グエル公園―ガウディとグエル伯爵が夢みた田園都市/イチノセイモコのアートコラム02

分譲住宅地として構想されたグエル公園

「ガウディ世界遺産」としてユネスコ世界遺産に登録されている、アントニ・ガウディ(1852~1926)の建築群は、スペイン・カタルーニャ州の州都バルセロナにあります。グエル公園をはじめ、サグラダ・ファミリア、グエル邸などの設計・建築は、独自な構造の合理性、アール・ヌーヴォーの先駆的地位、環境との適応、象徴性などのさまざまな点で評価されています。ガウディの建築デザインは一見、奇抜にみえますが、自然の摂理を活かした設計思想は理にかなっています。

現在、グエル公園はシンボリックなタイル装飾のトカゲを中心に、観光地として世界中の人々に知られています。しかし、当初は公園になる予定ではなかったといいます。

ガウディに開発を依頼した新興実業家エウセビ・グエル伯爵(1846-1918)は、分譲住宅地としてグエル公園を計画しました。グエルはイギリス発祥の田園都市構想に感銘を受けたことから、バルセロナ郊外に理想の田園都市を計画し、人間社会と自然・芸術の調和を夢見たのです。

芸術思想の伝搬

ガウディとグエルの出会い

グエルは芸術愛好家で、約40年にわたってガウディを支援した人物です。

ガウディとの出会いは、1878年に開催されたパリ万博。自社製品の展示のために万博会場を訪れていたグエルは、ガウディがデザインした手袋店のショーケースを気に入り、ガウディにコンタクトをとったのです。

グエルが関心をよせたイギリスの芸術運動

グエルはイギリスと商取引をしており、現地での芸術活動にも敏感でした。

18世紀半ばにおきた産業革命以後、イギリスでは低品質で廉価な商品が大量に生産されました。一方、このような商業主義に反発して、19世紀後半から伝統的な手仕事による工芸品や家具などの美しさを見直し、生活に取り入れようとするアーツ・アンド・クラフツ運動が起きました。

グエルは、運動を主導したジョン・ラスキン(1819-1900)の思想や、ラスキンに触発されたウィリアム・モリス(1834~96)の活動に関心をもったようです。

アーツ・アンド・クラフツからアール・ヌーヴォーへ

ガウディがカタルーニャ地方の建築におけるモデルニスモ(モダニズム)、あるいはアール・ヌーヴォーの先駆者と言われるわけは、グエルを通してガウディにいち早くイギリスの芸術運動が知らされたことに関係があるでしょう。

ガウディが初期に手がけたグエル別邸の門、ドラゴン・ゲートには、蔓をモチーフとした植物的な模様(ウィップラッシュ)が表れており、アール・ヌーヴォー〈アーツ・アンド・クラフツのフランス版〉の受容がみられます。

ユートピアとしての田園都市構想

グエル公園とハワードの田園都市構想

住宅地として開発されたグエル公園ですが、当初からグエル公園(Park Guell)と名付けられていました。スペイン語で公園を意味するParqueでなく、英語名のPark(Parc)とされた理由は、イギリス発祥の田園都市構想を目指したためと言われています。

開発が始まった1900年頃、バルセロナでもイギリスと同じく産業勃興による都市問題が深刻でした。都市への人口集中や、環境悪化などが問題視されたのです。

ヨーロッパ各国で起きていた都市の問題に対し、イギリスの社会改良家エベネザー・ハワード(1850-1928)は、1898年に「田園都市構想」を提唱しました。ハワードの「田園都市構想」は、大都市の近郊に都市と農村の長所を活かした、新たな都市を作る、という課題解決にむけた提案でした。

イギリス発祥の理想主義への礼賛

グエルが都市郊外に分譲住宅地を構想したのは、ハワードの提案から間もない頃です。「田園都市構想」の発表から2年後にはグエル公園の開発が始められたことから、グエルはハワードの思想に鋭敏に反応したといえます。

また、ハワードは工業技術の台頭に対して人間性の回復もうたっており、同時期におこったアーツ・アンド・クラフツ運動の理想と同じユートピアを目指したのです。

つまり、自然と芸術が調和した田園都市の開発をガウディに託したことは、グエルにとって、イギリスで興った大きなモーメントへの礼賛を形にするための投資だったのです。

ニュータウン計画の始まり

ハワードの構想は、20世紀初頭から欧米諸国のニュータウン計画にも取り入れられ、現代都市計画の始まりとされています。その中でもグエル公園は、ハワードの構想に基づいて計画された最初の田園都市だったと言われています。

近年の日本では、2021年から内閣が推進している「デジタル田園都市国家構想(DIGIDEN)」があり、デジタルの力を活用して地方の社会課題解決に向けた取り組みが始まっています。

市民の憩いの場として再出発

ガウディは14年間をかけてグエル公園の建設に従事しましたが、第1次世界大戦による社会情勢の変化により、1914年に中断。グエルの死後、1922年にバルセロナ市に売却され、市民の憩いの場として再出発しました。

ガウディとグエルが理想にかかげた田園都市構想は、自然との共生、協同型社会、循環型システムなどを備えた社会構想です。 100年以上前の提案にもかかわらず、現代も色褪せることなく人間生活の理想をうたっています。

(ライター・イチノセ イモコ)

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