中庭のある暮らし―日本家屋と芸術/イチノセイモコのアートコラム01

日本家屋の中庭

ウィズコロナ時代、にわかに注目「坪庭」

中庭のある暮らしって素敵だし、憧れですよね。

伝統的な日本家屋には、中庭が設えられる場合がありました。うなぎの寝床と例えられる奥行きが長い京町家は、中庭(坪庭)を保つことで家中の風通りをよくすることが知られています。
古い時代には寺院や茶室に設えられたり、江戸時代以降には料亭や遊郭に併設されたりと、日本家屋に付随する中庭は、芸術と関係の深い場所でみられる特徴があります。

ウィズコロナによる生活様式の変化にともない、昨今は中庭のある新築物件の相談が増えているそうです。従来の日本家屋をヒントに提案されている「中庭のある暮らし」は、自宅にいながら外気に触れられることや、気軽に自然を感じられることから注目が集まっています。近年、中庭のある住宅は、働き盛り世代の憧れとなっているのです。
風が通ること以外にも、中庭の機能にはプライベートな空間の確保、家の中を明るくする、二世帯住宅における緩衝地帯の役割などがあり、複数のメリットを感じさせますね。
中庭の配置はコの字型、ロの字型、町家型などのバリエーションが提案されています。和風の中庭に憧れを抱く人は多い一方で、植栽を管理することの手間を避けるために西洋風の中庭を選択する人も増えています。

伝統的な日本家屋に設えられた小規模の坪庭

なお、中庭とよく似た言葉に坪庭があります。いずれも四方を建物に囲まれた庭を指しますが、坪庭と中庭の大きな違いは、広さや役割です。
坪庭のおもな役割は、観賞用です。坪庭に植栽を植えることで、四季を感じることができます。
中庭は、坪庭よりも広いスペースを意味します。子どもやペットを遊ばせたり、BBQを楽しんだりといった幅広い用途に適しています。
これを踏まえれば、伝統的な日本家屋に設えられた小規模の庭は、坪庭と呼ぶのがふさわしいということになりますね。

「東洋のロダン」とよばれた彫刻家・朝倉文夫のアトリエ兼住宅「朝倉彫塑館」

京都市内には伝統的な庭園を見学することができる施設が複数ありますが、都内でも中庭を鑑賞できる場所があります。その1つが、谷中の朝倉彫塑館です。
朝倉彫塑館は、「東洋のロダン」とよばれた彫刻家・朝倉文夫(1883~1964)が自ら設計し、アトリエ兼住宅とした建築物です。現在、台東区が管理する美術館となっており、朝倉自身が制作した彫刻や、遺愛の品が展示されています。
建物は国の有形文化財、敷地全体は「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されており、文化的な価値が高い建築物です。
建物の全体は、重い彫刻の移動に耐えうる鉄筋コンクリート造りのアトリエ棟と、コの字型の日本家屋で構成されています。
その中央にある中庭は、一般に思い浮かべられる小規模の坪庭とは、おおきくイメージを異にします。もっとも違うところは、約10m×約14mという広さと、中庭のほとんど大部分が池で占められていることです。
さまざまな植栽や巨石で構成された中庭(池)を中心として、建物の至るところに朝倉文夫の芸術観が反映されています。

朝倉が記した随筆には、この建築について書かれた箇所があります。それによると、

・外国の真似を一切しないで、すべて日本風にする

・建物の活用目的は、外国から日本文化に興味を持って訪ねてくる人を迎えたり、国策として芸術家のアトリエを利用することがあれば開放し、日本が本格的な彫刻のアトリエを構えていることを国際的にアピールしたりする

といったことが意識されていたようです。
朝倉の芸術観があらわれている具体的な箇所については、朝倉自身が随筆に書き残しています。例えば、

・鉄筋コンクリート部分(アトリエ棟)の玄関に竹の腰張りをほどこし、木賊(とくさ)張りという日本特有の難しい工法を使用した

・階段の手すりや柱に曲がった自然木を磨いて使用し、鉄やコンクリートを使用した雰囲気をなくした

といった内容です。無機質な人工の建造物の中に、如何にして自然を取り入れるかを自らに課していたようです。これらの工夫により、実際「中から見てもコンクリート造りの建物とは思えない」とのことです。
他にも、中庭に面した日本家屋の窓には、日本風の庭と木造住宅の調和をはかるために丸太の柱と鉄製のガラス戸が入れられており、室内でも木肌を楽しむことができるという哲学(遊び心?)があらわれています。

池を中心とした中庭の設計にも、朝倉の哲学が色濃くみられます。
中庭は「五典の池」とよばれており、その由来は庭に設置した5つの巨大な庭石のそれぞれに、仁・智・義・信・礼の意味があることによっています。巨石は、儒教の考えで人が常に行なうべき5つの正しい道(五常ともいう)を造形化したもので、朝倉にはこの庭を自己反省の場とする意図があったようです。四季折々の庭の姿をさまざまな方向から眺め、内観することによって日常の心身の整理や、制作に対する活力を養っていたのでしょう。

中庭や坪庭を身近に感じる体験は、朝倉だけでなく、古来、多くの日本人(または外国人)にとって特別な感情を抱かせてきました。長く受け継がれてきた中庭のある暮らしは、自然を征服してきた西洋の思想とは対称的に、自然とともに生きることを選択した日本の暮らしを象徴するものです。
そのことを鋭敏に感じ取った芸術家は、日本の精神生活によりそってきた中庭の重要性を後の世に示すため、実用性と芸術観を兼ね備えた建造物を実現させたといえます。

(ライター イチノセイモコ)

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