画」になった話をしました。
しかし宗教的な要素をもった絵画よりも、どうしても静物画は画料も安く、画家たちは苦労したのだそうです。飾る側にとっても、ただリアルで美味しそうな食べ物や美しい花々、というだけでは、家族や来客に見せるときの説明も弱かったのかもしれませんね。
「見てみてこの絵、すごいよね、手に取って食べたくなるような果物だよね」と主人が自慢したところで、「ほんとリアルですね・・・ (この人、食い意地がはってるな)」と思われるのが関の山だったのかも。
画像はスルバランの静物画ですが、オレンジは花と果実を同時につけることから、処女懐妊した聖母マリアのメタファー(暗喩)です。カップの中の水は、誰も飲んでいないように思えるので純潔の象徴、(あるいはキリストの生ける水の象徴)と解釈することができます。水と同じお皿に置いてある一輪の薔薇も聖母マリアの象徴、一方、皮をむいていないレモンは、マリアの処女性を表していると解釈できます。当時、レモンはとても贅沢なものだったので、同時に絵の発注主の富も表していたということもあり得ますね。
このようにキリスト教的象徴を内包すれば、静物画の価値付けは大きく上昇します。
ご主人が敬虔なクリスチャンであるということ、知的だということ、そして富に恵まれているということが意味付けられ、来客にさりげなく自慢できるものになるわけです。そう、いわゆる「趣味のいい絵」になるわけです。
こうやって画家たちは静物画の価値を高める努力をしていきました。
(ライター晶)
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