超人気漫画「神の雫」で、主人公が、宿命のライバルであり異母兄でもある故人を空港の雑踏のなかで見つけハッとする、という感動的なシーンがありました。いきなりネタバレで未読の方がいたら申し訳ないのですが、検索ワード「遠峯一青 死因」とか出てくるので皆さんけっこうご存じですよね。どうか許してください。
神の雫のみならず、亡き人を雑踏で見かけるというパターンは、小説や映画や漫画等でよく使われる設定だと思いますが、この空港や駅の雑踏の中というのは、民俗学で言うところの現代の「辻」なのではないのかと私は思います。
2009年に、辻の男 というタイトルのコラムを書きましたが、今回は辻と女性について、更に満員電車についても考察してみたいと思います。
「辻」とは?
さて「辻」とは何か?
辞典で引くと
《「つむじ(辻)」の音変化》
1 道路が十字形に交わる所。四つ辻。十字路。
2 人が往来する道筋。街頭。
3 「辻総(つじぶさ)」の略。
[補説] 「辻」は国字。 デジタル大辞典より
とのことです。なんとつむじ風とかの「つむじ」が「辻」に変わったみたいですね。
面白い!
つむじと言えばぐるぐるの渦巻き。
昔の辻遊びのひとつ、”かごめかごめ”は、一人の子をぐるっとみんなで取り囲んでぐるぐる回り、中心の子に「後ろの正面」を当てさせる遊びです。
ぐるぐる回るエネルギーがその中心に集約して、スピリチュアルパワーを増加させるイメージです。
ぐるぐる、ぐるぐる。
アボリジナルアートのぐるぐるは「辻」なのか?
ぐるぐるの渦巻と言えば、福福堂ではお馴染みの「アボリジナルアート」。
トップにある画像は、アボリジナルアートで今年展示した作品です。
アボリジナルアートでよく描かれる同心円も、水場や人が集まる野営地、大切な真理などの意味があります。
人が沢山集まっていることを表す意味の同心円の源は、やはりエネルギーの中心であり、ひとつの「辻」なのではないかと私は思います。ぐるぐる、ぐるぐる。
あの世とこの世の境界
今、この時期はお盆が終わったばかりですね。
民俗学者 高取正男によると、その昔、お盆の先祖の迎えもこの「辻」で行われていたそうです。
お盆の入りの夕刻、線香四本を持って近くの辻に行き、そこで線香に火をつけ、二本は辻の炉端に立て、残りを持って家に帰るそうです。先祖さまはその煙に乗って帰宅されるとのこと。
つまり「辻」というのは、霊界への入口なのですね。あの世とこの世の接点として不可思議なターミナルだったそうです。良いものも悪いものもやってくる場所でした。
霊や旅人に扮した神、また疫病や悪党も、行きかう人々に紛れて入ってくるターミナル。
辻に現れるのは、時に「産女」などの妖怪だったり、時に辻に入った馬の方向感覚を狂わせてしまって一歩も前に進めなくさせる魔物だったり・・・・。
そんな聖と邪のエネルギーを持つ何もかもが集まってくる「辻」という場所は、独自の空間を形成していたのでしょう。
「辻の女」と満員電車
「辻」と女性は関わりが深いです。
前述の高取正男によると、昔から辻に立つ遊女は、神の妻として一夜を過ごす巫女の意味も持っていたそうです。
神はマレビト (民俗学者の折口信夫が唱えた言葉で客神・客人の意味)として村にやってきて辻に来る。
そのような神をもてなす巫女のような役割が遊女であり、性行為そのものが生命の増殖を象徴する、(疫病などの悪から来る)死に打ち勝つパワーがあるものでした。
そして中世には「辻取」という言葉もありました。
辻取とは女捕り(めとり)ともいい、「路上で女を捕らえて妻などにすること」だそうです。妻にするのみならず、ただ襲うだけという意味もあるそうな・・。
御伽草子のなかの「ものぐさ太郎」という話に、まさにそのようなことが書かれています。
曰く辻で「男も連れず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるをとる事」が許されている・・・・とのこと。
なんということでしょう。辻でなら、一人歩きでタクシーに乗ってない美人で、目についた女性を襲っても天下が許してくれるというのです。
すなわち本来、「辻」は、霊や神が支配する場所であり、ここに多くの人が集まるようになっても、依然として誰か個人の所有には及ばない場所であったとされ(そりゃあ「道」だからね。)、そこにいる女性も「無縁」であり、誰かに属しているとは考えられず、ここでなら襲ってもオッケーとされていた・・・・ということのようです。
更に「辻」は、本来神霊の支配する場所なので、ここで起きたことは人間の関知することではない、という考え方もあったようです。つまり治外法権ですね。
ここまできてハッとしました。
これって電車の中の痴漢と話が似てるのでは?!
満員電車の中では、人が多くあふれ絶えず乗り降りが行われ、良い者も悪い者も混在している。疫病も持ち込まれる、これはある種の「辻」なのでは?!
そこに居合わせた女性は、巫女として乗客であるマレビトをもてなすものであり、更にその女性たちには一人一人に名前が無い。匿名性を帯びたもの。
つまりこの「辻」の中(電車の中)であれば触ってもオッケー。
祭りもしかり。盛り場もしかり・・・・。
もしかして触る側本人は気が付いておらずとも、深層心理ふかーくふかくに、このような古の社会的な概念があるのではないか?!と私は思ってしまったのでした。
ただ満員電車=「辻」という論理が飛躍しすぎているのか、それともいいとこいっているのかは私にはよく分からないので、どなたか民俗学を学んだ方、ぜひご教授いただけないでしょうか。
参考図書
「妖怪のトポロジー 宮田登」
「四つ辻とあの世 高取正男」
「辻についての一考察 笹本正治」
(ライター晶)
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