インタビュー 「原風景について」 (毛利元郎 & 鈴木ひろみ)

本日、毛利元郎&鈴木ひろみ二人展 ノスタルジア (2015.4.8~4.14 伊勢丹松戸店にて開催)の搬入を行いました。

アメオンナの岡村が関わると、案の状アメ・・どころか季節が2か月前に逆行したような陽気です。
本当にお二人には申し訳なく思います。この場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい!

さて搬入の前の待ち時間を利用して、お二人にインタビューしてみました。
毛利先生はバナナジュース、ひろみ先生はアメリカン、そして岡村は小倉クリームトースト(初めて食べました。結構おいしいですね。)を食べながらのインタビューです。

-お二人にとっての原風景はどんなものですか?

毛利さん(えっいきなり?・・・少し考えてから)

毛利さん(えっいきなり?・・・少し考えてから)
幼少の頃通っていた絵の先生、安藤先生のアトリエは子供の頃の記憶ですね。先生は必ず季節毎のモチーフを選定して描かせて下さいました。例えば冬になれば高橋由一のように新巻鮭とか、春になれば菜の花とか・・。 

それと父の田舎、北茨城の光景も思い出します。祖父と祖母の家は古くて、囲炉裏と土間がありました。一部屋だけ洋間があったのを覚えています。
その家からは北茨城の海が見えましたね。今は古い家を新しくして僕はそこに住んでますが、もう海は家から見えません。間に家が建ってしまいましたからね。当時は、道も舗装されていなくて砂利道だったし、ヤギを飼っている家もありました。

祖父母の家に行くたびに見ていた北茨城の海が僕にとってのスタンダードな「海」。
初めて湘南の海を見た時には、色んな意味でけっこうショッキングでした・・・。

ひろみさん
私は、生まれてからずっと菖蒲町で育ちました。
ずーっと見渡す限り広がる関東平野で、遮るものが何もない田舎です。
季節によっては富士山も見えるくらい。

小学生の時、自転車で友人の家に行く途中、空を見上げてました。
何もないところにぽっかりと浮かぶ雲、その向こうに(例えばラピュタのように)別な世界が広がっているのではないかと夢想しながら、自転車を漕いでました。
帰り道の夕陽も見惚れて、ぼーっとしてました。

今思えば、大変夢見がちな子だったと思います。

-夏休みは何をしてました?
ひろみさん
夏休みは、家で絵を描いてました。
完全にインドア派の女の子で、落書きや漫画や水彩を描き続けてました。
本や漫画を読んだり・・・・活発な兄と弟に挟まれて、おとなしい少女だったと思います。

-子供の頃に見た空、それは今のひろみさんの作風と一貫するものがありますね。
そうですね。子供の頃に見た空や身近な風景、部屋などに愛着を感じるのは、ずっと変わっていないです。

-毛利さんは、イタリアを描き続けてますね。
毛利さん
初めてイタリアに降り立ったとき、ローマは夜で雨が降りそぼってました。空港から乗った白タク(!!)の中から見たローマの街はずっしりと重く、何とも言えないショックと感動がありました。
僕の作品に「夜」がしばしば登場するのは、その時の感動が作用しているのかもしれません。

-そういう、肌で感じるものって大切ですよね。
そう思います。
人間の五感って凄いです。視覚だけではなく匂いや音楽が色んな記憶を呼び覚ませてくれます。僕は人間が五感で感じる感動を「絵」にしたい。

夜と言えば、中部イタリアの丘から見下ろす夜の風景。きらびやかな都会の夜景とは違い、非常に素朴です。漆黒の中に浮かぶオレンジの灯り、もしかしたらウランバートルの夜よりも暗かったかもしれません。僕にはイタリアの人たちが「夜の暗さ」を楽しんでいるようにも見えました。
オレンジ色の灯りたちは、一軒一軒瞬いて、揺らめいてる・・・・・感動します。

ここまでで、残念ながら搬入の時間となりました。

お二人の話されたことは私も共感できるものです。

永遠に続くかと思われたような子供の頃の夏、プールで疲れ切るほど遊んだ後に着替えた綿のシャツの肌触り、土手の向こうに流れる雲・・・同じ関東平野から見える広い空を思い出しました。

そしてローマの夜の圧倒的な重さ、幾千幾万もの喜びと悲しみの生と死と・・・歴史を全て飲み込んできた街ローマ、この街に降りた瞬間に感じたその身震いするような感動も!

お二人とも貴重なお話を有難うございました!

お二人の展覧会は、4月14日まで伊勢丹松戸店にて開催いたしております。

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