以前、吉野から熊野にかけて紀伊半島の山道を一日中ドライブしたことがある。
行けども行けども山があり川がある。しかし熊野に近づくにつれてその川はだんだん太くなり、白い浜が見えるようになり、その風景を見つめ続けるうちに、ふと生と死がとても近い存在であるように感じた。
その旅の後、間もなくして義父が亡くなり、また子供の頃私を可愛がってくれた叔母が亡くなった。その喪を過ごす中、私の脳裏には始終、熊野の白い浜がよぎっていた。
私がこの世を去ったら、きっとこの白い浜を漂うだろう、きっとそこには近しい存在の既に亡くなった人たちがいて、私を迎えてくれることだろう。
昨日、高崎のすずらん百貨店で開催されていた萩原始さんの個展に行って彼の作品を拝見したら、当時のことを思い出した。
萩原さんの風景画には、マンタ(エイのなかでも最大規模のエイ)が登場する。
海や野や、花の群生の上空をふわりふわりとユーモラスに漂うマンタは、作者の分身であり、鑑賞者の分身でもある。
命は短い。
一生のうちに出来ることは思いの他少なく、その生を燃焼し尽くしたと思える人はどの位いるのだろうか。
生きている意義を感じられる人は。
年齢を重ねるほどに、命というものの重さと、今を生かされているという奇跡を感じる。
毎日を懸命に過ごしていても、沢山の作品を残しても、子孫を残しても、それでも私達は自分自身の永遠を信じたい。
自分と、そして近しい大切な人たちの、永久の安寧を信じている。
漂うマンタは、時空を超えて飛ぶ火の鳥であり、私達自身である。
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