日向の国「サイトノハル」へ
先月、親が西の方へと旅立ち、私も関東に留まる必要が無くなり、ふらっと旅に出ました。色々縁があって目的地として選んだのは日向の国。
日南の方は以前行ったことがあったので、今回は前から気になっていた西都原古墳群に行ってみました。
空港から借りたレンタカーの車窓から。
宮崎の空は信じられないくらい青い。
宮崎空港からおよそ40分程度で西都市に到着。
西都原古墳群(さいとばる)とは
特別史跡西都原古墳群は、宮崎県のほぼ中央、一ツ瀬川の右岸、西都市街地の西の通称「西都原台地」とその周辺の中間台地や沖積地にあり、その範囲は南北4.2km・東西2.6kmに及んでいる。指定面積は58haを超える。西都原古墳群は、3世紀末から7世紀にかけて築造され、その数は、陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚を加えた319基である(内訳は、前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基)。古墳の分布と築造年代等により10~13の小群に分けられる。また、古墳群には、墳丘をもつ古墳に加えて、南九州に特有の地下式横穴墓や全国に広く分布する横穴墓が混在する。 (宮崎県立西都原考古博物館の記述より)
ひ・・・ひろい
上記の説明にもある通り、少し高台にある古墳群は南北4.2キロ 東西2.6キロに及んでいるそうで、車で走っていても相当広い感覚がありました。その広大な地に319基の古墳があります。東京の青山霊園が約26ヘクタールということなので、その倍とちょっとという広さでしょうか。
宮内庁管轄の古墳がある
この西都原古墳群は国の特別史跡に指定されているのですが、宮内庁管轄につき特別史跡から除外されているものが二基あります。男狭穂塚(おさほづか)古墳と女狭穂塚(めさほづか)古墳です。宮内庁によると男狭穂塚のほうの被葬者はニニギノミコト、女狭穂塚のほうはコノハナノサクヤビメということにされているとのこと。考古学ではなく神話の世界ですね。さすが日向の国です。
実際の被葬者は、髪長媛(仁徳天皇妃ー日向から畿内に嫁いだ)とその父 諸県牛諸井(もろがたのうしもろい)ではないかという説があるそうです。
これについては、西都原考古学博物館で購入した「古代日向・神話と歴史の間」(本郷泰道著)に詳しく論述されていました。
余談ながら現地でこのような本を購入できるのは、何より楽しいことですね。数多の本が並ぶ書籍販売コーナーから散々迷って「えいやっ」と購入した本でしたが、帰京してからもワクワクできるのが最高です。
西都原考古博物館
西都原考古博物館は、宮崎県の施設で入場料は無料です。
出来て20年経っているようですがとても綺麗で、時間が許せば何時間でもいられるような展示内容なので、これで無料なのかと驚きます。宮崎県太っ腹!!
他の博物館と少し異なるのは、プロデュース側(館長なのか学芸員なのか)の問題提起文や古典引用文があちこちに書かれており、ただぼんやり出土品等を眺めるのではなく、観覧者がそれぞれ古代に想いを馳せられるように促されていること。ロマンがあると考えるか、それとも煩いと感じるかは、鑑賞者によるのではと思いますが、私はこの博物館の個性があって良いと思いました。
宮崎に行ったら、この博物館は絶対に行かないと! と力説します。
サイトバルという地名について
現在西都原と読ませる地名について、近隣神社の縁起書写しに「斉殿原」とあったそうです。
斎という字は「心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。(oxford languageの定義より)」とのこと。
つまり斉殿とは心身を清め祭祀が行われる神殿のことらしい。
やはり西都原一帯は神と祖霊たちが眠る聖なる場所だったのでしょう。
斎の字もそうですが、「サ」のつく言葉は神に関連するものが多いという説があります。
やはり宮崎で購入した郷土史家の本「ひむか伝承異聞」亀澤克憲著によると、古代語で「サ」という音が神性を表していたとのこと。神に捧(ササ)げる笹(ササ)や榊(サカキ)、酒(サケ)、肴(サカナ)・・・・。真偽のほどは分かりませんが、とても興味深い。
鬼の窟(おにのいわや)古墳
この古墳群のなかでも、最も新しい古墳の一つ206号墳は、6世紀後半~7世紀前半のものと見られています。
この古墳は復元整備された石室の見学が可能だったので入ってみました。
ここはこの古墳群では珍しい横穴式石室とのことで、計3回に分けて追葬されているそうです。6世紀後半~7世紀というのは古墳文化自体が終わりを告げる頃であり、ここでの被葬者はこの地の最後の首長ではないかと推測されています。
しかし鬼の窟とはある種ロマンチックな名前がついてますね。伝承ではコノハナノサクヤビメに求婚する鬼が、コノハナサクヤヒメの父の命によって、一夜で造ったからと伝えられています。またここでもコノハナノサクヤビメが登場するのですね。
最後に
あっという間の日向の旅でした。やはり現地で太陽の光や風、空気を感じてみないと分からないことが沢山あると思いました。
ここは近くを流れる一ツ瀬川と降り注ぐ太陽の恵みを受けた聖なる地。
神話と歴史が融合している場所ですね。
中央集権国家が成立していく過程で、九州の豪族たちがどのような役割を果たしたのか、日向から大和に嫁いだ女たちはどのような運命を迎えたのか、その糾える糸を解きほぐしていけたらワクワクします。
また訪れたいと思います。
(ライター晶)
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