2025年1月22日から東京都立川市の伊勢丹立川店で個展を開催する画家の齋藤悠紀さんに、アートコンサルタントの亘理隆がインタビューしました。それではさっそくインタビューをお楽しみください!
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画家・齋藤悠紀さんインタビュー「ドローイングは音楽」
画家にとって、休みって何だろう
──個展の準備は、いかがですか。
いつも通りです。展覧会前とそうでないときと、ペースはあまり変わりません。いつもコンスタントに作っている感じです。
──画家である齋藤さんは、毎日どのように過ごされていますか。
起床後軽食。5時間くらい一気に描き、それから散歩や掃除、アトリエのメンテナンスなど身体を動かせることをします。その後、コーヒーを淹れ、SNS。30分昼寝。起きたらまた3時間ほど描きます。その日読みたい本を1時間くらい読み、また夜に少し描き、片付け、PC作業、食事、就寝です。
──休みもなしに、毎日ずっとそんな生活をしているのですか。
休みですか…画家にとって休みって何だろう
──勤め人の土日休日、仕事しない日です。画家であれば、絵を描かない日。
それはないです。1日もないです。
──旅行は、あまり行かないのですか。
旅行といっても、展覧会かアーティストインレジデンスの遠征で、プライベートな旅は何年も行っていません。本来の目的の、『ついで』が好きで、出先でも紙と万年筆で、毎日ドローイングをします。出先で出会った風景などに心奪われて描くのか、と思われがちですが、そうではなく環境の変化をきっかけに、心を自分に引きつけているんです。
中学生頃まで、他人と自分が違うとは思っていなかった
──中学校の時、自画像を描く課題があり、「自分とは変化していくもので、変化し続ける途上に自分があるから時間をテーマに描いた」と聞きました。中学生がそこまで考えるのかと感心しましたが、小さい頃から本を読んだりしていたのですか。
そうですね。本は好きでしたし、今も好きです。
──小さい頃はどんなものを読んでいたのですか。
絵本をはじめ、ジャンルにこだわらずいろいろ読みました。父がとても本が好きな人で、部屋が潰れるぐらいいっぱい本棚があります。
──その中から、時々興味を引かれたものを読むとか…。
それが父の蔵書には興味がなく、全く読んだことがありません。でも、本自体への興味は通じるところもあります。何か自分にもその血が流れているようで怖いです。父は今70歳を過ぎていますが、常に10冊ぐらいの本を並行して読んでいます。実家には、あちこちに父の本が置いてあり邪魔です。ソファーで読む本と、電子レンジのところで読む本とが、別に置いてあるんです。
──小さい頃は、客観的に見て又は主観的に見て、どんな子供だったと思いますか。
客観的な視点という概念が苦手だったと思います。と言うか、それを意識するのがだいぶ遅かった。多分中学校卒業から高校入学ぐらいかな。十五、六歳のときに他人の存在というものを感じました。弟がいますが、それまでは弟と自分とを比べることもありませんでした。ですから、他者がいるということに気づいたことは、けっこうショックでした。高校時代は、自分と他者、他者との関係性がずっと制作のテーマになりました。
──でも小さい頃から、ふつうに友達とは遊んでいたのですよね。
外で遊ぶことが多かったです。テレビゲームなどは買ってもらえなかったし、興味もありませんでした。テレビゲームをしている子がいても一緒にやりたいと思わず、退屈しながらその子がテレビゲームをするのを見ていました。
遊びに、オリジナルゲームを取り入れる小学生
──外ではどんな遊びをしていましたか。
オリジナルゲームです。自分でゲームを作るのが好きで、このルールで、こうしたら、何点もらえるというのを考えてやっていました。例えば、サッカーボールを壁に向かって蹴るだけだと飽きてきます。そこで、あのブロックの1個上だと何点、そのまた1個上だと逆にマイナス何点とルールを決めます。すると日が暮れるまで楽しめます。小学生だったので、一緒に遊ぶのは、多い時もあれば2~3人の時もあり、その時々で公園にいる友達と遊んでいました。ボール遊びだけではなく、缶蹴りやかくれんぼもありましたが、それも何かルールを作りました。
──みんなが齋藤さんの作ったルールに賛成して遊ぶのは、リーダーシップがあったのですね。
リーダーシップと考えたことはないですが、みんなも毎日同じことをやっていると飽きるから、そのルールでやってみようということだったと思います。
──友達は、齋藤さんのことをどう見ていたのでしょうか。さきほどの話だと、そこはわからなかった…。
その頃の自分には全くの未知でした。考えても仕方ない気はしますが。先生に叱られる事はしばしばありました。落ち着きがない、との事でした。
──でも、県立の進学校に入りましたから、授業の理解度はあったわけですね。
それほどではないと思いますが、中学校までちゃんと勉強はしていました。
──高校では、クラブ活動で美術をされましたが、普通の進学校です。美大進学に、ご両親は賛成だったのですか。
特に、賛成も反対もなかったです。今でもそうですが、自分の展覧会があると言っても、ふーん、という反応です。消極的賛成の感じです。乗り気で全面的に応援する感じではなく、黙っていて別に反対もしない。一番いいです。あまり応援されるとなにか面倒ですから。言っても言うことをきかないと諦めていたのかもしれません。画家を意識しだしたのは中学三年ですが、画家になる宣言はもっと早くて、小学校卒業の時に将来画家になると書いていました。
自分の作品の評価は、自分基準で
──そして、東京造形大学に進学しましたが、美術大学の授業ではどんなことを教えられるのですか。
午前午後で授業が分かれていて、一年生の時は、午前が一般教養だとすると午後は実技で、二年生になると逆になる。一般教養は必修と選択がありました。他の美大のことは知りませんが、美大に行く人は実技がやりたいから行くと思っていました。ところが、学年の終り頃には、造形の実技にあまり人が来ていない。日によっては、モデルさんが二人いるのに、自分一人だけとか。学生のやる気のなさとも言えますが、受験の時にさんざんやってきたのに、今さらモデルを描く意味があるのかという、反抗心があった学生もいたかもしれません。
──東京造形大学では、日本画とか洋画いう旧来の区別ではなく、他と違うカリキュラムと思っていましたが。
絵画科のカリキュラムは、油彩、日本画、テンペラ画、映像、立体造形などです。卒業し外野から眺めると、せめて10年毎くらいに、カリキュラムの抜本的な内容見直しがあっても良いかなと感じる授業も、正直ありました。例えば、『受験が終わったのに、またヌードモデルなんて描きたくない。』という学生の気持ちもわからなくはないです。課題を、共通で全員が取り組む理由、要は動機付けを、学生に対し語る言葉が特になければ、最初から自由課題でも良いかもしれません。そのあたりのねじれが、あの誰もいないアトリエだったのかも。個人的には、課題が何であれ、その中で好き勝手にやるので構いませんでしたが。例えば自画像のテーマであれば、自分は時間というテーマで描こうとかそういうことです。
──実技の授業は、描いている時にも先生がコメントしたりして指導するのですか。
よく指導にいらっしゃる先生も、あまりお会いできない先生もいらっしゃいました。人や作品によっては、制作中あまり口を挟まれたくない場合もありますよね。そもそも美術の教育自体がすごく難しい事だと思います。
──最終的には制作課題があり、完成すると教授たちからコメントがあるのですか。
講評会があります。たしか共通課題と選択課題がありました。共通課題では、絵画の教授全員がいらっしゃいます。学生にとっては、周りの学生達の注目の中、エライ先生たちに厳しく突っ込まれるとても緊張感のある場です。そういう緊張もたまには経験しても良いと思います。一方で、そもそも学生それぞれがやっている事が異なるので、教授陣としてもコメントが難しいですよね。その学生がやろうとしている事を十全に表現出来ていない場合(それがほとんどなのだけど)、それに対するコメントの難易度も更に上がり、話が複雑になってしまいます。緊張も相まって、学生側が訳がわからないまま終わっていく様子も見ました。結局、褒められたから嬉しい。とか、認めてもらえなかったからダメだ。などの単純な結論になってしまうのは、もったいない事です。
──認めてくれない場合、わかっていないと流せますか。
ほとんどの学生は、教授のコメントで右往左往していました。自分は結構生意気な学生だったので、提出前から自分の作品を自分で評価していました。自分の基準で、ここまで至っているからこの作品はいいと思えば、教授が何を言ってもこの作品はいいと思えましたし、自分が良くないと思っていたら、教授にいいと言われても、いやそんなことはないと思っていました。
──自分の軸がしっかりあったのですね。
リラックスした場でなら、みんな本来はそう考えられるのではないかな。これをやろうと思って制作して、結果それに至っているか、何が足りなかったかどうかは提出前から本人がわかると思います。
──画家として活動してから、自分の作品に対するお客さまの反応にも興味があると聞きました。自分が表現したいことが伝わっているか、または何か人を動かすものがあるか。そこは知りたくないですか。
肯定でも否定でも、他の人の意見は自分の作品を良くするための一つの意見として、それに対して感情的になることはないです。ご意見をいただきありがたい気持ちですが、何を、どこに向かってやるかを決めるのは結局自分なので、向かっている方向に有益だと思えばやった方がいいと考えます。自分の向かっている方向と全然違う意見を取り入れても、そちらには向かえないと思うんですよね。
虫の死骸を収集して…
──ところで、美大の時に、虫の死骸を収集して引き出しに入れていた話を聞いたのですが、もともと虫に興味があったのですか。
それは美大に入ってからで、制作としてやっていたことです。ふつうの男の子のように虫は好きでしたけれど、その見え方が変わって、制作として捉え直した感じです。大学の敷地には虫がたくさんいて、いっぱい死んでいました。それに対する思いよりも、眺めとしての表現です。収集した元の場所とか風景とか、それにまつわる記憶のようなものをブラウジングする。虫の死骸という特定の物ですが、様々な想起ができるものとして見ていました。
──虫を描いた銅版画は、虫の標本箱のように見えます。
綺麗に整えて、収集箱のようにするという描き方にはしなかったです。完品ではなくて、ちょっと崩れたりしていた虫を中心に描いています。
──それは、時の経過を表現することと関係していますか。
もっと具体的には場とか風景、記憶といった『雰囲気』と『気象』の2つがキーワードです。屋外のものは、環境に晒された痕跡を見出しやすい。
──死骸を描いていましたが、ヴァニタスとか世の無常とかとはあまり関係ないということですか。
無関係と言えるかはわかりませんが、作者としての視座としてはさっき語ったようなことです。でも、その当時はこんなに明確にはわかっていませんでした。今、言語化すると、そういう感じということです。
──大学の卒業制作は、どんな作品を制作したのですか。
卒業制作は、虫をいっぱい並べていた作品です。『無限景』という作品です。他に、巨大に引き伸ばした蛾の一部を描いた『夢蛾』シリーズも合わせ、銅版画大作数点を発表しました。
大学院に行き、自分が作りたいものが見えてきた
──その後、大学院にも進みました。
大学4年間は、自分の制作テーマを決めて技法を学ぶので、それを形にするにはちょっと短い。そこに丸々4年間を使うのではなく、1年生ではまだ油絵を描いていますし、大学に馴染むだけで1年間を使ってしまいます。2年生、3年生で専門に分かれますが、その間ほぼ技法を学ぶだけです。結局自分のテーマを据えたスタートは4年生からです。4年生の12月には卒業制作を提出するので、実質7~8ヶ月しかなくかなりタイトです。もう少し踏み込みたいので、大学院の2年間を使いたい気持ちになります。実際良かったと思います。自分が作りたいものが見えてきた感じでした。そして、かなり落ち着いて2年間制作できました。
──修了制作はどんな作品を作りましたか。
修了制作時は、大学を出て海に行っていたので、海岸に打ち上げられている猿やカモメの死骸を描いていました。
──やはり死骸に気持ちが引かれたのですね。
さっき話した気象的な部分が、より強調されてきたなと思います。
──拾ってきた死骸は、腐敗して大変ではなかったですか。
机の上に置いて描いていました。塩と天日に晒されてカリカリになってしまっているので、結構大丈夫です。それを大体原寸大で銅板に描きました。ですから、銅版画としてはちょっと大きいものになりました。
教員と作家はかけ離れたところにいる
──大学院修了後、高校で美術を教えながら画家活動を始めましたが、今も教えているのですか。
9年間勤めましたが、今はやっていないです。
──今は、個人事業主の美術家ということですか。
そうです。だから迷った期間も9年間ありました。
──9年間も迷った末の決断だったのですね。
はい、私は不安を感じない人間ではありませんから、すごく迷いました。安定収入があるから、制作に没頭できるという考え方も当然あります。一方で、他の仕事もしていて、歳を重ねれば重ねるほど、画家の仕事は減っていくだろうなということもあったのです。これはジレンマですね。絵の仕事は、やはり絵を描く人のところに来ます。先生には先生の仕事があります。私は、先生の仕事に不満はなかったので、逃れるように作家になったわけではありません。本当にやりがいがあったのですが、それを断腸の思いで断って画家になりました。そこは、ものすごい決断でした。
──高校で教えるのをやめたのは、いつ頃ですか。
大学院生のときから講師をやっていたので、やめたのは2015年ぐらいです。今は色々な人に支えてもらいながら、何とか画業だけで生活しています。高校のときは、美術の授業を週20時間やっていましたので、常勤の先生と同じくらい授業を持っていたと思います。
──そうすると、描く時間は減ってしまいますね。
それはそうですが、描く時間が減ることはあまり問題ではなかったと思います。自分の場合はそれよりも、何か意識のフォーカスができなくなることが問題でした。
──帰宅後も、描く気力はあったということですか。
気力はあるのですが、同じ美術でも、教員と作家とはかなり離れたところにあると思っています。教員は、色々な生徒のよいところを見つける仕事です。でも、作家は、それではだめです。作家は1枚の絵を描くときに、他を切り捨てる仕事です。何かある種の独善性とか、これだという確固たる何かのために突っ走るようなことを意識としてできないと。これもいいかも、いや、でもあれもいいよねだと、何も表せないのです。先生は、それをやるわけにはいかない。お前は可愛い、でもお前は可愛くないってやると、それは先生としては失格ですもの。
──そこの意識の切り替えができないわけですね。
簡単にできないと思います。やはりいいところを見つけるのが癖になってしまいます。教師としてはいいことなのですが、作家としては平均的というか、気が抜けてしまいますね。
銅版画は、自分のやったことがどんどん集積して、そこにキズが積み重なっていく
──現在は、銅版画と多層ガラス絵を制作していますが、次の個展会場(伊勢丹立川店)では何点展示の予定ですか。
大体30点を予定しています。多層ガラス絵を中心にすると言っていましたが、銅版画制作から入った方が、今回のテーマはやりやすいと考えました。新しい試みが多く、一点ごとの時間が思ったよりも長くかかりました。多層ガラス絵と並行して銅版画を制作しているので、それによってなにか思いつき、展開することも多いです。銅版画という技法は、自分の軸足です。
──齋藤さんは、もともとデッサンを得意としてきました。線の美しさを活かすにはやはり銅版画がいいですね。
絵具と銅版画との違いもあります。塗ることと違い、線は一度刻むと基本的に消せません。ペイント(paint:絵具などを塗って描いて表現する)とドロー(draw:線で描いて表現する)の違いというか。ペイント自体を批判する意図はありませんが、そこには最終的に見えている表面だけを見て欲しいという作者の欲求があると思います。私が自身の制作の軸を、油彩から銅版画に切り替え制作をするようになってからの、最初の違和感はこの、線が消せないという物理的な事実でした。そこにすごく不快感を覚え、なぜなのかずっと考えていました。それは、理想の自分の姿とか、過去の自分の行いがなかったかのように、最終的に仕上げた一番表面だけを見て欲しいという願望が強いからだと気がつきました。ペイントは要は塗り潰すということですが、ドローしながらペイント的な美学の期待感があったのです。今はむしろドロー的な美学に関心が向いたので、もっと自然にできるようになりました。ドローが、より好きになっています。
──版画にはリトグラフなどもありますが、銅版画の方がしっくりくるということですか。
「リトグラフ※註 は、凹凸がないのでやはり表面(をつくるイメージ)です。銅版画の場合は、そのまま削り取ることもできますが、削り取ったらその痕跡も版になってしまいます。自分のやったことがどんどん集積して、そこにキズが積み重なっていくということ自体が、他の版にはないのです。」
※註 リトグラフ:石版画ともいう。平らな版(石版や亜鉛版など)に、油性の描画素材で描き、油と水の反発を利用してインクを紙に刷る版画技法の一つ。ロートレック、ミュシャ、シャガールなど、多くの画家が使っている。
──制作の全ての痕跡が残って消せないことは、もともと興味を持っていた時間の経過や変化とも関係していますか。
そうかもしれません。
多層ガラス絵の発想の原点は、鳥獣戯画などの絵巻から
──多層ガラス絵に取り組んだきっかけは何ですか。
相反するものが、一つの中に同時に成立していることに対してリアリティを感じるようになったということでしょうか。
──銅版画で今までしてきた表現に飽き足りないものがあって、少し違う表現をしたい思いがあったのでしょうか。
前段階として、銅版画シリーズ『見るなの座敷※註 』を描いていました。襖や障子を開けると、突然別の世界が目の前に出現する昔話に基づいた作品です。向こう側とこちら側の世界が繋がっていて、同時に存在する境界を跨ぐような意識と言いますか。西洋的な三次元のイリュージョンではなくて、(襖を左右に開けて)スライドするのが日本文化の面白さであり、しつらえの妙という、そういうものから感じとり、自己同一を揺さぶりたいという感じでした。
※註 見るなの座敷:「私が留守にしている間、この屋敷内のどの襖を開けても構いません。けれど、あるひとつの座敷だけは、絶対に開けて見ないでください。」 木こりは、見慣れたはずの山で道に迷い、見た事もない豪華なお屋敷で歓待を受けた。屋敷の主人に前述のように告げられたが、好奇心から禁を破り、その座敷を覗いてしまった。刹那、もとの山道にいる自分に気づき、呆然と立ち尽くすその頭上を、一羽の鳥が飛び去る。
──ガラスを重ねていく手法は、同時に存在している異次元の世界に行く感じですか。
「異次元の世界に行くというよりは、異次元の世界も同時に存在している感じです。
──異次元の世界を、複数のガラスを重ねることで作るという発想は、斬新なアイデアです。多層ガラス絵作品に至るまで、試作は繰り返したのですか。
そもそもお手本がないので、全て試作とも言えます。ただ、初めて作った時は、自然とやっていた感じです。こんなのがいいかなと、ふっと思いついてやってみました。
──ガラスを何枚か重ね、それを額の中に仕込む方法や、ガラスの厚さをどうするかは試行錯誤しましたか。
技術的な部分は後からです。先に何かやりたいことがあり、この感じでやれるのではという、やりたいことが優先です。全部準備して始めるのではなく、今あるもので始め、その後必要なら、足したり引いたり掛けたり割ったり。調整し続けます。それが私の性にあっていると思います。例えば、引っ掻き落とすテクニックは、銅版画からの借用です。
──年初の個展の多層ガラス絵に、ウサギや龍のモチーフが出てきたのが意外でした。こうした生き物については今まで興味があったのですか。
ウサギという動物に興味はなかったのですが、やはり大きいのは鳥獣戯画です。昔から好きだったわけではありませんが、図を描いている間に意識するようになりました。時間ということで言うと、巻物それ自体が、(巻物を右から左へ開きながら場面を追って見ていくという)時間軸を含んだものです。絵巻の中でも鳥獣戯画はちょっと異質で、ドローイング的な要素を持っています。ドローイング的なものの特異性としては、時間と身体性があると思います。時間と運動の表現は、絵画とか写真よりも、音楽とかダンスに近い感じです。
──「身体性とは、自分が描いているときの手や腕や体の動きが、描いた線に直接に出るということですか。
時間とともに流れるということが、ドローイングの重要な独自性だと思います。音楽やダンスはドローイングにすごく近く感じます。逆に絵画や写真はドローイングと遠い感じがします。絵画や写真は、どちらかというと時間を止めるような感じです。
──絵画でレイヤーを重ねて時間の経過を表現していく場合もありますが、それでも絵画は基本的には、一つの平面に時間を閉じ込めてしまうというイメージですか。
そこがちょっと言葉の難しいところなのですが、ドローイングは時間とともに流れる感じです。時間を閉じ込めるのが絵画だと思っています。だから自分がやっているのは絵画というよりもドローイングです。時間とともに流れる、ドローイングが自分にはすごく合っているし、そこを表現したいということです。多層ガラス絵は、特にどこか1か所に視線が定まらないのです。
──すると、見る方法としては、一番上のガラスに視線を合わせて見てもいいし、奥のガラスに視線を合わせて見ても、どこを見てもいいということですか。
そうです。しかもそのガラスの層自体に反射があったり、影が落ちたり、影響しあっていることも大きな理由です。多層ガラス絵を飾って見る場合には、その環境は問いません。金箔などの箔を使っていますが、箔と絵具では光の反射率が違います。すると、昼と夜で見えてくる図像が結構変わります。見え方が時によって変わるというのは、心理的な部分では絵画が元々持っているものだと思いますが、物理的にも大きく変わるというのが多層ガラス絵の特徴になります。
──絵画とドローイングの違いの話を聞いて答えは出ている気がしますが、銅版画は基本モノトーンで、多層ガラスはセピア色がかった作品です。彩色することには、あまり関心がないということですか。
そんなことはないですが、何かをやった後に彩色することはやってもどうなのかなという気がします。しかし、結果としてその色が残っているというのは、わかるんです… 色塗りのような感じで、色を置いていくようなことはあまりやらないです。
──多層ガラス絵にしても銅版画にしても、そこで筆を置いた時点、刷り終わった時点で、もう完成しているので余計なものを加えたくないということですか。
色が余計なものという言い方はちょっと語弊があります。どちらかというと、自分が使っているのは、素材の色です。要はその制作に使った素材の色そのものが、その作品の独自の色になっており、その作品を作る上でその色を使わないと成立しない色があってもいいと思います。色はあってもいいと思いますが、彩色のための色だと、かえって聴き取りづらくなる、雑音になってしまうかなという気もしますので、そこは慎重に扱いたいです。
描くことで、自分の意識が作品にどんどん縫い込まれていく
──改めて伺いたいのですが、齋藤さんにとって、作品を制作する意味をどのようにとらえていますか。
その時々で多分違うと思いますが、今は仕事ですね。」
──仕事ですか。
すみません、深い答えではないのですが。
──大事なことだと思います。
今は仕事としての意味が大きいですかね。しかし、何かこういうふうに見えるよということを表したいという気持ちは、多分根っこにあるように思います。
──何か発見があって、それを表現してみたいということですか。
発見とは思っていませんが、こういうふうに感じる、見えるということがあります。そこを言葉だけでは表現できない部分があって、自分にはこんな感じに見えるということを表現しているのかなと思います。
──今の制作は、自分にとっての日記とかエッセイのような感じですか。
ちょっと違う気がします。なにか、縫い込んでいくような感じと言いますか…難しい言い方になってしまいますが、シンプルに1本の線を引くのと同じですが、描くことによって自分の意識がそこに縫い込まれて行って、また描いたものが自分の意識に縫い込まれ、それで縫い込みが確かになっていって1点の絵や銅版画がオリジナリティを獲得するんです。
──将来の活動についてはどんなふうに考えていますか。既に、海外で作品を発表したこともありますけれど…もうコンクールは卒業ですか。
そういうことはないです。この前は、ポーランドのウッヂ国際版画トリエンナーレに作品を出品しました。また、作品画像を2025年カレンダーにも採用していただいた、CWAJ現代版画展※註 では、来年マサチューセッツ州ファルマスのハイフィールドホールでの米国巡回展が決まっています。今、小泉八雲の没後120年企画として、「怪談」にインスピレーションを受けた日本とアイルランド計40名の作家による作品の展覧会が日本とアイルランドを巡回していますが、それにも参加しています。海外での個展は未経験ですが、そうした企画展に出品することがあります。
※註 CWAJ現代版画展:1956年に初めて開催された版画公募展で、日本のすぐれた現代版画を紹介する展示会として国際的に高い評価を受けている。
(聞き手・文/アートコンサルタント・亘理隆)
Artist bio
齋藤悠紀 Yuki Saito
齋藤悠紀 Yuki Saito
銅版画家としてキャリアをスタートし、その抜群のデッサン力を駆使しながら対象の変化を見つめとらえる作品によって、海外での受賞歴も多い齋藤悠紀氏。近年はその素材と技法を活かしたオリジナルの多層ガラス絵の作品も発表しています。ガラス絵は裏から描いた絵を表から鑑賞する作品ですが、齋藤の多層ガラス絵はそのガラス絵を何枚も重ねて1点ものの作品として制作します。その発想の源は「鳥獣戯画」などの絵巻にあり、右から左へと眺めていく絵巻を折りたたむような形でいくつもの場面を1点の作品にすることで、絵巻の時間と空間を凝縮して表現します。
多層ガラス絵は、ガラス面に塗られた防触材(グランド)によるセピア色のような背景から浮かび上がる兎・月・龍・羅漢などのモチーフが、イタリア工房製などの額縁との組合せで制作されており、幻想的で現代的な和風スタイルが魅力です。
専門家や美術コレクターの評価が高い作家ですが、初めて美術を購買されるお客さまへも伝わる表現を意識して制作することで、確実にファンが増えています。
〈略歴〉
1982 埼玉県生まれ
2008 東京造形大学大学院 造形研究科 美術研究領域 修了
◆美術館◆
(日本、アメリカ、中国、韓国、台湾、フランス、ポーランド、 ルーマニア、スペイン)
◆百貨店◆
(銀座三越、伊勢丹浦和、伊勢丹新宿 、東急たまプラーザ、福屋八丁堀、阪神、東武池袋)全国の画廊などで発表しています。多層ガラス絵、銅版画など。
◆近年の個展◆
’22 「夜と花」高槻阪急
「多層ガラス絵、銅版画」アートゾーン神楽岡(京都)
「夜ばなし」アートギャラリーミューズ(群馬)
「月歩」福屋八丁堀本店
’21 「短夜」 伊勢丹浦和
’20 「夜行」 福屋八丁堀本店ギャラリー101
’19 「薫風個展」 阪神梅田
「行き交ふ」 伊勢丹浦和
’18 「見るなの座敷」 銀座三越
’17 「光の糸」 伊勢丹浦和
「野をしたむ」 東急百貨店たまプラーザ店
’16 「の間」 伊勢丹新宿
「あけたて」 伊勢丹浦和
「骨の森の中で」 柳沢画廊/さいたま
「一間の漂泊」 アートギャラリーミューズ/前橋
’14 「Stranding Cafe」 Sawyer Cafe/西荻窪
’13 「びょうびょう」 柳沢画廊
’12 「観測小屋」 ギャラリー上原/渋谷
「漂う天球」 伊勢丹浦和
「観測」 養清堂画廊/銀座
◆受賞◆
’09 空間国際版画トリエンナーレ 買い上げ賞 ソウル市立美術館/韓国
’07 PRINTS TOKYO 2007 審査員特別賞 東京都美術館/上野
’05 第5回クルジ国際版画ビエンナーレ 佳作賞 NapocaArtMuseum/ルーマニア
第12回ウッヂ国際版画トリエンナーレ 名誉メダル賞 WillaGallery/ポーランド
◆パブリックコレクション◆
WillaGallery、NapocaArtMuseum、東京造形大学図書館(八王子)、うらわ美術館(さいたま)、鹿沼市立川上澄生美術館、町田国際版画美術館、国立台湾美術館(台湾)、MECCA DESIGN GROUP(韓国)、日本美術技術漫画博物館(ポーランド)
作品解説 齋藤悠紀『影絵』(shadowgraph)
『影絵』(shadowgraph)
齋藤悠紀
多層ガラス絵(3層)25.7×31.0cm
まず、読む前にこの作品を見て欲しい。この作品は、実はガラス絵である。ガラス絵は、透明でつるりとした表面を活かすために裏側から描き、その特性を活かし、赤黄青といった明るく鮮やかな色で描いた作品が多い。しかし、この作品は、まるで長年の歳月を重ねたかのようにセピア調の色が画面を支配している。しかも、違う絵を描いたガラスが3枚重ねて一つの額に収められている、二重サッシならぬ三重サッシのような構造をした作品である。
一見、3枚のガラスは、近景、中景、遠景を表現しているようであるが、目を凝らしてみるとそれほどシンプルな効果を狙ったものではないことがわかる。月と兎という、日本人にはなじみのある題材を使いながら、それらが天も地も混然一体となって、浮遊感のある夢幻の世界へと誘い込む。空間だけではない。作家が制作した時間、この作品を今見ている人の時間、作品の中の時間が交錯する。箔も使っているこの作品は、光の変化を反映し、見る時間、見る角度によって様々な表情を見せる。ガラスという支持体の魅力を十全に活かしたこの効果は、ぜひ実物を目の前に見て、確かめていただきたい。またこの画像には入っていないのだが、齋藤は、額縁も制作する際の絵具と同じ「素材」としてとらえて、セレクトした額縁の魅力を引き立てるガラス絵を描いている。併せて、見ていただきたいポイントである。
(解説/アートコンサルタント・亘理隆)
齋藤悠紀さんの展覧会情報
齋藤悠紀個展 多層ガラス絵 ーreflectionー
2025年1月22日(水)~29日(火)
10:00~18:30 [最終日17:00終了]
伊勢丹立川店 8階 アートギャラリー〈入場無料〉
齋藤悠紀は、主に「多層ガラス絵」という技法で作品制作をしています。絵の具が付着している側と反対側から鑑賞するガラス絵の技法は、イタリア・ルネサンスが花開いた14世紀頃から、ベネチアを中心に本格的にヨーロッパで広まりました。齋藤悠紀の多層ガラス絵は、裏側から描き鑑賞するガラス絵を積層した一点ものの作品です。20年以上に渡る彼の銅版画の経験から、テクニックと素材を応用して制作されます。ガラス絵の持つ、潤いのある発色。箔と積層に反射や透過など、他にはない質感と立体感が特徴です。
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