パウル・クレー『セネシオ』とは|顔を記号に変えた名画を解説

丸い輪郭、二つの赤い瞳、画面を縦に通る一本の線。パウル・クレーが1922年に描いた『セネシオ』は、わずかな形だけで私たちに「人の顔」を感じさせる作品です。しかし一つひとつの要素を見ると、自然な肌や骨格を描いた肖像画というより、円、直線、四角形、色面を組み合わせた図形に近いことに気づきます。

『セネシオ』の面白さは、単純な顔を描いたことではありません。人はどこまで顔を単純化しても、それを「顔」と認識するのか。クレーは具象と抽象の境界で、見る側の認識そのものを作品にしました。この記事では、『セネシオ』という題名の意味、丸い顔と色面の構成、ガーゼを使った独特の表面、バウハウス時代の造形論まで詳しく解説します。

『セネシオ』 パウル・クレー 1922年 油彩・チョーク下地・ガーゼ・厚紙 40.3×37.4cm バーゼル市立美術館所蔵
『セネシオ』 パウル・クレー 1922年 油彩・チョーク下地・ガーゼ・厚紙 40.3×37.4cm バーゼル市立美術館所蔵
作品名『セネシオ』(Senecio (Baldgreis)
作者パウル・クレー
制作年1922年
技法・支持体油彩、チョーク下地を施したガーゼ、厚紙
寸法40.3×37.4cm
所蔵バーゼル市立美術館
収蔵1931年購入、Inv. 1569

『セネシオ』とは|顔を「記号」に近づけた1922年の名画

『セネシオ』は、クレーがバウハウスで教えていた1922年に制作されました。ほぼ円形の大きな頭部が画面の中心を占め、その内部が黄土色、赤、白、淡い紫などの色面に分けられています。そこに二つの赤い瞳と数本の線が置かれるだけで、図形の集合だったものが突然、人間の顔に見えてきます。

一般的な肖像画なら、目、鼻、口、頬、髪などを描き分けながら人物の特徴を捉えます。ところが『セネシオ』では、顔の細部が次々に省かれています。鼻や口さえ明確な輪郭として説明されず、画面中央の線や小さな形が、見る人に顔のパーツを想像させます。それでも私たちはほとんど迷わず「顔だ」と判断します。

つまりクレーがここで扱っているのは、特定の人物の容貌だけではありません。「顔らしさ」は何によって生まれるのかという問題です。円、二つの目、中心軸という最低限の手掛かりを残し、それ以外を色と形へ置き換えることで、顔を絵画の記号へ近づけています。

「セネシオ」という題名の意味|植物名と「老い」が重なる

『セネシオ』という題名は、人名ではありません。バーゼル市立美術館は、この名がキク科の植物であるSenecio vulgaris、日本でノボロギクと呼ばれる植物と関係することを説明しています。

Senecioという属名は、ラテン語で「老人」を意味するsenexに由来します。花が終わったあとに現れる白い冠毛を、白髪の老人になぞらえた名称です。さらにクレー自身の作品目録では、この絵にBaldgreisという語も添えられています。これは「まもなく老人になる者」といった意味をもち、植物名と人間の老いが重なる題名になっています。

そのため『セネシオ』を単純に「ある老人の肖像」と訳してしまうと、この題名の面白さが失われます。植物の名前でありながら老いた人間を連想させ、画面には年齢も身元も特定しにくい顔が浮かぶ。題名そのものが、植物と人物、具体的なものと記号の境界を曖昧にしています。

なぜ丸と線だけで顔に見えるのか

『セネシオ』を見るときに最も興味深いのは、描かれている人物が誰なのかを探すことより、どの瞬間に図形が「顔」へ変わるかを確かめることです。

円が頭部になる

まず大きな円形が、頭部の輪郭として働いています。ただし完全に自然な頭蓋骨の形ではなく、ほとんど幾何学的な円です。もし内部の目を取り除けば、単なる色分けされた円盤として見ることもできるでしょう。

二つの赤い瞳が視線をつくる

ところが左右に二つの目が置かれた瞬間、円盤は顔になります。目は横一列に並びながら完全な左右対称ではなく、一方の目には緑色の曲線が重なっています。わずかなずれがあるため、機械的な記号でありながら、どこか落ち着かない表情も生まれます。

色面のずれが表情を生む

頭部は一本の中心線で左右に分けられていますが、色面は人間の顔の左右対称性には従いません。黄、赤、白、紫などが別々の形で配置され、頬や額の位置を思わせながら、実際の光や影とは一致しません。顔を描くための色ではなく、色同士の関係によって顔が再構成されています。

色は肌の色ではなく、顔を組み立てる材料

『セネシオ』では、肌の色を忠実に再現しようとする考え方がほとんどありません。頭部の中に置かれた黄土色、赤、白、紫は、光源による明暗でも、実際の肌の色でもありません。それぞれが独立した色面として配置され、円形の頭部を分割しています。

ここで色は、物体を塗るための仕上げではなく、形をつくる材料です。赤い部分と黄色い部分の境界が新しい輪郭になり、白い三角形や紫の小さな四角形が、顔の内部に別のリズムを生みます。色を見ることと形を見ることが分離できません。

クレーは色彩豊かな作品で知られますが、『セネシオ』では「きれいな配色」を楽しむだけでは作品の核心に届きません。色を一つずつ追うと、それぞれの色面が人物を説明するのではなく、人物という像を組み立てたり崩したりしていることがわかります。

平らな図形だけではない|ガーゼとチョーク下地の質感

画像では幾何学的な構成がまず目に入りますが、実物の支持体にも注目したい作品です。『セネシオ』は一般的な油彩画のようにキャンバスへ直接描かれたものではなく、チョーク下地を施したガーゼを厚紙に重ね、その上に油彩で描かれています。

そのため表面はデジタルで描いた図形のように均一ではありません。絵具の下には細かな凹凸や擦れがあり、輪郭線も完全に硬質ではなく、画面には手でつくられた物質感が残ります。単純化された円や四角形と、古びた壁のようにも見える不均一な表面。この二つが同時に存在することで、『セネシオ』は幾何学だけの冷たい絵にはなっていません。

1922年のバウハウス|形が「生まれる」仕組みを教えていた

『セネシオ』が描かれた1922年は、パウル・クレーがバウハウスで教育に深く関わっていた時期です。クレーは1921年から1931年までワイマールとデッサウのバウハウスで教え、色彩、線、面、運動、自然の構造などを体系的に考察しました。

とくに最初の造形論の講義は1921年11月14日に始まり、1922年12月19日まで続きました。つまり『セネシオ』は、クレーが学生たちと「形はどのように生まれるのか」を考えていた時期とほぼ重なります。

クレーは1920年の文章『創造的信条』で、芸術を目の前にあるものの単なる再現として捉えず、これまで見えなかった関係を見えるようにする営みとして考えました。点から線へ、線から面へと形が展開する過程にも強い関心を向けています。後年の研究でも、クレーの造形論では完成した形そのものより、形が生成し変化していく過程が重要だったことが指摘されています。

ただし、『セネシオ』をバウハウスの授業内容をそのまま図解した作品と見る必要はありません。むしろ、クレーが当時考え続けていた線、面、色、生成という問題が、人物の顔という極めて身近な主題の中でも働いている、と捉える方が自然です。

『セネシオ』は抽象画?キュビズム?|一つの流派では読めない

『セネシオ』はしばしば抽象画として紹介されます。確かに、顔は円と色面へ大幅に単純化され、現実の人物を写実的に再現する考え方から離れています。しかし、人の顔であることは明確に残っています。その意味では、完全な非具象絵画ではありません。

画面を幾何学的に分割する方法には、キュビズム以後の造形との共通点もあります。クレー自身も同時代のさまざまな前衛美術を吸収しました。しかし『セネシオ』を「キュビズムの作品」と一言で分類すると、クレー独自の問題が見えにくくなります。

クレーは抽象と具象のどちらか一方を選んだ画家ではありません。作品によって自然の姿を強く残すこともあれば、幾何学へ大きく接近することもあります。『セネシオ』はまさにその中間にあり、「顔だとわかること」と「ほとんど図形であること」が同時に成立しています。

仮面、老人、誰かの肖像?|「正体」を断定しすぎない

『セネシオ』の丸い顔を見ると、仮面を連想する人も多いでしょう。しかし、「アフリカの仮面がこの作品の直接のモデルだった」と断定する説明には注意が必要です。

バーゼル市立美術館が紹介する先行研究では、ピカソの人物像、マルク・シャガールの作品、オスカー・シュレンマーによるバウハウスのエンブレム、アシャンティ文化の円盤状の頭部をもつ人形など、複数の視覚的な比較対象が論じられています。つまり、一つの仮面や一つの文化だけを直接の出典とする確かな根拠があるわけではありません。

また、所蔵館の作品情報には特定のモデルとなった人物名も記されていません。『セネシオ』は誰か一人の個性を忠実に写す肖像というより、見る人が「人間の顔」と認識する構造そのものを使った作品として見ると、その単純化の意味がよくわかります。

30秒で見方が変わる|『セネシオ』の3段階鑑賞

  1. 最初の10秒は「顔」として見る。
    目つき、頭の傾き、年齢、感情など、自然に感じた印象をそのまま受け取ります。
  2. 次の10秒は「図形」として見る。
    円、中心線、二つの赤い点、三角形、四角形、色面だけを追い、人物であることをいったん忘れます。
  3. 最後の10秒で、もう一度「顔」に戻す。
    単なる円と線しかないはずなのに、再び人物が現れます。その変化こそ、『セネシオ』を見る面白さです。

この見方をすると、『セネシオ』は「変わった顔の絵」から、私たち自身の視覚がどのように顔をつくり出しているかを体験させる作品へ変わります。クレーは描き込みを減らすことで、逆に見る側の働きを大きくしています。

『セネシオ』はどこにある?|バーゼル市立美術館

『セネシオ』は現在、スイスのバーゼル市立美術館(Kunstmuseum Basel)が所蔵しています。同館は1931年に作品を購入しました。クレーはスイスのベルン近郊で生まれ、ドイツで活動したのち晩年には再びスイスで暮らしており、バーゼル市立美術館はクレー作品を所蔵する重要な美術館の一つです。

ただし、美術館の所蔵作品は常に展示されているとは限りません。『セネシオ』を目的に訪れる場合は、旅行前にバーゼル市立美術館のオンラインコレクションや当日の展示情報を確認するのがおすすめです。

なお、『セネシオ』そのものは日本にはありませんが、東京国立近代美術館にはクレーの『花ひらく木をめぐる抽象』が所蔵されています。日本でクレー作品を見たい方は、東京国立近代美術館の所蔵作品展「MOMATコレクション」もあわせてご覧ください。

まとめ|顔に見える、その瞬間が作品の核心

パウル・クレーの『セネシオ』は、円、線、色面という少ない要素から人間の顔を成立させた1922年の代表作です。題名には植物のSenecioと「老い」をめぐる言葉の重なりがあり、画面では人物と図形、具象と抽象、顔と記号の境界が揺れています。

一見すると子どもでも描けそうなほど単純です。しかし、単純だからこそ「なぜこれが顔に見えるのか」という根本的な問いが残ります。顔を細かく描くのではなく、顔だと認識するために何が必要なのかまで削っていったことに、『セネシオ』の面白さがあります。

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