8月の読書 梅原猛 「黄泉の王」

先月、暑い暑いなか、飛鳥の高松塚古墳を訪れた。
梅雨明けと同時くらいだったので、その暑さたるや・・・・・

やぶ蚊に刺されながら公園を歩き、壁画館に行き壁画のレプリカを見る。平日でこの暑さ。ひと気はない。

さてそんな旅から戻ってから、梅原猛の「黄泉の王」を読む。
その前に読んだ梅原猛の「水底の歌」に続く、(私にとって)第二弾。

「高松塚古墳の被葬者は誰か?」という推論である。
この本が書かれたのは1973年だけれども、因みに2016年の今もなお、この被葬者は特定できていない。

氏は、ここでも怨霊史観を発揮して、葬られていたのは弓削皇子ではないかとの推論を立てている。

いくつか材料がある。
ご遺体の頭蓋がない。副葬品の太刀には刀身がない。美しい壁画は削り取られている。
これらは死者の復活を許さないという意思の表れ。
古代中国・日本では、復活のためには身体が必要だと考えて来られたが、頭部が無くては復活できない。首を刎ねることは、あの世での復活も許さないという極刑中の極刑だと言うこと。
壁画を削っていることも、「完全を嫌うこと」による行為。
4名x4組の16名が使者として描かれているが、黄泉の国で王としてそれらの使者に傅かれ、満足してもらうため。

またどうして弓削皇子?については、同時代に埋葬されているはずの皇子達を候補者として並べて消去法で選出したことと、万葉集の弓削皇子のロマンチックな歌からの推論である。
弓削皇子は、その血統と能力ゆえ持統の血統を脅かす存在であった。また皇子は道ならぬ恋をしてしまったらしい。それゆえここに埋葬されることになった。二度と復活を許されぬように。ここでも持統と不比等が暗躍した(らしい)。

梅原先生は、ここでも情熱と執念たっぷりに、少しの妄想をスパイスとした謎解きの鉈を奮っている。

石舞台古墳(よくある構図の反対側から) 馬子の墓とされている
入鹿の首塚 祖父の墓と比べると哀れに感じる

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