美術史を形づくってきたのは画家だけではありません。作品を見出し、購入し、保存し、後世へ伝えた美術コレクターの存在も非常に重要です。
現在世界中で知られている多くの美術館は、もともと個人コレクションから始まりました。コレクターが収集した作品が寄贈されたり、美術館として公開されたりすることで、私たちは名作を鑑賞できるようになったのです。
この記事では、美術史に大きな影響を与えた歴史上の著名な美術コレクター11人を紹介します。
この記事の概要
- 美術コレクターとは、絵画や彫刻などの芸術作品を収集する人物のことです。
- 現在世界にある多くの美術館は、もともと個人コレクターのコレクションから生まれました。
- 印象派などの美術運動も、コレクターや画商の支援によって広まりました。
- 歴史を動かした美術コレクターとは
- イザベラ・スチュワート・ガードナー(1840–1924) アメリカ合衆国
- ヘンリー・クレイ・フリック(1849–1919) アメリカ合衆国
- セルゲイ・シチューキン(1854–1936) ロシア
- イワン・モロゾフ(1871–1921) ロシア
- カール・ヤコブセン(1842–1914) デンマーク
- ポール・デュラン=リュエル(1831–1922) フランス
- アルバート・バーンズ(1872–1951) アメリカ合衆国
- ヘンリー・ハヴマイヤー(1847–1907) アメリカ合衆国
- カロリーヌ・ルイーズ・フォン・バーデン(1723–1783) ドイツ
- ペギー・グッゲンハイム(1898–1979) アメリカ合衆国
- アンドリュー・ウィリアム・メロン(1855–1937) アメリカ合衆国
- まとめ
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歴史を動かした美術コレクターとは
歴史的に重要な美術コレクターは、単なる収集家ではありません。まだ評価の定まっていない画家の作品を買い支えたり、コレクションを美術館として公開したりすることで、美術史に大きな影響を与えてきました。
現在、世界の有名美術館の中には、こうした個人コレクションをもとに成立したものが数多くあります。以下では、その代表的な人物たちを紹介します。
イザベラ・スチュワート・ガードナー(1840–1924) アメリカ合衆国
イザベラ・スチュワート・ガードナー(Isabella Stewart Gardner, 1840–1924)は、アメリカの美術コレクターであり、ボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の創設者として知られています。彼女は19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ美術を収集し、自ら設計に関わった邸宅型の美術館を作りました。
ガードナーの生い立ち
ガードナーは1840年、アメリカのニューヨークで裕福な家庭に生まれました。1860年にボストンの実業家ジョン・ローウェル・ガードナーと結婚し、以後ボストンの社交界で活動するようになります。夫婦はヨーロッパをたびたび訪れ、その旅行を通して美術への関心を深めていきました。
美術収集の開始
1880年代から、ガードナーは本格的に美術作品の収集を始めます。彼女はルネサンス期やバロック期のヨーロッパ絵画を中心に収集し、同時に彫刻、装飾芸術、写本など多様な分野の作品を集めました。美術史家の助言を受けながら作品を購入し、コレクションを拡大していきました。
彼女のコレクションには次のような画家の作品が含まれています。
- ティツィアーノ
- レンブラント
- ヨハネス・フェルメール
また、同時代の芸術家とも交流があり、アメリカの画家ジョン・シンガー・サージェントの作品などもコレクションに含まれています。
美術館の建設 イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
1903年、ガードナーはボストンに自らのコレクションを展示するための美術館を開館しました。建物はイタリアのルネサンス宮殿をモデルに設計され、中庭を中心とした独特の構造になっています。彼女は展示方法にも強いこだわりを持ち、絵画、彫刻、家具などを組み合わせて独自の空間を作りました。この展示配置は彼女の遺言によって厳しく守られており、現在でもほぼ同じ形で展示されています。
ガードナーの現在の評価
イザベラ・スチュワート・ガードナーは1924年に亡くなりましたが、彼女のイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館は現在もボストンの代表的な文化施設として公開されています。コレクターの私邸の雰囲気を残した展示空間は、美術館としても独特の存在であり、世界中の美術愛好家が訪れる場所となっています。彼女は、個人の美術コレクションを公共文化として残した女性コレクターの代表的存在として、現在も高く評価されています。
ヘンリー・クレイ・フリック(1849–1919) アメリカ合衆国
ヘンリー・クレイ・フリック(Henry Clay Frick, 1849–1919)は、アメリカの実業家であり、美術コレクターとしても知られる人物です。彼が収集したヨーロッパ絵画コレクションは現在、ニューヨークのフリック・コレクションとして公開されており、世界でも重要な古典絵画コレクションの一つとされています。
実業家としての成功
フリックは1849年、アメリカのペンシルベニア州に生まれました。若い頃からコークス(製鉄用燃料)の事業で成功し、後に鉄鋼業の実業家アンドリュー・カーネギーと協力して鉄鋼事業を拡大しました。彼はカーネギーの企業グループで重要な役割を果たし、19世紀末のアメリカ産業界で大きな財産を築きました。
美術収集の開始
フリックは1880年代頃からヨーロッパ絵画の収集を始めました。彼は特に17世紀から19世紀のヨーロッパ絵画に強い関心を持ち、質の高い作品を慎重に選んで購入しました。印象派などの近代美術よりも、古典的なヨーロッパ絵画を中心に収集した点が特徴です。
主要な収集作品
フリックのコレクションには、多くの著名な画家の作品が含まれています。
- レンブラント
- ヨハネス・フェルメール
- フランシスコ・デ・ゴヤ
- J・M・W・ターナー
彼の収集方針は、作品数を増やすことよりも、質の高い名作を厳選して集めることでした。そのため、コレクションの規模は巨大ではありませんが、質の高さで世界的に評価されています。
フリック邸と美術館
1914年、フリックはニューヨークの五番街に大邸宅を建設しました。彼はこの邸宅に美術コレクションを展示し、死後には一般公開することを計画していました。
フリックが1919年に亡くなった後、邸宅とコレクションは財団によって管理され、1935年にフリック・コレクション美術館として公開されました。現在も邸宅形式の展示が維持されており、コレクターの私邸の雰囲気を残した美術館として知られています。
フリックの評価
ヘンリー・クレイ・フリックは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカにおいて、美術コレクションを公共文化に転換した代表的な人物の一人です。彼のコレクションは現在もニューヨークのフリック・コレクションで公開されており、ヨーロッパ絵画の重要なコレクションとして世界的に評価されています。
セルゲイ・シチューキン(1854–1936) ロシア
セルゲイ・イワノヴィチ・シチューキン(Sergei Ivanovich Shchukin, 1854–1936)は、ロシアの実業家・美術コレクターであり、近代美術史において極めて重要な人物の一人です。彼はまだ評価が確立していなかった時代にフランス近代美術を大量に購入し、20世紀美術の受容に大きな影響を与えました。彼のコレクションは現在、主にエルミタージュ美術館とプーシキン美術館に所蔵されています。
実業家としての背景
シチューキンは1854年、モスクワの裕福な商人一族に生まれました。シチューキン家は繊維産業で成功した実業家の家系で、彼は家業の繊維会社の経営に携わりながら美術収集を始めました。19世紀末のロシアでは富裕な実業家が芸術を収集する文化が広がっており、シチューキンもその代表的な人物でした。
フランス近代美術の収集
1890年代から20世紀初頭にかけて、シチューキンは主にフランスの近代美術を収集しました。当時のヨーロッパでもまだ評価が分かれていた前衛的な画家の作品を積極的に購入したことで知られています。
彼のコレクションには次のような画家の作品が含まれていました。
特にマティスとピカソの作品を数多く購入したことが知られています。シチューキンは新しい芸術に強い関心を持ち、まだ市場で評価が定まっていない作品にも積極的に投資しました。
モスクワの邸宅コレクション
シチューキンはモスクワの自宅(トルブツコイ宮殿)にコレクションを展示し、芸術家や学生にも公開していました。若いロシアの画家たちはこのコレクションを通してフランス近代美術に触れることができ、ロシア・アヴァンギャルドの形成にも影響を与えたとされています。
ロシア革命とコレクション
1917年のロシア革命後、シチューキンのコレクションは国有化されました。コレクションは一時「西洋近代美術館」として公開され、その後ソ連の美術館に分配されました。現在では主にエルミタージュ美術館とプーシキン美術館に所蔵されています。
シチューキンの評価
セルゲイ・シチューキンは、まだ評価が確立していなかった近代美術をいち早く収集した先見的なコレクターとして知られています。彼のコレクションは20世紀美術史に大きな影響を与え、今日では世界でも重要な近代美術コレクションの一つとされています。
イワン・モロゾフ(1871–1921) ロシア
イワン・アブラモヴィチ・モロゾフ(Ivan Abramovich Morozov, 1871–1921)は、ロシアの実業家であり、美術コレクターとして知られる人物です。彼は同時代のコレクターであるセルゲイ・シチューキンと並び、ロシアにおけるフランス近代美術の受容に大きく貢献しました。モロゾフが収集した作品は現在、主にエルミタージュ美術館とプーシキン美術館に所蔵されています。
実業家としての背景
モロゾフは1871年、モスクワの裕福な実業家一族に生まれました。モロゾフ家は繊維産業で成功した企業家の家系で、ロシア帝国でも有数の富裕な商人一族でした。彼は家業の繊維工場の経営に関わり、実業家として活動する一方で、美術収集に情熱を注ぎました。
フランス近代美術の収集
19世紀末から20世紀初頭にかけて、モロゾフは主にフランス近代絵画を収集しました。当時のロシアではまだ評価が定まっていなかった印象派やポスト印象派の作品を積極的に購入した点が特徴です。
彼のコレクションには次の画家の作品が含まれていました。
- クロード・モネ
- ポール・セザンヌ
- ポール・ゴーギャン
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
また、20世紀初頭の新しい芸術にも関心を持ち、アンリ・マティスなどの作品も収集しました。
モスクワの邸宅コレクション
モロゾフはモスクワの自宅にこれらの作品を展示し、私的コレクションとして公開していました。彼の邸宅は当時のロシアで最も重要な近代美術コレクションの一つとされ、芸術家や知識人が訪れる文化的な場となっていました。
ロシア革命とコレクションの国有化
1917年のロシア革命の後、モロゾフのコレクションは国有化されました。その後、コレクションはソ連の美術館に分配され、現在は主にエルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)とプーシキン美術館(モスクワ)に所蔵されています。
イワン・モロゾフの評価
イワン・モロゾフのコレクションは、ロシアにおけるフランス近代美術の普及に重要な役割を果たしました。彼とセルゲイ・シチューキンが集めた作品は、現在ではロシアの主要美術館における近代美術コレクションの核となっています。
そのためモロゾフは、20世紀初頭のヨーロッパ美術の受容史において重要なコレクターの一人と評価されています。
カール・ヤコブセン(1842–1914) デンマーク
カール・クリスチャン・ヒルマー・ヤコブセン(Carl Christian Hillman Jacobsen, 1842–1914)は、デンマークの実業家・美術コレクターであり、コペンハーゲンにあるニイ・カールスベア美術館の創設者として知られています。彼はビール会社カールスベアの創業者J・C・ヤコブセンの息子で、家業によって得た財産を美術収集に注ぎ込みました。
実業家としての背景
カール・ヤコブセンは1842年、デンマークのコペンハーゲンに生まれました。父が創業したビール会社カールスベアの事業に関わり、後に自らも「ニュー・カールスベア(Ny Carlsberg)」という醸造所を設立します。ビール事業によって得た財産が、彼の大規模な美術コレクション形成の基盤となりました。
美術収集の開始
ヤコブセンは若い頃から芸術に強い関心を持ち、ヨーロッパ各地を旅行する中で美術作品を収集するようになりました。特に古代美術と彫刻に強い興味を持ち、古代ギリシャ・ローマの彫刻やヨーロッパ近代彫刻を積極的に収集しました。
ロダン作品の収集
ヤコブセンのコレクションの中でも特に知られているのが、フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの作品群です。彼はロダンの才能を早くから評価し、数多くの作品を購入しました。現在、ニイ・カールスベア美術館はフランス国外で最大級のロダン・コレクションの一つを所蔵しています。
ニイ・カールスベア美術館の創設
ヤコブセンは自身のコレクションを一般公開するため、1880年代からコペンハーゲンで展示を始めました。コレクションは次第に拡大し、1897年にニイ・カールスベア美術館が開館します。
この美術館は
- 古代エジプト美術
- ギリシャ・ローマ彫刻
- 19世紀ヨーロッパ美術
などを収蔵する総合的な美術館となり、デンマークを代表する文化施設の一つとなりました。
文化支援者としての活動
ヤコブセンは美術館の設立だけでなく、コペンハーゲンの都市景観にも影響を与えました。彼は公共空間への彫刻設置や文化事業を支援し、都市文化の発展に貢献しました。彼の活動は、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパに見られる実業家による文化パトロネージュの代表例とされています。
ヤコブセンの評価
カール・ヤコブセンは1914年に亡くなりましたが、彼のコレクションは現在もニイ・カールスベア美術館で公開されています。古代彫刻から近代美術までを含むこのコレクションは、ヨーロッパでも重要な美術館コレクションの一つとされています。
彼は、企業によって得た富を芸術と文化の発展に還元したコレクターとして、デンマーク文化史の中で重要な人物と評価されています。
ポール・デュラン=リュエル(1831–1922) フランス

ポール・デュラン=リュエル(Paul Durand-Ruel, 1831–1922)は、19世紀フランスの画商であり、印象派の画家たちを経済的に支えたことで知られる人物です。現在では世界的に評価されている印象派ですが、当時は批判も多く、作品はほとんど売れませんでした。デュラン=リュエルはそのような状況の中で画家たちの作品を大量に購入し、展覧会を開催することで印象派の普及に大きく貢献しました。
画商としての出発
デュラン=リュエルは1831年、フランスのパリに生まれました。父は画商を営んでおり、彼は若い頃から美術市場に関わって育ちました。1860年代には父の画廊を継ぎ、画商として本格的に活動を始めます。当初はバルビゾン派の画家を扱い、風景画家の作品を販売していました。
印象派との出会い
1870年の普仏戦争の時期、デュラン=リュエルはロンドンに滞在していました。そこで若い画家たちと出会います。その中には
- クロード・モネ
- カミーユ・ピサロ
など、後に印象派を代表する画家が含まれていました。デュラン=リュエルは彼らの作品に強い可能性を感じ、大量の作品を買い上げました。当時の印象派はほとんど評価されておらず、作品を買う人も少なかったため、彼の支援は画家たちの生活を支える重要なものとなりました。
印象派の普及
デュラン=リュエルは単に作品を購入するだけでなく、積極的に展覧会を企画しました。パリだけでなく、ロンドンやアメリカでも展示を行い、印象派の作品を紹介しました。特にアメリカでの展覧会は成功し、アメリカの富裕層のコレクターが印象派を購入するきっかけとなりました。
彼は次のような画家たちの作品を扱いました。
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
- エドガー・ドガ
- アルフレッド・シスレー
こうした活動により、印象派は次第に市場で評価されるようになります。
美術市場への影響
デュラン=リュエルは、現在の美術市場の仕組みにも大きな影響を与えました。彼は
- 画家の作品をまとめて購入する
- 画廊で定期的に展覧会を開く
- 海外市場に販売する
といった方法を用い、近代的な画商のビジネスモデルを確立しました。
リュエルの評価
ポール・デュラン=リュエルは1922年に亡くなりました。彼の活動は、印象派が世界的に評価されるようになる過程で極めて重要な役割を果たしました。もし彼の支援がなければ、モネやルノワールといった画家たちの作品が今日のように広く知られるようになったかどうかは分からないとも言われています。
そのためデュラン=リュエルは、単なる画商ではなく、印象派の歴史を支えた最も重要な人物の一人として美術史の中で評価されています。
アルバート・バーンズ(1872–1951) アメリカ合衆国
アルバート・クームズ・バーンズ(Albert Coombs Barnes, 1872–1951)は、アメリカの実業家・教育者・美術コレクターであり、近代美術の巨大コレクションとして知られるバーンズ財団を創設した人物です。彼が収集した印象派・ポスト印象派・モダンアートのコレクションは、現在でも世界屈指の規模と質を誇っています。
実業家としての成功
バーンズは1872年、フィラデルフィアの労働者階級の家庭に生まれました。大学で医学と化学を学んだ後、ドイツの化学者と共同で抗菌薬「アルジロール(Argyrol)」を開発します。この薬は眼科治療で広く使用され、大きな成功を収めました。
バーンズはこの薬の販売によって巨額の富を得て、1910年代には裕福な実業家となります。この財産が、後の美術収集の基盤となりました。
近代美術の大規模コレクション
1910年代から1920年代にかけて、バーンズはヨーロッパ近代美術を積極的に購入しました。彼のコレクションには、当時まだ一般的には理解されていなかった前衛的な画家の作品が多く含まれています。
特に次の画家の作品を大量に収集しました。
- ポール・セザンヌ
- ピエール=オーギュスト・ルノワール
- アンリ・マティス
- シャイム・スーティン
また、パブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニなどの作品も収集しました。バーンズは短期間のうちに数百点の近代絵画を集め、世界でも有数のモダンアートコレクションを築きました。
バーンズ財団の設立
1922年、バーンズは自身のコレクションを教育目的で公開するため、ペンシルベニア州メリオンにバーンズ財団を設立しました。彼の理念は、単なる美術館ではなく、美術教育のための研究施設を作ることでした。
財団では作品を年代順や作家別ではなく、形・色・構図など視覚的な要素によって配置する独自の展示方法が採用されました。この展示方法は現在も維持されており、バーンズ・コレクションの特徴となっています。
美術界との対立
バーンズは強い個性を持つ人物としても知られており、当時のアメリカ美術界としばしば対立しました。彼は美術評論家や博物館関係者を批判し、自分のコレクションの管理方法にも厳しい条件を残しました。そのため、彼の死後もコレクションの公開や移転をめぐって議論が続きました。
バーンズの現在の評価
バーンズは1951年に亡くなりましたが、彼が集めたコレクションは現在もバーンズ財団で公開されています。セザンヌやルノワールの作品数は世界でもトップクラスであり、近代美術史の研究において極めて重要なコレクションとされています。
アルバート・バーンズは、実業家として成功した財産を芸術に投じ、近代美術の保存と教育に大きく貢献したコレクターとして、現在も高く評価されています。
ヘンリー・ハヴマイヤー(1847–1907) アメリカ合衆国
ヘンリー・オズボーン・ハヴマイヤー(Henry Osborne Havemeyer, 1847–1907)は、19世紀後半から20世紀初頭のアメリカを代表する実業家であり、美術コレクターとしても重要な人物です。彼は砂糖精製会社を率いた「シュガー・トラスト」の中心人物の一人として巨額の財を築き、その資産を使ってヨーロッパ近代美術の収集を行いました。彼と妻ルイジーンが築いたコレクションは、現在のメトロポリタン美術館の重要な所蔵品の一部となっています。
実業家としての成功
ハヴマイヤーは1847年、ニューヨークの砂糖精製業を営む家系に生まれました。家業を継いだ彼は事業を拡大し、1890年代には巨大企業であるAmerican Sugar Refining Companyの中心人物としてアメリカ砂糖産業を支配する立場となります。こうした巨大資本の形成は、19世紀末アメリカの「金ぴか時代(Gilded Age)」の象徴的な出来事の一つでした。
美術収集の始まり
ハヴマイヤーが本格的に美術を収集し始めたのは結婚後のことでした。1883年に結婚した妻ルイジーン・ハヴマイヤーは芸術に強い関心を持っており、夫婦は協力してコレクションを形成していきます。彼らは当時まだ評価が完全に定まっていなかったフランス近代絵画を積極的に購入しました。
印象派の重要なコレクター
ハヴマイヤー夫妻のコレクションには、当時の最新のヨーロッパ美術が多く含まれていました。特に印象派の作品に強い関心を持ち、
- クロード・モネ
- エドガー・ドガ
- エドゥアール・マネ
などの作品を収集しました。彼らはパリの画商を通じて作品を購入し、アメリカにおける印象派受容に大きく貢献しました。
メトロポリタン美術館への寄贈
1907年にハヴマイヤーが亡くなった後、コレクションは妻ルイジーンによって整理され、最終的にその多くがメトロポリタン美術館へ寄贈されました。1929年の大規模な寄贈では、約2000点に及ぶ作品や工芸品が美術館に渡りました。
この寄贈には印象派絵画だけでなく、
- ヨーロッパ絵画
- イスラム美術
- 陶磁器コレクション
など多様なジャンルが含まれており、メトロポリタン美術館のコレクション拡充に大きく寄与しました。
ハヴマイヤーの評価
ヘンリー・ハヴマイヤーは、アメリカの産業資本によって形成された近代美術コレクションの代表例として知られています。彼と妻ルイジーンが築いたコレクションは、現在もメトロポリタン美術館の重要な所蔵品群の一つとなっています。
カロリーヌ・ルイーズ・フォン・バーデン(1723–1783) ドイツ
カロリーネ・ルイーゼ・フォン・バーデン(Karoline Luise von Baden, 1723–1783)は、18世紀ドイツにおける最も重要な女性芸術コレクターの一人です。彼女の収集活動は、現在のカールスルーエ州立美術館の基礎となり、ドイツ美術館史の初期に大きな役割を果たしました。
カロリーヌ・ルイーズ・フォン・バーデンの生い立ち
彼女は1723年、ドイツ中部のダルムシュタットで生まれました。父はルートヴィヒ8世で、彼女はヘッセン=ダルムシュタット方伯家の王女として育ちます。1738年、彼女はカール・フリードリヒと結婚し、バーデン=ドゥルラハ辺境伯夫人となりました。のちに夫はバーデンの統一君主となり、彼女は宮廷文化の中心人物として活動するようになります。
啓蒙時代の知的サロン
カロリーネ・ルイーゼは単なる王侯貴族ではなく、啓蒙時代の知識人としても知られていました。彼女は自然科学、哲学、美術など幅広い分野に関心を持ち、ヨーロッパ各地の学者と書簡を交わしました。宮廷には学者や芸術家を招き、知的交流の場を作っていたことが知られています。
美術コレクションの形成
彼女が特に力を入れたのが絵画コレクションの収集でした。18世紀のヨーロッパでは王侯貴族が美術を収集することは珍しくありませんでしたが、彼女の収集は特に体系的で、芸術史的な価値を意識したものだった点が特徴です。
彼女は主に以下の分野の作品を収集しました。
- オランダ黄金時代の絵画
- フランドル絵画
- フランス絵画
- イタリア絵画
これらの作品は主にパリやオランダの美術市場から購入されたとされています。
カールスルーエ美術コレクションの起源
カロリーネ・ルイーゼが収集した数百点の絵画は、後に宮廷コレクションとして保存されました。このコレクションが発展し、現在のカールスルーエ州立美術館(ドイツ)の基礎コレクションとなります。18世紀のドイツではまだ公共美術館がほとんど存在しておらず、こうした宮廷コレクションが後の美術館の原型となりました。その意味で、彼女はドイツ美術館史における重要なコレクターの一人とされています。
死去と評価
カロリーネ・ルイーゼは1783年に亡くなりました。しかし彼女が残したコレクションは現在も保存され、多くの作品がカールスルーエ州立美術館に所蔵されています。彼女は単なる王侯貴族の収集家ではなく、啓蒙時代の文化パトロンであり、近代美術館の成立に貢献した人物として評価されています。
ペギー・グッゲンハイム(1898–1979) アメリカ合衆国
ペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim, 1898–1979)は、20世紀を代表するアメリカの美術コレクターであり、前衛芸術の重要な支援者(パトロン)として知られています。彼女はシュルレアリスムや抽象芸術の作品をいち早く収集し、多くの若い芸術家を支援しました。現在、彼女のコレクションはヴェネツィアにあるペギー・グッゲンハイム・コレクションとして公開されています。
生い立ち
ペギー・グッゲンハイムは1898年、ニューヨークの裕福な実業家一族グッゲンハイム家に生まれました。父は実業家のベンジャミン・グッゲンハイムで、1912年のタイタニック号沈没事故で亡くなったことでも知られています。彼女は若い頃からヨーロッパ文化に強い関心を持ち、1920年代にはパリを中心とした芸術家のコミュニティと交流するようになりました。
前衛芸術のコレクション
1930年代後半、ペギー・グッゲンハイムは本格的に美術収集を始めました。彼女は当時まだ広く評価されていなかった前衛芸術を積極的に購入し、次のような芸術家の作品を収集しました。
- サルバドール・ダリ
- マックス・エルンスト
- ワシリー・カンディンスキー
また、アメリカの若い芸術家であったジャクソン・ポロックの才能を早くから評価し、彼を支援したことでも知られています。
美術館とギャラリー活動
1942年、彼女はニューヨークで「Art of This Century」というギャラリーを開きました。このギャラリーはシュルレアリスムや抽象芸術の展示を行い、アメリカの現代美術に大きな影響を与えました。第二次世界大戦後、彼女はイタリアのヴェネツィアに移住し、運河沿いの宮殿パラッツォ・ヴェニエ・デイ・レオーニに住むようになります。ここに自身のコレクションを展示し、一般公開しました。
現在のコレクション
ペギー・グッゲンハイムのコレクションは現在もヴェネツィアで公開されています。ピカソ、カンディンスキー、ポロックなど20世紀美術の重要作品が集まるこの美術館は、ヨーロッパでも重要な現代美術コレクションの一つです。
グッゲンハイムの評価
ペギー・グッゲンハイムは単なるコレクターではなく、前衛芸術を支援したパトロンとしても重要な人物です。彼女が収集し支援した芸術家たちは、その後20世紀美術の中心的存在となりました。そのため彼女は、現代美術の発展に大きく貢献したコレクターとして美術史の中で高く評価されています。
アンドリュー・ウィリアム・メロン(1855–1937) アメリカ合衆国
アンドリュー・ウィリアム・メロン(Andrew William Mellon, 1855年3月24日 – 1937年8月27日)は、アメリカの銀行家・実業家・慈善家であり、重要な美術コレクターとしても知られる人物です。彼は後にワシントンD.C.に設立されるナショナル・ギャラリー・オブ・アートの創設に大きく貢献しました。
実業家・政治家としての経歴
メロンは1855年、アメリカのピッツバーグに生まれました。父トーマス・メロンは銀行家で、メロンは家業の銀行業を発展させ、金融界で大きな成功を収めます。
彼は石油、アルミニウム、造船など多くの産業に投資し、20世紀初頭のアメリカを代表する実業家の一人となりました。さらに1921年から1932年まで、アメリカ大統領の下で財務長官を務め、国家財政政策にも大きな影響を与えました。
美術収集の開始
1920年代になると、メロンはヨーロッパ絵画の収集に本格的に取り組むようになります。彼は主にルネサンスからバロック期にかけてのヨーロッパ絵画を収集し、質の高い作品を厳選して購入しました。
彼のコレクションには次のような画家の作品が含まれています。
- ラファエロ
- レンブラント
- ティツィアーノ
- ヤン・ファン・エイク
これらの作品はヨーロッパの美術市場から購入され、当時のアメリカでは非常に重要な古典絵画コレクションとなりました。
ナショナル・ギャラリー設立への寄与
メロンは、自身のコレクションをアメリカ国民に公開することを構想しました。1937年、彼はアメリカ政府に対して自らの美術コレクションと美術館建設の資金を寄付する計画を提案しました。
この計画を基に、ワシントンD.C.にナショナル・ギャラリー・オブ・アートが設立されます。メロンは同年に亡くなりましたが、彼の寄付によって建設された美術館は1941年に開館しました。
アンドリュー・W・メロンの評価
アンドリュー・W・メロンは、アメリカにおける公共美術館の発展に大きく貢献したコレクターとして知られています。彼のコレクションは現在もナショナル・ギャラリー・オブ・アートの中核を成しており、ルネサンスから近世ヨーロッパ絵画までを含む重要なコレクションとして評価されています。
そのためメロンは、20世紀初頭のアメリカにおいて、美術コレクションを公共文化へと転換した代表的な人物の一人とされています。
まとめ
美術史においてコレクターは、単なる購入者ではありません。まだ評価されていない芸術家を支えたり、作品を保存したりすることで、文化を未来へ伝える役割を果たしてきました。
現在私たちが美術館で名作を見ることができるのも、こうした歴史上の美術コレクターたちの存在があったからです。




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