本日、有限会社 福福堂は創業20周年を迎えることができました

本日、有限会社 福福堂は創業20周年を迎えることができました

本日、有限会社 福福堂は創業20周年を迎えることができました。
今日の日を無事に迎えることができ、お世話になった、そして今もお世話になっている全ての方々に感謝の気持でいっぱいです。

2003年6月10日、代々木上原の井の頭通り沿いにある小さなギャラリーで、当時35歳だった私は、私を心配して付き添ってくれた父と、今日のような梅雨の晴れ間の開店初日を迎えていました。2か月前まではただの会社員であり、しかも畑違いの分野だったので何もかもが初めての経験でした。不安に包まれながら「どうしてこんな無謀なことを始めてしまったのだろう」と半ば逃げ出したい気持ちだったのを覚えています。

以来20年、あっという間でした。
子供だったら20歳、お酒が飲める年ですね。
ビバ福福堂!乾杯です。

代表近影。恥ずかしがり屋なので葉っぱに隠れて。

作家さんたちから教わったもの

この20年の間にたくさんの作家さんやプロデューサーと巡り合い、一緒にお仕事をさせていただきました。それまでアーティストという人種にはあまり縁が無かったので、初めて接した作家さんたちの行動理念は、外資系企業の殺伐とした土壌で働いていた私には本当にカルチャーショックでした。

作家さんたちからは、大切なことをたくさん教えてもらったと思います。
それまでの職業経験から、ともすれば経済や効率を優先させがちな私の行動理念は、作家さんたちと過ごすことにより変わりました。「人生とは時の積み重ね、その一瞬一瞬をどう生きるか」という大切な真理に気付かされたのです。

好きな絵を描き、それで生きていくと決めた作家さんたちにとっては、絵を描く時間の積み重ね=人生です。安定した職を捨てて独立し、ときめくアートを求めて外国の辺境の地へ分け入っていくプロデューサーも、その冒険の積み重ねが人生です。

私はこれまで「いかにタスクをこなすか、いかにストックを増やすか」ということに注力してきたため、例えばゆっくり読書をしたり、車窓を眺めたりということが罪の意識抜きでは出来ませんでした。読書は何かを得るためのものであり、ためになるものを読まなければいけない。感動する映画を見ると動揺して翌日仕事にならなくなるから見ない。車窓を眺めるときにはどこかに時間を無駄にしているという感覚がありました。

しかし最近になってやっと気が付きました。楽しんで読書をする時間、ぼーっとする時間、仕事をする時間、それらは全て人生なんだと。何かを求めてそれらが得られても、それらはいつまでも私の元にあるわけではなく、いつか終わりが来るものであると。それらを追い求めることが目的なのではなく、追い求めているという一瞬一瞬の今を生きることが目的なのだと。(なんだか禅っぽくなりました。)

お客さまから教わったもの

またたくさんのお客様からも、人生の豊かさを教えていただきました。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」
アートをお求めになるお客様は、最も人間たるものを体現されている方々だと思います。
動物は巣穴にアートを飾りません。(たまに求愛のために巣を飾る鳥等もいますが。)
思い、考え、夢想し、記憶を辿り、希望を持つ・・・・そのような最も人間らしいことの象徴がアートを愛することなのだと思います。

残念ながら幾人かの大切なお客様は鬼籍に入られましたが、今でも私の記憶のなかにはその方々のありし日の面影が在ります。福福堂が開業した当初、毎日通って私に美術界のことを教えてくださったおじいさま、アボリジナルアートを心の底から愛してくださった学芸員のお客様、いつもニコニコされていた大コレクターのお客様、若い作家さんを心から応援し素敵な差し入れもしょっちゅう下さったお客様、ご自身が大変なお仕事をなさりながらも私や作家さんに様々なことを教えてくださったお客様・・・・。お別れはいつも突然でしたが、私の生きている限り、その方々のことを忘れることはできません。

福福堂のメンバーへ

頼りなく、時に大ヘマをやらかす(昨日もやらかしました。)私を見捨てることなく支えてくれ、今日の日を共に祝ってくれたメンバーには大変な感謝の念と親愛の情を抱いております。そして、福福堂の歴史のその時その時で支えてくれたメンバーの方々にも心から感謝申し上げます。

昨年秋からは、久保田純也が経営の一員として加わってくれ、まさに今、福福堂を切り盛りしてくれています。久保田は元々、日本画家として福福堂と仕事をしてくれておりましたが、昨年から福福堂の窮状を救うべく参画し、渇いたスポンジのように次々と仕事を吸収し、またそれを改革・拡大しようとしてくれています。そして本日付けをもって取締役に就任し、益々福福堂を盛り上げてくれることになる!ということをここに宣言させていただきます。

また、私の30年来の友人であり、福福堂の旧メンバーでもあった相川も数年ぶりに戻って来てくれて主にヒルトピア アートスクエアの仕事をしてくれています。彼女の献身的なサポートと無類のコミュニケーション力は、福福堂にとってこの上ない戦力です。(これからもよろしくね。) またあっという間にタスクを解決してくれるプロフェッショナルワーカーのHさん、ご案内状を作ってくれるデザイナー様方も、納期が短いのに対応してくださってありがとうございます。

数年前、家族が学会発表ものの大手術を受けたときの凄腕ドクターが「我々はチームで患者を支えているのだ」とおっしゃっていて感銘を受けたのですが、福福堂もそうありたいと思っています。謙虚であれ。人を信じ、頼り、任せ、共に歩んでいく、そのようなチームでありたいです。20年前、ギャラリー名や社名に自分の名を冠しなかったのも、そのような意図を込めたからでした。志が同じであれば、集まって一緒に歩むことができる、それは本当に素敵なことだなと心から思っています。

関係者へ多大な感謝の念をお送りします!

またこの場を借りて、日頃、百貨店や展覧会場でお世話になっている美術関係者の方々、販売支援や作家の指導をして時には作家を飲みにも連れて行ってくださる福福堂の恩人様に多大な感謝の念をお送りしたいと思います。手薄になりがちなところを本当にうまくサポートして下さりありがとうございます。(埼玉方面には足を向けては寝られません。)

また福福堂の立ち上げ当初から、ひよっこみたいな福福堂を陰になり日向になり支えてくださったプロデューサー、海のものとも山のものとも分からないような弱小企業にヒルトピア アートスクエアの運営を任せてくださったオーナー様にもその寛大な愛に感謝申し上げます。

さいごに・・・

私事ですが、お正月明けに父が倒れ、父の中から様々な記憶が一瞬にして失われてしまいました。父は大変な努力家でチャレンジャーで好奇心が旺盛な人で、85を過ぎても毎日経済紙や本を見ながら勉強しているので知識も豊富でした。しかしその頭の中の宇宙は今はもう無くなってしまいました。

人間の人生を考えたときに、それはたとえ100年だろうが120年だろうが終わりは避けられないことです。私が追い求めたものが得られたかどうかは自分でもよく分からないのですが、一瞬一瞬の時間の流れ(フロー)のなかで、それを追求したという、そのことが大切なのだと改めて思います。いつかは自分も父と同じように無になっていきます。この世で得たもの(ストック)は全てこの世に還すことになります。だからこそ、この一瞬に熱中して生きていきたい、そう思います。

福福堂が20周年を迎えての言葉にしては、少し抽象的になってしまいましたが、どうかご容赦ください。これからも新生福福堂を何卒よろしくお願いいたします。

岡村 晶子


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