パウル・クレー(Paul Klee, 1879–1940)は、20世紀前半のヨーロッパ美術を代表する画家です。スイスのベルン近郊に生まれ、ミュンヘン、ヴァイマル、デッサウ、デュッセルドルフ、ベルンを拠点に活動し、青騎士、バウハウス、抽象絵画、表現主義、シュルレアリスムを横断する独自の世界を築きました。クレーの絵は、一見すると子どもの絵のように素朴で、楽譜や暗号のように静かで、同時にきわめて知的です。
クレーの作品には、線、色彩、記号、音楽、夢、自然、ユーモアが重なり合っています。鳥のような機械、顔のような月、道のような線、星座のような点、子どもの落書きのような人物。彼は世界をそのまま写すのではなく、世界が生まれる前の記号、あるいは心の中で鳴っている音楽のようなものとして描きました。
美術史の中では、クレーは抽象画の重要な画家であり、同時に表現主義、キュビズム、シュルレアリスム、バウハウス教育とも深く関係する存在です。ただし、彼を一つの流派だけに閉じ込めることはできません。クレーは、近代美術の多くの流れを吸収しながら、そのどれにも完全には属さない、きわめて独立した画家でした。
本記事では、パウル・クレーの生涯、音楽との関係、青騎士、チュニジア旅行、バウハウスでの教育、『セネシオ』『さえずり機械』『新しい天使』『アド・パルナッスム』などの代表作、ナチスによる弾圧、晩年の天使像までを解説します。クレーを知ることは、20世紀美術が「見える世界の再現」から「見えないリズムと記号」へ向かった道を知ることでもあります。

| 正式名 | パウル・クレー(Paul Klee) |
|---|---|
| 生没年 | 1879年12月18日〜1940年6月29日 |
| 生地 | スイス、ベルン近郊ミュンヘンブーフゼー |
| 没地 | スイス、ムラルト=ロカルノ |
| 国籍上の注意 | スイス生まれだが、生前は長くドイツ国籍。スイス国籍承認は死後 |
| 主な活動地 | ベルン、ミュンヘン、ヴァイマル、デッサウ、デュッセルドルフ |
| 主な様式 | 表現主義、抽象絵画、バウハウス、シュルレアリスム的表現 |
| 関係の深い運動 | 青騎士、バウハウス、青の4人 |
| 代表作 | 『セネシオ』『さえずり機械』『新しい天使』『アド・パルナッスム』『城と太陽』など |
| 関係の深い人物 | ヴァシリー・カンディンスキー、フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、リリー・クレー、ヴァルター・ベンヤミンなど |
| 主な所蔵館 | ツェントルム・パウル・クレー、ベルン美術館、バーゼル市立美術館、ニューヨーク近代美術館、イスラエル博物館など |
パウル・クレーとは何者か
パウル・クレーは、近代絵画の中でも特に説明しにくい画家です。抽象画家と呼ぶことはできますが、純粋な幾何学的抽象だけを描いたわけではありません。表現主義の画家と呼ぶこともできますが、叫びや感情を直接爆発させる画家ではありません。シュルレアリスムの先駆者とも言えますが、彼の絵は夢を激しく暴くというより、夢の構造を静かに記号化しているように見えます。
クレーの作品の魅力は、その小さな画面の中に、世界の成り立ちそのものが見えることです。線は道になり、記号になり、音符になり、植物の茎になり、顔の輪郭になります。色彩は感情であり、天候であり、音の響きでもあります。彼の絵では、世界は完成された形としてではなく、生成の途中にあるものとして現れます。
そのためクレーの絵は、子どもにも親しみやすく、同時に非常に難解です。簡単な形に見えるのに、何度見ても意味が尽きません。かわいらしい鳥の絵が、機械文明への皮肉にも見え、天使の絵が、歴史の崩壊を見つめる不安な象徴にも見える。クレーは、やさしさと不気味さ、遊びと哲学を同じ画面に同居させた画家なのです。
スイスに生まれ、ドイツで学んだ画家
クレーは1879年、スイスのベルン近郊ミュンヘンブーフゼーに生まれました。父ハンス・ヴィルヘルム・クレーは音楽教師、母イーダ・マリア・フリックは歌手であり、家庭には音楽が深く息づいていました。クレー自身も幼い頃からヴァイオリンに親しみ、画家になるか音楽家になるかを長く迷ったほどでした。
彼の生まれはスイスですが、国籍上は長くドイツ人でした。これは父がドイツ出身であったことによります。晩年、クレーはスイス国籍の取得を求めましたが、正式な承認は彼の死後になりました。この複雑な立場は、クレーを単純に「スイスの画家」あるいは「ドイツの画家」とだけ呼べない理由の一つです。
1898年、クレーは美術を学ぶためミュンヘンへ向かいます。ミュンヘンは当時、ドイツ語圏の重要な芸術都市であり、象徴主義、ユーゲントシュティール、表現主義へ向かう空気が入り混じっていました。クレーはここで絵画修業を始めますが、すぐに華やかな成功を収めたわけではありません。むしろ若い時期の彼は、線描、版画、風刺的な人物表現を通じて、自分の世界をゆっくりと形づくっていきました。
音楽から生まれた線
クレーを理解するうえで、音楽は欠かせません。彼は熟練したヴァイオリン奏者であり、バッハやモーツァルトを深く愛しました。クレーの絵に、楽譜のような線、リズム、反復、変奏が多いのは偶然ではありません。彼にとって絵画は、目で見る音楽のようなものでした。
クレーの線は、対象の輪郭をなぞるだけではありません。線が歩き、跳ね、曲がり、分岐し、また戻ってくる。まるで旋律が時間の中を進むように、クレーの線も画面の中を進みます。線が人物になり、動物になり、都市になり、星座になっていく過程は、音が旋律や和声へ変わる過程にも似ています。
この音楽的な感覚は、のちのバウハウスでの理論にもつながります。クレーは色彩や形を、単なる装飾ではなく、運動、リズム、構造として考えました。抽象画を理解するうえでクレーが重要なのは、絵画を「何かを描いた画像」から、「時間や運動を感じる構造」へ変えたからです。
青騎士との出会い|カンディンスキー、マルク、マッケ
1911年頃、クレーはミュンヘンで青騎士の画家たちと出会います。青騎士は、ヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクを中心にした前衛的な芸術家グループで、色彩と精神性、内面表現、抽象化を重視しました。クレーは彼らと交流し、1912年には青騎士の第2回展に作品を出品します。
青騎士の画家たちは、自然をそのまま写すのではなく、色彩や形によって精神的な世界を表そうとしました。この考えは、クレーに大きな刺激を与えます。ただし、クレーはカンディンスキーのように一気に非対象の抽象へ向かったわけではありません。彼は対象を完全に消すのではなく、対象を記号化し、縮め、詩のような形へ変えていきました。
この時期、クレーはパリでキュビズムやロベール・ドローネーの色彩構成にも触れます。キュビズムが形を分解し、ドローネーが色彩のリズムを追求したように、クレーもまた、見える世界を分解し、再構成する方法を探し始めました。青騎士、キュビズム、色彩理論の出会いが、クレーを抽象へ向かわせる下地となったのです。
チュニジア旅行|色彩の発見

1914年、クレーはアウグスト・マッケ、ルイ・モワイエとともにチュニジアを旅します。この旅行は、クレーの画業における大きな転機でした。北アフリカの強い光、白い建物、青い影、街路の幾何学、イスラム建築の装飾的な構造は、クレーの色彩感覚を一気に変えていきます。
チュニジア以前のクレーは、線描と版画的な表現に強みを持つ画家でした。しかしチュニジア以後、色彩は彼の絵画の中心になります。色は物を塗るためのものではなく、画面を組み立てる力になります。赤、黄、青、緑の面が響き合い、建物や風景は、色彩のリズムとして再構成されます。
この旅行をきっかけに、クレーは「色彩の画家」としての自分を確かなものにしていきます。彼の絵が詩的であると同時に建築的に見えるのは、色彩が感情でありながら、同時に構造でもあるからです。チュニジア旅行は、クレーにとって、世界の光を色彩の文法へ変える経験でした。
第一次世界大戦と内面化する世界
1914年に第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパの前衛芸術も大きく揺さぶられます。クレーの友人であったフランツ・マルクやアウグスト・マッケは戦争で亡くなり、青騎士の時代は終わりを迎えます。クレー自身もドイツ軍に召集されましたが、主に後方任務に就き、制作を続けることができました。
この時期のクレー作品には、外の世界を直接描くよりも、内面の記号や象徴へ向かう傾向が強まります。戦争の破壊を大画面で劇的に描くのではなく、小さな紙の上で、線、星、矢印、顔、都市、奇妙な生き物を組み合わせていく。そこには、崩れていく世界を、もう一度小さな記号の秩序として組み立てようとする意思があります。
クレーの絵は、しばしば軽やかに見えます。しかしその軽さは、苦しみがないという意味ではありません。むしろ、戦争や不安の時代に、重すぎる現実を、かすかな線と色の詩へ変える方法だったのです。彼のユーモアは、世界を軽く見るためではなく、壊れやすい世界をどうにか受け止めるための知恵でした。
バウハウスでのクレー|理論家としての顔
1920年、クレーはヴァルター・グロピウスによってバウハウスに招かれ、翌1921年から教壇に立ちます。バウハウスは、建築、工芸、デザイン、美術を統合しようとした近代の重要な学校です。クレーはここで、色彩、形態、構成、自然の生成過程について、独自の理論を学生たちに教えました。
バウハウス時代のクレーは、単なる直感の画家ではありませんでした。彼は、線が点から生まれ、面が線から生まれ、形が運動から生まれる過程を、非常に体系的に考えました。植物の成長、鉱物の結晶、音楽のリズム、建築の構成。こうした異なる世界を結びつけながら、絵画の基礎を説明しようとしたのです。
クレーの授業は、20世紀の美術教育に大きな影響を与えました。色彩や形を、感覚だけでなく構造として理解すること。自然を写すのではなく、自然が形を生み出す原理を学ぶこと。これは、抽象画を理解するうえで非常に重要な考え方です。クレーは画家であると同時に、近代美術の考え方を教えた理論家でもありました。
『セネシオ』|顔が記号になる

1922年の『セネシオ』は、クレーの代表作の一つです。丸い顔、左右非対称の目、単純化された鼻と口、黄土色や赤、淡い紫、白の色面。人物の顔でありながら、仮面のようでもあり、月のようでもあり、幾何学の図のようでもあります。
この作品が面白いのは、顔がほとんど記号に近づいていることです。肖像画であれば、人物の個性や表情を描くのが普通です。しかし『セネシオ』では、顔は個人の似姿ではなく、顔というものの最小単位へ還元されています。目、鼻、口、輪郭というわずかな要素だけで、私たちはそれを顔として認識します。
クレーはここで、子どもの絵のような単純さと、近代絵画の抽象性を結びつけています。単純なのに幼稚ではなく、抽象的なのに冷たくない。『セネシオ』は、クレーが「人間の顔」を、絵画の記号へ変えた名作です。
『さえずり機械』|鳥と機械の不気味なユーモア

1922年の『さえずり機械』は、クレーの作品の中でも特に有名な一枚です。画面には、細い線で描かれた鳥のような存在が並び、右側にはハンドルのようなものが見えます。鳥たちは枝に止まっているようにも、機械に取り付けられているようにも見えます。
この絵の魅力は、かわいらしさと不気味さが同時にあることです。鳥は本来、自然の歌声を連想させる存在です。しかしここでは、鳥たちは機械の一部のように組み込まれています。ハンドルを回すと、彼らがさえずるのか、それとも悲鳴を上げるのか。見る者は、はっきりした答えを得られないまま、奇妙な想像へ誘われます。
『さえずり機械』は、自然と機械、生命と装置、音楽と不協和音の境界を描いた作品です。クレーのユーモアは、単なる可笑しさではありません。小さな絵の中に、近代文明への皮肉、音への感覚、機械に取り込まれる生命への不安が隠されています。
『新しい天使』|ヴァルター・ベンヤミンが見た歴史の天使

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1920年の『新しい天使(Angelus Novus)』は、クレーの作品の中でも特に深い受容史を持つ作品です。小さな紙の上に、翼を広げた奇妙な天使が描かれています。眼は見開かれ、口は開き、身体は軽い線と水彩のにじみで構成されています。かわいらしくもあり、不安げでもあり、何かを見て驚いているようにも見えます。
この作品を有名にしたのが、思想家ヴァルター・ベンヤミンです。ベンヤミンはこの作品を所有し、自らの歴史哲学の中で「歴史の天使」として読み替えました。天使は未来へ進むのではなく、過去の破局を見つめながら、嵐に押されていく存在として語られます。
クレー自身がそのような意味を完全に意図していたとは限りません。しかし、作品が後世の思想家によって新たな意味を得たことは重要です。『新しい天使』は、クレーの絵が単なる幻想画ではなく、20世紀の歴史、戦争、記憶、破局を考えるための象徴として読まれてきたことを示しています。
『アド・パルナッスム』|点と色面がつくる大きな構築

1932年の『アド・パルナッスム』は、クレー晩年の代表作の一つです。大きな画面には、無数の小さな色の点や矩形が積み重なり、山、ピラミッド、建築、太陽を思わせる構成が広がっています。作品名の「パルナッスム」は、ギリシア神話の芸術と詩の山を連想させます。
この作品では、クレーの色彩と構成の考え方が非常に明確に表れています。小さな点は単独ではほとんど意味を持ちません。しかし、それが無数に集まることで、光、空間、建築、山のような大きな構造が生まれます。点描画やモザイクにも通じる方法ですが、クレーの場合、そこには音楽の反復や建築的な秩序も感じられます。
『アド・パルナッスム』は、クレーが小さな単位から宇宙的な広がりを作り出した作品です。線と色彩の詩人であったクレーが、同時にきわめて構築的な画家でもあったことを示しています。
ナチスによる弾圧と「退廃芸術」
1931年、クレーはバウハウスを離れ、デュッセルドルフ美術アカデミーの教授となります。しかし1933年、ナチスの圧力によって職を追われ、妻リリーとともにベルンへ戻りました。近代美術を敵視したナチスにとって、クレーの抽象的で自由な絵画は「退廃」と見なされました。
1937年、ナチスはドイツの美術館から多数の近代美術作品を没収し、「退廃芸術」展を開催します。クレーの作品も102点が没収され、そのうち15点が「退廃芸術」展に含まれました。小さく、詩的で、静かな彼の絵でさえ、独裁体制にとっては危険なものと見なされたのです。
これは、クレー芸術の本質を逆説的に示しています。彼の作品は大声で政治的スローガンを叫ぶものではありません。しかし、自由な線、曖昧な形、子どものような記号、夢のような構成は、一つの正しい形だけを強制する思想に対して、根本的に抵抗する力を持っていました。クレーの絵は、静かな自由の芸術でもあったのです。
晩年の病と天使たち
ベルンへ戻った後、クレーは病に苦しむようになります。1935年頃から強皮症の症状が現れ、制作は困難になっていきました。それでも彼は描くことをやめませんでした。むしろ晩年の作品には、太い線、単純化された形、強い記号性が増し、いっそう深い力が宿っていきます。
1939年、体調が悪化していたにもかかわらず、クレーは1253点もの作品を制作しました。晩年の彼は、天使、死、火、病、記号、顔、線のような主題を繰り返し描きます。これらの天使たちは、宗教画に出てくる完全な天上の存在ではありません。不器用で、傷つき、未完成で、どこか人間に近い天使です。
1940年、クレーはムラルト=ロカルノで亡くなりました。スイス国籍の承認は、彼の死後に届きます。スイスに生まれながら、最後まで国籍の問題に揺れた画家。しかしその作品は、国境や流派を超え、20世紀美術の中で最も広く愛されるものになりました。
クレーを見るならどこへ行くべきか
クレーを本格的に見るなら、最も重要なのはスイス・ベルンのツェントルム・パウル・クレーです。ここには、クレーの作品と資料が大規模に保存されており、絵画、水彩、素描、アーカイブを通じて、彼の生涯と制作を体系的に知ることができます。クレーは紙作品が多く、保存上の理由から常にすべてが展示されるわけではありませんが、ベルンは彼を理解するための中心地です。
ベルン美術館、バーゼル市立美術館、ニューヨーク近代美術館、イスラエル博物館などにも、クレーの重要作品が所蔵されています。『セネシオ』はバーゼル市立美術館、『さえずり機械』はニューヨーク近代美術館、『新しい天使』はイスラエル博物館、『アド・パルナッスム』はベルン美術館にあります。
日本では、クレー作品を常設でまとまって見られる機会は多くありません。展覧会では、バウハウス、抽象絵画、カンディンスキー、20世紀美術、スイス・ドイツ近代美術などの文脈で紹介されることがあります。日本でクレーを見る場合は、近代美術館系の企画展や、バウハウス関連の展覧会情報を確認するとよいでしょう。
クレーを見るときのポイント
クレーを見るときは、まず「何を描いているのか」を急いで決めないことです。鳥のように見えるもの、顔のように見えるもの、道のように見えるもの、都市のように見えるものが、同時に別のものにも見えます。クレーの絵は、答えを一つに固定するよりも、形が変化していく過程を楽しむとよく見えてきます。
次に、線の動きを見ることです。クレーの線は輪郭線ではなく、歩く線です。画面の中で線がどこから始まり、どこで曲がり、どこで止まり、どこで別の線へつながるのかを追うと、絵が音楽のように感じられます。彼の絵は、見るというより、たどる絵でもあります。
最後に、色彩を面として見ることです。クレーの色は、対象に塗られた色ではなく、画面を組み立てる力です。赤、黄、青、緑、灰色、黒がどのように響き合っているかを見ると、彼の絵が小さな画面でありながら、驚くほど広い空間を持っていることが分かります。
クレーを美術史の中で見る
クレーは、20世紀美術の交差点に立つ画家です。青騎士の精神性、キュビズムの構成、チュニジア旅行による色彩の発見、バウハウスの理論、シュルレアリスム的な夢の感覚。これらがすべて、クレーの中で一つの独自な絵画へ変わりました。
同時代のマティスが色彩を大きく解放し、カンディンスキーが抽象を精神性へ向け、モンドリアンが幾何学的秩序を追求したのに対し、クレーはもっと小さく、詩的で、記号的な世界を作りました。彼の抽象は、冷たい構成ではなく、手紙、楽譜、植物、地図、童話のような温度を持っています。
そのためクレーは、フォーヴィスム、抽象画、表現主義、シュルレアリスム、バウハウスをつなぐ存在として重要です。彼を知ると、20世紀美術が単に写実から抽象へ進んだのではなく、音楽、詩、記号、夢、教育、思想を巻き込みながら広がっていったことが見えてきます。
まとめ|クレーは、線と色で世界の詩を描いた画家
パウル・クレーは、スイスに生まれ、ドイツで学び、青騎士、チュニジア旅行、バウハウス、ナチスによる弾圧、晩年の病を経て、20世紀美術に独自の場所を築いた画家です。彼の絵は、抽象画でありながら冷たくなく、子どもの絵のようでありながら深く知的で、ユーモラスでありながら不安を含んでいます。
『セネシオ』では顔を記号へ変え、『さえずり機械』では鳥と機械の奇妙な関係を描き、『新しい天使』では後世の思想家に歴史の象徴として読まれる存在を生み、『アド・パルナッスム』では点と色面によって大きな構築を作りました。いずれの作品にも、世界を再現するのではなく、世界が生まれる仕組みを描こうとする姿勢があります。
クレーの絵は、見る者に大きな声で語りかけません。小さな線、淡い色、奇妙な記号、余白の中で、静かに問いを投げかけます。世界とは何か。音は色になるのか。線は歩くのか。顔は記号になるのか。クレーの絵画は、その問いを、詩のように、音楽のように、そして不思議な遊びのように、いまも私たちの前に差し出しているのです。
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