チャットGPTとホモ・デウス

チャットGPTが話題だ。
高機能AIであらゆる質問に回答を返してくれる。
小説も書けるらしい(しかも著作権フリーの小説!)。
いわゆる検索とは違う。

私も早速試してみたのだが、少しマニアックな本の内容を比較検討してくれたり、疑問に応えてくれたりと面白い。今の段階だとまだ少し薄っぺらい内容を知的な言葉遣いで喋ってくれる中途半端な高学歴マンみたいな感じだけど、でも面白い。

<AIは第二の産業革命となるか>

「AIの進化は第二の産業革命だ」とテレビで論じている人がいて、とても興味深かった。
これから人間の暮らしにAIが溶け込んでいき、AIがあるのが当たり前の世の中になるにつれて、仕事のあり方も学校の学習方法も変化していくだろうと言っていた。裁判官のなかには判決文をAIに書かせている人もいるとか。判決文等はある程度定型的な形式が決まっているので、判決そのものは人間が判断するにせよ、そこに至った理由等を記述するには便利だろう。また今まではパラリーガルが過去の判例等を調査するのに膨大な時間を使っていたが、AIがあれば、類似事件の判例を答えてもらえて時間節約になるらしい。今まで医者の知識と経験に頼っていたような診療も、AIを利用することによって誤診が減ることに繋がるかもしれない。

また当たり前だが、AIは恐怖感を感じたり感情に踊らされたりすることが無いので、淡々と冷静な判断ができる。投資などの「人間の感情が障害となるような」仕事にも向いているだろう。

そしてAIがあるのが当たり前になれば、これからの学習や試験のあり方も変わっていくのだろう。偏った例で申し訳ないが、今から数十年前にも簿記や税理士試験は「電卓」が持ち込み可だった。電卓を叩かずに暗算で会計の問題を解く人を私は見たことが無かった。言うまでもないが、電卓が世に出る前は帳簿もソロバン等でつけていたはずである。(暗算や計算尺だったかもしれないが・・・・)それが電卓が普及すれば、もう電卓を使うことを前提の試験になるわけで、四則計算そのものは審査の対象ではなくなるわけだ。今後の世の中で同じようなことがどんどん起きていく可能性がある。興味深い。

そもそも「本」が普及したことだって多分革命だったと思う。それまで「知」は長老や教会が専有していたものだった。しかし印刷技術の発明により本は一般人も手に取ることができるものになり、それによって先人の「知」の積み重ねができるようになった。人類は全てを経験から学ばなくてもよくなった。何度も危険を冒して毒キノコを食べる必要が無くなった。だって本に書いてあるから。

<クリエイターとAI>

少し前までAIが取って代わる人間の仕事は、単純作業だったり、決まった枠のなかでの判断をするプロフェッショナル業務だと言われていた。銀行員や一般事務の仕事などである。
そして芸術的な分野、クリエイティブな分野は「人間」であることにアドバンテージがあり、人間には感情や創造の力があるので、創造の場は我々人類の独断場であると言われていた。

しかし最近は形勢が傾いてきた。ここのところのAIの発展は凄まじく、例えばお題に沿ったイラストレーションを描いてくれたり、ヴェートーヴェン風というような交響曲の作曲をしてくれたり、小説も描いてくれる。これから時間と共にどんどん洗練されたものとなっていくことだろう。果たして芸術の分野でも、AIは我々人類の特権を奪い取っていくのだろうか。

<人間はアルゴリズムなのか?!>

チャットGPTの話題沸騰で、昨年読んだ「ホモ・デウス」(https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309227368/) という本を思い出した。世界的なベストセラー「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリの恐ろしい本である。
「サピエンス全史」で、歴史学者であるユヴァルは「ホモ・サピエンスはそれまでの人類と何が違ったのか」ということから始まり、我々現世人類の現代の繁栄に至るまでの歴史をダイナミックに論じた。ベストセラーになるのが当然の面白さだった。

「ホモ・デウス」は我々人類の未来予想である。
この本が出版されたのは2018年だが、それから5年後の今、一部実現している。

ユヴァルは本著のなかで、人間は「アルゴリズムである?」と述べている。
人間の思考パターンや行動理念を全てアルゴリズムであるとすれば、例えば「感動する旋律」のそれをAIに学習させれば、人間が涙したりアドレナリンが出て心から感動するような交響曲が出来上がる。小説にしてもしかり。膨大なパターンやレトリックを学習させれば簡単に感動できる文章が出来上がるだろう。じゃあ絵画は?!モチーフのとらえ方やマチエール表現のパターンを学習させれば、人を感動させるアートも生まれるかもしれない・・・。そうなったときに人間は何をすればいいのだろうか。

それともそれらは「養殖もの」として「天然もの(人間が作ったもの)」とは別な扱いになるのだろうか。

<アップグレードされた人類>

「ホモ・デウス」のなかで、また述べられているのは、人間のアップグレードだ。
今だって私たちはかなりアップグレードされていると思う。戦後70年余で日本人の寿命は30年伸びている。私の家族は人工血管の入替術を延べ5回行い、心臓には人工弁を装着し、食道の代わりに胃を引き伸ばし、胃の脂肪を人工血管に巻き付けている。10年前だったら7回は死んでいてもおかしくない。サイボーグと人間のハイブリッドと言っていい。

現在、医療は病気を治すためにあるが、将来は人類をアップグレードするための医療が発展するだろうとユヴァルは推測している。たとえばより神に近づくための医療。
端的に言うとAIと人間を接続する将来である。
それは拡張された人間=ホモ・デウスだ。
老化した器官を交換して新しくして寿命を伸ばし、拡張された知能(データ)でより神に近づく。

そうした人間とその術を持たない者たちに分かれるそう遠くない未来を想像すると、背筋に冷たいものが走る。

<AIが我々の代理人になる将来?>

AIを利用しているうちはいい。
例えば近い将来、私が「AさんとBさん、結婚するのにどちらが良いか」という相談をAIにしたとしよう。AIは私が生まれた時から今までの膨大なデータにより、私という人間を家族よりも本人よりも深く知っていたとする。そして同じようにAさんとBさんについても膨大なデータを持っており、そのデータから、より良い組み合わせをサジェストしてくれる。
「あなたには、Bさんが合っていると思います。なぜなら○▽□△◎・・・・・」

次の将来では、私のAIとBさんのAIが直接、マッチングする可能性がある。
代理人として自分のオーナーにとって最適となる選択をするために。
そうなった未来では私はAIを利用していると言えるのだろうか。

そしてそのうち、人生の何もかもをAIに判断してもらうようになるとしたら、それは果たして人生の意味があるのだろうか・・・・。

この文章はAIを使わずに書きました。

(ライター晶)

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