
東京・府中市の府中市美術館で、9月20日から「フジタからはじまる猫の絵画史」が開催されています。
筆者は平日の開館と同時に訪れましたが、会場は午前中から多くの来館者で賑わっていました。人気のフジタをはじめ、様々な洋画家たちが描いた猫にスポットライトを当てた展覧会。フジタと猫の組合せは人気抜群です。
でも、従来のフジタ展、猫展とは違う切り口で、フジタと猫の微妙な距離感や東西の文化の違いに気づかせてくれる展覧会でもあります。
府中市美術館は、ちょっと不便という方もいるかもしれませんが、本展は巡回展も予定されていないので、行ってみる価値が十分ある展覧会だと思います。
なお、訪問する際は、ホームページで「混雑状況のご案内」を確認されることをお勧めします。
藤田嗣治について
1886年に東京で生まれ、1968年にスイスのチューリッヒで没した洋画家。東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後、27歳の時に渡仏。経済的に苦しい時期もあったが、「今までの日本人画家は、パリに勉強しにきただけだ。俺はパリで一流と認められるような仕事をしたい」※という志しで研鑽を重ね、その後、「乳白色の肌」と賞賛された独自の技法で、一躍エコール・ド・パリの寵児となる。第二次世界大戦の戦時下は、日本で戦争記録画を多く描く。戦後、フランスに渡り、フランス国籍取得。その後、カトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと改名する。レジオン・ドヌール勲章受章。ベルギー王立アカデミー会員。作品は、東京国立近代美術館、軽井沢安東美術館をはじめ、パリ市立近代美術館、ポンピドゥセンター、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館など海外の美術館でも所蔵されている。

本展担当学芸員:音 ゆみ子さんに伺う
今回の展覧会が実現するまで
「猫の絵画史」というタイトルからして、楽しそうな展覧会である。とはいえ、展覧会は学芸員にとって、長年にわたり調査・研究してきたことを来館者にわかりやすくプレゼンする場でもある。それだけに強い思いがあるはずだ。本展担当学芸員の音ゆみ子さんも、この展覧会に至るまでの積み重ねがあった。
「当館では東西の交流をテーマの一つとしています。私は西洋絵画が専門ですが、日本の近世絵画の展覧会も担当する中で、日本と西洋の絵画表現の違いに関心を持ちました。
本展は、2016年に担当した『生誕130年記念 藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-』が一つのきっかけになっています。その図録に掲載した論文で、動物表現が東西で違っていることを述べました。その後開催した『開館20周年記念 動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり』(2021年)では、日本と西洋の宗教観に基づく動物表現の違いや共通性について考えを深めることになりました。
動物表現でも、特に猫は身近な主題です。でも、改めて見ると、西洋には猫の絵は少ないんです。日本でも、フジタ以前には洋画家の描いた猫の絵は少なかったのですが、フジタ以降、日本の洋画には魅力的な猫の絵がたくさんあります。そうした視点で猫の絵画史を考えてみようというのが今回のテーマになっています」
言われてみて、初めて気がついた。日本では、歌川国芳や河鍋暁斎など猫の絵はおなじみだが、近世までの西洋絵画に描かれた猫はほとんど思い浮かばない。西洋の動物観では、動物は理性がなく人間より劣ったものと捉えていたからだ。伝統的な西洋絵画の枠組みでは、猫という動物を描いても芸術として評価されなかったのだ。
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フジタはなぜ、猫を描いたのでしょうか
本展を見て改めて感じたが、フジタは渡仏してから生涯にわたって、猫を主役に、脇役にずっと描き続けている。それほど猫が好きだったのだろうか。
「フジタは日本よりもパリで先に売れた異色の画家です。日本では無名のままフランスへ行き、のちにエコール・ド・パリと呼ばれる個性的な画家たちと交わったことで、日本人らしさを個性として前面に出すようになります。最初の頃は、金地に鶴を描いたり、金地の扇面に猫を描いたりした作品もあります。
その後、独自の画風を確立した頃に生み出した『乳白色の肌』の下地も、日本人にしか生み出せない余白を生かした技法でした。その日本的な技法を際立たせるために、あえて西洋の伝統的な枠組みを選びます。「五人の裸婦」(1923年)の裸婦は五感を象徴するもので、そこに描かれた猫も、官能性を象徴する抽象的な概念であり、これは西洋の伝統を取り入れています」
フジタは、日本人洋画家が西洋で認められるためにはどうすればよいかを考え、猫を抽象的な概念から解き放つ。
「改めて猫という主題を考えた時、フジタは『猫の画家』という自分を1920年代くらいからアピールしていきます。本当に猫好きだということは作品からよくわかるのですが、『猫の画家』としてのイメージづくりもしていたと考えています。」
フジタは、自画像という西洋の伝統的な画題でも、筆と硯を前に面相筆で制作する自らの姿を描き、見る人に日本的な技法を印象づける。特徴的なおかっぱ頭の画家と共に描かれているのは、腕や肩からひょいと顔を出す猫。フジタのセルフプロデュース能力は高い。西洋になかった新たな画題、猫を描く画家、フジタ。
「フジタは、猫をモチーフとして見ています。猫をえがくことを通して、日本と西洋に向き合った画家だと思います。
フジタの変遷の中で、重要な1点を挙げるとすれば、戦後に描いた『猫の教室』(1949年)です。フジタが戦後に描いた少女や猫の絵は人気がありますが、美術史的に捉えると見過ごされがちです。でも改めてフジタの画業を見た時、実は戦後にすごく新しいことを生み出している。その始まりが『猫の教室』だと考えています」
日本人の油絵画家として、本場西洋の芸術という枠組みの中で自分をどうやってアピールしていくか、西洋美術の伝統にどうやって立ち向かっていくか。それをずっと考えてきた画家フジタは、日本と西洋の間で葛藤してきた画家だ。擬人画に変化が現れる。
「今回展示している『動物宴』は、人間の感情や本性を感じさせる、西洋的な擬人化された動物の表現です。でも、その隣に展示している『猫の教室』は、もっとおおらかでユーモアがあります」
この作品に、音さんは鳥獣戯画のような親しみを覚えると言う。キリスト教では、動物は人間に支配されるものとしている。一方、仏教では、動物も人間同様に命を持ち、心を持っているととらえている。擬人化した時、その違いは如実に現れる。「猫の教室」の猫たちは、やんちゃな小学生のような印象だ。
戦後、再びパリに渡ったフジタは最後まで猫を描き続けた。
「それは西洋の絵画芸術の枠にとらわれない自由でのびやかな創作でした。日本の伝統を背負い、本場に負けない西洋絵画を描こうと奮闘し続けた画家が辿り着いた新境地だと言えます」

フジタ以外の猫の絵はどうやってセレクトしたのでしょうか?
本展では、26人の作家による83点の猫の作品が展示されている。フジタ以外の猫の作品は、どのように選んだのだろうか。
「フジタと関係のある画家を選んだわけではなく、個性的で魅力的な猫の洋画を中心に選んでいます。猫好きの画家かどうかというよりも、作品中心に選んでいます。
それをテーマで分けていますが、改めて見るとフジタに行きつきます。面白いのは、フジタがパイオニアとなって切り開いた道をみんなが辿っている感じがあることです。
洋画家は、日本人でありながら西洋の絵画芸術に向き合っているので、どうしても日本と西洋という問題に突き当たります。西洋に追いつけ追い越せという意識のあった明治期の画家たちに比べると、フジタ以降はもう少し日本を意識しなければならない。その時に、猫は一つのきっかけになっています。また、猫は描く主題ではなかったのが、フジタの活躍によって画家にとって魅力的なモチーフなっていきます」
今回出品されている、フジタ以外の洋画家が描く猫も、それぞれ特徴がある。時にリアルに、時にコミカルに描かれる猫たちの姿態や表情は変化に富み、画家たちの猫愛が感じられる。こんなにたくさんの猫の絵を見られるのは、フジタのおかげなのかもしれない。
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展覧会の最後は、猪熊弦一郎で
音さんが、フジタ以外にもう一人、本展に欠かせないと考えていた画家がいた。
「猪熊弦一郎(イノクマ ゲンイチロウ)は、展覧会の構想段階から会場の最後に展示をしたいと考えていました」
猪熊は香川県出身の画家で、画業後半はニューヨークに渡り、純粋な抽象画に転じた。三越の、白地に赤い石のようなデザインの包装紙は、猪熊が原画を描いている。
「猪熊は、フジタと非常に近しい関係でしたし、猫に関する発言もフジタの影響を受けていると思います。
一方で、だからこそなのかもしれませんが、先ほどお話したように洋画を描きながらも西洋を気にしなくなり、独自の路線を見つけたようにみえるフジタに対して、猪熊はやはり日本と西洋の問題に悩んでいるんです。
猪熊は、猫の姿をデフォルメして抽象化していく試みをしました。西洋で、風景画や静物画から抽象画に向かう画家はいますが、動物から抽象に向かおうとした画家はほぼいないです。フジタ以降の洋画家たちが、本展で紹介しているように多彩な猫を描いたことは洋画の大きな展開だと思いますが、猫の抽象化もその中の一つと位置づけられると思います」
猪熊は猫好きで知られている。猫をモチーフに、どのように抽象化して絵が生まれたのだろうか。
「猪熊はそこが面白いんです。1950年代にその試みをしましたが、挫折しました。その時に、猫を知りぬいた後、忘れたいと言っています。モチーフとして猫をしっかり見て、そこから何か生み出したいと言うのですが、猫が好きすぎてモチーフとして距離を取れなかったのかもしれません。1955年にニューヨークに行き、それ以降、純粋抽象画に向かっていきますが、猫を描かなくなります」
猪熊は、最晩年、90歳を超えてから改めて猫を描く。紙の上にこどもの落書きのように屈託なく描かれた猫たちは、それぞれ個性的で人間くさい顔をしている。
「猪熊は、人間を含めてすべての動物を深く知りたいと言っていました。私は、やはり動物を描くということは、結局そこを通して人間を描くことだと思っています」

この展覧会をもっと楽しむには?
最後に、この展覧会をもっと楽しむためのヒントをいただいた。
「動物のテーマは、親しみやすい題材ですよね。特に、猫という一つのモチーフを通して、色々な画家がバラエティ豊かな表現を展開していることを楽しんでいただけたらと思います」
そう、子どもでも気軽に楽しめる入りやすい展覧会だ。しかし、洋画を通して、明治以降の西洋化について、改めて考えさせる。洋画は、一時期のブームが去ったようにみえる。
「私たちは、明治以降、日本の伝統もありながら近代化によって、ごく当たり前に洋服を着て、テーブルのある椅子に座り、洋風の生活をしています。画家たちもそうした社会で、戦争などの大きな体験もしながら絵を描いてきました。猫を通して、時代時代の洋画や美術の独自性が見えてくると思います。そこが、みなさんの今の暮らしで感じているようなことにつながれば、また洋画の楽しみ方の一つになるかもしれません」
もちろん、猫好きの方にも…
「今回の展覧会の絵の中にいる猫は、小さい猫も入れて数えると300匹以上います。猫ちゃんを飼っている方には、自分の猫ちゃんに似ているとか、そういう楽しみ方もできますよ」



この展覧会をさらに深く、美味しく、楽しむ
1.コレクション展(常設展)
近代以降現代に至るまで、日本の画家たちが社会の変化の中で、西洋美術と向き合いながらどのように自らの表現を模索してきたか、「猫の絵画史」鑑賞後はさらに興味深く見られます。
2.ミュージアムショップ
本展に関連して、猫に関する本やグッズの品揃えが多数。
3.府中乃森珈琲店
館内のカフェで、開催記念限定メニュー、「猫とフジタのプレート」や「フジタの猫 ブレンドティー」を味わえます。
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4.紙工作
本展に関連して、三毛猫の模様をモチーフにした工作がダウンロードできます。
http://fam-exhibition.com/foujita2025/special.html
※近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』講談社 2006年 p.78
<参考>
府中市美術館(音ゆみ子)編著『フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫』筑摩書房、2025年
カタログ『生誕120年 藤田嗣治展』(東京国立近代美術館他)2006年
藤田嗣治『腕一本/巴里の横顔』講談社 2005年
近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』講談社 2006年
(亘理 隆・アートコンサルタント)
展覧会インフォメーション「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」
展覧会名 | 「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」 |
会期 | 2025年9月20日(土)~2025年12月7日(日) 一部作品の展示替えを行います。詳しくはホームページをご覧ください。他会場への巡回はありません。 |
時間 | 午前10時~午後5時(入場は午後4時30分まで) |
会場 | 府中市美術館 |
住所 | 183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地[都立府中の森公園内] 展示室 府中市美術館 2階企画展示室 |
休館日 | 月曜日(10月13日、11月3日、11月24日を除く) 10月14日(火)、11月4日(火)、11月25日(火) |
観覧料 | 一般1000円(800円)、高校生・大学生500円(400円)、小・中学生250円(200円) ※10月11日(土)~13日(月)は市民文化の日無料観覧日のため、どなたも無料。当日は混雑が予想されます。混雑時には入場制限を行いますので、あらかじめご了承ください。 ※( )内は20名以上の団体割引料金。 ※未就学児は無料。 ※障害者手帳(ミライロID可)等をお持ちの方と付き添いの方1名は無料。 ※府中市内の小中学生は「府中っ子学びのパスポート」で無料。 ※コレクション展もご覧いただけます。 |
TEL | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
URL1 | 「フジタからはじまる猫の絵画史」特設サイト |
URL2 | 府中市美術館 フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫 |
SNS | https://x.com/FuchuArtMuseum |
主催 | 府中市美術館 |
協力 | 青木屋 |
展覧会講座
「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」
講師 音ゆみ子(府中市美術館学芸員)
日時 2025年11月8日(土)14時~(開場13時30分)
会場 府中市生涯学習センター講堂(府中市美術館より徒歩5分)
無料 予約不要
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