装飾古墳のロマン1│福岡の装飾古墳『竹原古墳』を訪れる

2年前の秋、感染者が減った瞬間を見計らって、福岡の作家さんに会いに行きました。

写真:宮若市の竹原古墳紹介ページから

作家さんと会う約束をした日の前日、かねてより見たいと思っていた竹原古墳(福岡県宮若市)を見るために、博多からレンタカーを走らせました。福岡空港から九州道に乗り、若宮ICを下りてすぐの緑豊かなところに古墳はありました。

竹原古墳は6世紀後半頃に築造された装飾古墳で、国指定の史跡です。神社の境内にある相撲場の土を取るために近くを掘ったら、偶然古墳の一部が発見されたというものです。

装飾古墳というとグルグルの幾何学文様が多いと思うのですが、竹原古墳は具象が描かれています。「さしば」と呼ばれる団扇のような羽や、龍、馬、人、朱雀がモチーフになっていて、歴史的にも美術史的にも高く評価されている史跡です。

神社の駐車所も兼ねたところに車を停め、管理小屋に行き入場料を支払って古墳の前まで行くと、どうやら先に見学者がいる様子で、人数制限があるため順番を待ちます。いよいよ自分の番になり、スリッパを履いてから中に入りました。隅の方の狭い空間にしゃがみこむと、係の人が扉の向こうの壁画を見せてくれます。上記の写真ほどはっきり見えませんが、レプリカではない生の装飾です。1500年もの時を経て目の前に見える壁画に大変興奮しました。

しかしオリジナルの壁画が常時見られる貴重なこの古墳、果たして被葬者はいったい誰なのでしょうか。

今の時点ではまだ判明していませんが、中国あるいは高句麗の影響を受けた壁画の内容、そして副葬品として馬具があったことから、中国や朝鮮半島との貿易があった人物ではないかと言われています。副葬品には新羅の影響を受けたと思われるものも含まれているそうです。この時代の筑紫の豪族としては宗像氏、磐井氏、水沼氏が有名ですが、新羅と交易があったのは磐井氏と言われています。副葬品の分析も進んでいることから、私が生きているうちに被葬者も判明してくれたらと楽しみです。

という話を弊社のある作家さんにしましたところ、その作家さんは興奮したようにご自身の蔵書を貸してくれました。(好きなんですね~。)

「考古学 最新講義シリーズ 装飾古墳の世界をさぐる」(祥伝社) 

日本考古学協会会長を務めた大塚初重先生が、講義で語ったことを文章にしたものです。

最初は口語体の文章が若干クセがあって読みにくいのですが、文体に慣れるに従い、まるで教室で一緒に講義を受けているような楽しさにハマっていきました。

九州と関東に多い装飾古墳。代表的な古墳の一つ一つを章立てして紹介してくださっていて大変読みやすい本です。特にこれらの古墳が発見されたときの様子や、当時の学者さんたちの興奮が伝わりロマンを共有することができました。

ひとつ本の中で語られていてショックだった記述があります。茨城のとある町で装飾古墳が出土されたことがあったのですが、その地主の方が「なんだか汚いものが出てきたな」と、洗浄してしまって貴重な装飾が無くなってしまった・・・・というエピソードでした。

なんということでしょう! そのときの学者さんたちのショックを想像すると同情を禁じ得ません。と同時に「装飾古墳」というものの存在が有名になって、二度とこのようなことがおきないように、と願います。

この本のなかで紹介されていた装飾古墳全てを訪ねてみたい!と思いますが、なかなかそれも叶いません。とりあえずこの秋に公開されるだろう「虎塚古墳」(茨城県ひたちなか市)は見逃さずに行こう!と思っております。

(ライター晶)

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