『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は、フランス人画家ポール・ゴーギャンによる作品であり、美術界で数々の解釈、議論、論争を生んできた傑作です。この象徴的な作品を知るために歴史的背景、画家のコンセプト、批評家たちの反応を19世紀後半の時代背景とともに考えてみます。
19世紀後半の時代背景
19世紀末は、社会的、政治的、文化的に大きな変化の起きた時代です。ヨーロッパは工業化時代の真っただ中でした。庶民の生活習慣に変化が起きました。工業製品の生産方法にも変化が生まれました。それとともに社会構造が急速に変化した時代でした。こうした時代背景は当然アートの世界にも変化をもたらします。印象派(モネ・ルノワール・シスレー・ドガなど)やポスト印象派(ゴーギャン・ゴッホ・セザンヌなど)のような、既成の芸術的慣習に挑戦する革新的な芸術運動が起きたのです。
ポール・ゴーギャンの略歴―タヒチへ向うまで
ポール・ゴーギャンは1848年生まれのフランス人画家です。当初は株式仲買人でしたが1870年代に芸術家になることを決意します。印象派の画家たちと交友を深めていきます。その後やがて彼らの美学とは距離を置き、より象徴的で精神的な芸術表現を求めるようになります。冒険的な気質を持つゴーギャンは1891年にフランスを離れタヒチへと向かったのでした。
(写真:ゴーギャンがタヒチへ渡航する前に描いた作品「ブルターニュの踊る少女たち、ポン=タヴァン」1888年)
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』の作品解説
ゴーギャンは1897年にタヒチでこの作品を制作します。この作品では、人生・人間とは・人間の運命についての考察を視覚的に表現したものを言われます。複雑な構図で、タヒチの風景の中に人物・動物・植物・像が描かれています。さらにキャンバスには直接作品のタイトルが刻まれています。
この作品は、人間の存在について根源的な問いを投げかけています。
ゴーギャンは、象徴主義―写実的な表現よりも、観念や感情の表現を優先した芸術運動。見えないものを神話などのモチーフに託して描く特徴を持つ―の影響を受けています。『我々はどこから来たのか~』では、蛇・赤ん坊・花・頭を下げた謎めいた人物を象徴的に使い寓意的な物語を描いています。端的で鮮やかな色彩と様式化された形が、観念的表現を際立たせています。
ゴーギャンにとってタヒチは失われた楽園であり、工業化や西洋文明に蝕まれていない社会の象徴でした。ゴーギャンは、自然と調和したシンプルな人間本来の生活を志向していました。『我々はどこから来たのか~』は彼の原始志向、つまり当時のヨーロッパではもう失われてしまった自然や精神とのつながりへの瞑想を描いたものと見ることができます。
批評家たちからの評価
『我々はどこから来たのか~』は様々な評論がされています。作品のオリエンタリズムやエキゾチックな側面を「ゴーギャンはタヒチの現実を理想化し歪曲している」と考える評論や、密教的とみなされる象徴的解釈を批判する評論があります。またオリエンタリズムとエキゾチシズムへの批判もあります。ゴーギャンの或る種ロマンチックなアプローチを批判し、人間本来の姿を表現するという主張に疑問を投げかけ、ゴーギャンのこの思想に内在する偏見を浮き彫りにした厳しい批評もあります。当時のヨーロッパは植民地主義の時代でした。結果的にゴーギャンの作品はその時代の一側面をよく表していると言えるでしょう。
その一方で、本作でゴーギャンが行った新しい芸術形態への挑戦や、観念的主題の探求を称賛する評論もあります。
20世紀の美術への影響力
そのような厳しい批評や論争にもかかわらず、ゴーギャンの作品は後の20世紀美術に大きな影響を与えました。ドイツ表現主義者、フォービズムの画家たち、その他さまざまな芸術運動に参加したアーティストたちは、ゴーギャンの写実的ではない大胆な色使いや単純化された形、(ゴーギャンは誤っているかもしれませんが)哲学的な探求を行う姿勢に触発されました。
『我々はどこから来たのか~』は単なる絵画の域を超えている側面を持ちます。ゴーギャンのタヒチへの旅、芸術的実験、そして人生に対する問いかけは、偏見を内包したまま文化的、時間的境界を超えた作品群を生み出しました。批評家たちのさまざまな反応はゴーギャンを評価することの難しさ、時代背景の複雑さ、与えた影響の大きさを浮き彫りにしているといえます。
(福福堂 編集部)
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