12月も半ばを迎えます。
一昨年前の今頃、ある持病で入院手術をしました。
手術はおろか、入院自体も初めてだったので、大変な不安を抱えながら、でも心のどこかで、しばしの完全休暇を取ろうとの気持ちも持ちながらの入院。
割り当てられた個室から眺めるクリスマスイルミネーション。
腕に括り付けられた患者タグ。
ひっきりなしに訪れる研修医たち。
涙が出るほど美しい朝焼けを見ながら、手術開始を待っていた時間。
その夜のあまりの痛み。繰り返し見る悪夢。
夜間の看護師さんが無言で照らす懐中電灯。
健康を取り戻した今となっては、むしろいい思い出です。
痛みにどうにもならなかった日々や、術後動けなかった期間に、健康について随分と考えさせられました。
同時に、自分自身の身体の奥から漲る、”生きる力”を心底感じられた機会でもありました。
数年前、家人が急病になり救急に担ぎ込んだことがありました。
その病は命に関わるもので、ほんの1時間前まで(異変を訴えてはいたものの)、何とか憎まれ口もきけていた家人が、段々意識もはっきりしなくなり、救急のベッドに横たわり、時計や財布や服や靴、身に着けているもの全てを剥がされていく光景を、なす術もなく、ただぼうっと眺めていた自分がいました。
外では、意志があり自由がありそれなりの立場があり、社会生活を営んでいる一人の人間が、命というものが朧げな存在になった途端、アイデンティティを示すもの全てを引っぺがされ、ただひとつの身体になって、自らの意志によるものは何一つ出来なくなる。
家人は、有難いことに手術が成功し、その後無事社会に復帰できましたが、いつも何かの拍子にあの瞬間のことを思いだします。
頭と心と身体が一つになって問題なく動いている時にはまるで意識しないことも、その当たり前のことが危うくなった瞬間に、それらの大切さを痛感します。
クリスマスソングが流れるこの季節になると、そのことを思い出さずにはいられません。
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